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雑記(20230210)

写真:大学内に咲いていた椿


今日も(渋々ではあるが)外出できた。降雪もあって非常に寒い。だがこれで月に3回以上キャンパスにいる時間を設けることができたということだ。
……個人的にはかなりの進歩ではないかと思う。3ヶ月以上キャンパスに足を踏み入れてこなかったから。

ただ今日は途中で疲れ切ってしまい、最後の一時限だけ参加することができなかった。先生に体調が悪いので、と伝えると、このご時世もあり快く許してもらえた。少しずつ周りに人がたくさんいる環境に慣れていきたい。

今日も福祉関係の講義を受けていた。社会福祉の領域を学ぶ際にどうしても臨床のことを学ぶため、(当然当事者が一番辛いことなのだが)自分も辛いなと感じてしまうことが多い。ドキュメンタリ番組が流され、大きな叫び声を聞いたり、泣き声を耳にするとどうしても身体がすくむ。子どもや老人のこともあり、決して無関係な場ではないので、月並みだが、まだ学ばなければという心持ちができた。

改めて最近思うのは、世の中のものを全て自分ごととして受容しようとする時、そのプロセスにかなり注意を払わなければならないのではないかということである。講義中、共感という言葉について定義を尋ねられたとき、咄嗟に出たのは「対等な立場を維持しつつ、相手の考えをその不可能性を認識しながら受容しようとすること」だったが、これは他のことにも言えるなと今更ながら気付かされるものがあった。

自分ごととして受容することは共感ではない。自分とずれていく感覚をそのまま理解しようとすることこそがおそらく共感であるはずで、だがこれは不可能であり続ける。一方でそのままの状態を知るだけでは人間同士のつながりをどう形成していけばいいのか分からないところが現状私の中にある。というのも、結構前に友人に会ってその人だけに病いをカミングアウトした時にその人はその人なりの視点から一生懸命慰めてくれたのだが、私には少し辛かった。こういう分野は倫理学の専門なのだろうか。仏教思想史などピンポイントなところは学習したが、そのような知を得るに至らなかった。日常生活の基盤となるような知識獲得を示唆するための書籍を読んだり、講義を受けてりして、自分なりに考えたいと思った(他の方と比べたら今更なのかもしれない)。

最近、ボカロ音楽を通して楽曲のジャンルを学んでみようという気になっている。楽曲のジャンルは視野を狭めるという話を以前聞いたが、多分その話をしている人がそもそもジャンルを知っていて発言していそうだなと思っていたから。あとは、ジャンルを知っていれば自分の好きな音をたくさん聴けるから(こっちが本命)。

この記事が特に参考になったので、引用させていただきます。(ありがとうございます)
自分の好きな楽曲(特にtrap)が記事の中にたくさん詰まっていて……!自分の大好きな音やことばってここにあるんだ!と思うことができて、とても読んでいて楽しかったです。次回作もあるそうなので楽しみです。

私ができることといえば、自分の持っている資源を活かして、そのジャンルの成り立ちやコミュニティをよく理解しようとすることだと思うので頑張ってみようと思う。

その他、ジャンル問わず最近自分でよく聴いている楽曲だと、こちらの真島ゆろさんの「かまぼこかまほろかまことか」だ。

コンピレーションアルバムの一曲でおせちのかまぼこをイメージして作ったようだ。可愛らしいシンセとグロッケンが鳴っているのにどこか重厚感のあることばがずっしり。聴いていると楽しい。謎ダンスを踊っている知声さんも注目ポイントだ。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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