見出し画像

雑記(20230224)ー物語を蓄積することー

写真:河津桜

最近蓄積を大切にしようとしている。というか意思があってそうしたのではなく、自然とそうなっている。

Twitterでよく呟くようになった。ツイートも(あまり)消さなくなった。

アイコンを日替わりで色替えするようになった。ちなみに今日は水浅葱色だった。なぜこれを思いついたのかは後日記す。これをスプレッドシートでカレンダー化してみたので後でアーカイブとして楽しむことができるようになっている。

雑記帳をもらった。多分日記療法的なものをくれた当人は期待したのかもしれないが、私としてはネタ帳程度に使おうと思う。早速みきとPの「だいよげん」のイラストを担当している、ゆのさんのネップリを表紙に貼って飾り付けた。飾りつけるとそのものを大切にしようという気が湧いてくる傾向があるので、いいネタ帳になることを期待している。

文字として「死んだ」事象を物語を蓄積していくことは私にとって一時期辛いことだった。過去を覗き込んで私を確認しなくてはならない作業が伴ったからだ。

過去を覗き込むことで私の内面が強く深淵に引き込まれる。引き込まれる力で私は今から引き摺り落とそうとする。今は私を離さない。その板挟みで私は苦しむ。そんな構図が出来上がっていた。

過去を「死んだ」ものとして記述・蓄積してしまえば、もうその過去は動くことはない。そんな気分になれた。また、自分なりに自分の物語を作り出して再起的に自己を定義していくことができた。

先日偶然「アニメ療法」という著書を読んだ際に自分を「支配の物語」から解放していく作業が必要なのだということばを得た。自分も手段は違えど同じようなことをしているのかもしれない。

物語の蓄積は過去を自分という布に染めた上で、それをうまく定着させていく、そんな生業だと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?