お母さんごめんね

 Twitterで発達障害の子どもを持つ親御さんの「もう限界だ」と悩みを訴えるツイートを見て、「ああそうだ私も母を苦しめてきた、この人は私の母かもしれない」と思って、母への申し訳なさで頭の中がいっぱいになってしまったので、整理のためにもここに母への手紙を書こうと思います。
いつかこれを母に見せるかもしれないし、見せないかもしれない。
思いつくまま打ち込んでいるので、編集していません。あとでします…

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 お母さんごめんね。
 育てにくい子どもに生まれてしまって、普通の子どもに生まれてこれなくてごめん。私はあんまり泣かない子供だったと聞いたことがあって、私は「自分は手のかからない良い子だったんだ」と思っていた時期もあったのだけれど、3人兄妹の中で、発達障害と診断されたのは私だけだった。

 お母さんごめん。私はお母さんが苛立っている時にも思いついたクイズを出すような子供で、お母さんの宝物を壊してしまってもへらへらと謝るような子供で、言われたことしかできない、気遣いに欠けた、傲慢で、こだわりが強くて、傷つきやすくて、何を考えているのかわからない子供だった。

 私は、臨機応変に、柔軟に、場合に応じた行動ができない。頭の中のマニュアルにない、想定から外れた事態にものすごく弱い。

 私が小学生の頃、目の前でバランスを崩して自転車から落ちてしまった小さい女の子がいた。その子は私のすぐ目の前で、横倒しになった自転車のそばに倒れていた。ちょっとバランスを崩しただけで、怪我もないことはすぐにわかった。でも、普通の人だったらたぶん、「大丈夫?」と聞いて、その子に駆け寄って、助け起こすのだろう。
 私は、その子をまじまじと見つめ続けたまま無言で通り過ぎた。目だけはその子に釘付けなのに、何を言えばいいのかまるでわからなかった。混乱して、パニックで、どうにかしてあげたいのに何をすればいいのか、まったくわからなかった。頭の中がただその子でいっぱいになって、その子を見つめていれば何か名案を思いつくみたいに、私の目だけがその子にくっついていた。でも通り過ぎるまでの間に思いつくことは何もなかった。
 その小さな女の子は、私が通り過ぎて背中を向けたあと、その子の母親と笑い合った。それは明らかに「変なものを見た」という経験の共有に起こる笑いだった。
 今でも自分の背中には、私のおかしな行動を笑う声が貼り付いているような気がする。その声にはなんにも悪意はなくて、その分だけ私がどれだけ異質なものなのかを無邪気に指摘する。
 でも、私が変で、おかしくて、普通じゃなくて、それを笑われることなんていつか癒える傷だから、そんなのは乗り越えられることだからいいんだ。

 お母さんごめん。
 私に発達障害の診断が降りると、お母さんはスピリチュアルの世界にハマるようになった。悪い電磁波の流れを和らげるシールを3万円で買って、貼りなさいと言って私にくれた。
 占い師から「子供の名前の字画が悪いから水晶のハンコを買いなさい」と言われて、高額なそれを買うかどうかを本気で悩んでいた。私は止めたけど、お母さんはきっと内緒で買ったのだろう。
 お母さんの右腕にはカラフルな柔らかいゴムのリングがはまっている。大地からの良い磁波を吸収して、体の中の悪い気を整えるリングなのだそうだ。
 お母さんは体の中の「波動」を見てくれるクリニックに通うようになった。悪い波動が子供に影響するから定期的に見なければならないと言われたらしい。
お母さんはレメディと呼ぶ薬のような見た目の錠剤を飲むようになった。調べたらそれは、ただの砂糖粒だった。

 お母さんごめん。お母さんを弱くしたのは、お母さんがいろんな人につけ込まれるのは、娘の私が障害者だからだ。
 私が普通じゃないから、お母さんは自分を責めて、自分の中の目に見えないものを改善すれば何もかもが良くなると信じ込もうとして、娘が落ち込んでいるのは、うまく生きていけないのは、自分のせいだと思おうとしているみたいに見えるよ。お母さんは、いつも私の母親でいようとしてくれる。

 お母さんごめん。みんなみたいに上手に生きていけなくてごめん。
 私はお母さんが非科学的なものに救いを求めるたび、お母さんが私の障害を、それは悪い気の流れで、一時的なもので、お金を出せば、努力をすれば改善されるものだと思い込もうとしているように見えて、それがお母さんの希望なのだと思うと何にも言えなくなる。

 発達障害は、いまの科学や医療を以てしても根治しない。ただ通院と服薬で、悪化させないようにするだけだ。
 現実が、科学や医療の知識が、お母さんをむしろ苦しめることを思うと、私が処方された薬を服用するたびに「薬ばかり飲むのは良くないのよ、自然が一番なのよ」とお母さんが悲しんでも、私は反論できない。欲しいのは論理や科学ではなくて、救いだから。診断書をもらったときに、「医者は患者が何か言ったら診断書を書かないといけないのよ」とあしらわれたことも、私は苦しい。大事な家族に自分の障害を理解されないからじゃない。お母さんが見たいものが、思い込みたい世界が、あまりにも遠くて、手に入らないことを思い知らされるからだ。

 お母さんごめん。お母さんを苦しめてごめん。非科学的なものがなんにも必要ではなかったお母さんを、必要になるほど弱くしてごめん。
 でもどうか、いつか私を見て。生まれつきの、治らない障害を抱えて、上手く生きれなくて、それでも生きていこうと思う私を見て。

 お母さんごめんね。お母さんは何にも悪くないのに、こんな子供に生まれてしまってごめん。普通じゃなくてごめん。普通の子の親にしてあげられなくてごめん。たくさん傷つけて、苦しめて、悲しませ続けてごめん。
 お母さんごめんね。お母さんを喜ばせてあげられない子供でごめん。いっぱい心配かけてごめん。

 でもどうか、私の生きる道を、お母さんも見て。傷つきながらでも、ひどくのろいペースでも、偉くなくても、立派じゃなくても、それでも生きようとする私を見て。呪いなんかじゃないんだ。悪い波動なんかじゃないんだ。ただ現実にできないことがいっぱいあって、うまくいかないことがたくさんあって、でもそれだけなんだよ。私は私の障害を誰のせいだとも思わないし、普通の子に生まれてこれなかったことを、もちろんお母さんのせいなんて本当に思っていないんだ。もし責めることができるものがあるなら、つらい記憶の周辺をさまよい続けて、そこからいつまでも離れていけない自分の弱さだけだ。

 障害のせいでできないことはたくさんあるけど、でも、できるようになるために努力をしないことは、そこから改善したり離れたりする選択肢を選べないことは、私のせいなんだ。うまく歩けなくて転んだとしても、立ち上がらないのは私のせいなんだよ。その傷を、いちいち私の代わりに痛がって、悲しんで、私の道の先にあるものすべてから庇おうとしなくたっていいんだ。
 傷ついたって、いつか傷ついたことさえ笑って話せるように進み続けたいんだ。私の前を歩いて、すべての障害物を見えない何かのせいにしなくたっていいんだ。お母さんは、お母さんのまま、自分の人生を歩いてくれたらいいんだ。それが柔らかく交差して、つらいときは横を歩いてくれたら嬉しいんだよ。

 私は少しずつ自分の力で変われるし、どうかいつかは変わりたいんだよ。お母さん、大丈夫だよ。私は少しづつでも歩き続けるし、それを見ていて欲しいだけなんだよ。

 お母さん、傷つけてしまってごめん。苦しめてしまってごめん。何にもしてあげられなくてごめん。喜ばせてあげられなくてごめん。
 こんな大人にしかなれなくてごめん。問題だらけで、だらしなくて、人に誇れるような娘じゃなくてごめん。お母さんを苦しめる娘でごめん。

 でも私は私の人生をほかの何のせいにもしないから、お母さんもどうか、私の人生を目に見えない何かで安易に救おうとしないで。私はいつかきっと私の力で私を救うから、どうかそれを見てね。

 お母さんが少しでも苦しまなくなりますように

2023.11.07


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