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ガリバー "法螺吹き" 男爵の冒険 第二部 北辺の村(後)

「北辺の村に連れて来られてから、9ヶ月ほど経ちました。わたくしはシダー氏について行動することを条件に、村の中を見て歩くことができるようになりました。かの人は村のことを案内し、やってはならないことや危険なことは丁寧に教えてくれるので、不自由さは感じませんでした。むしろ久しぶりに広い場所を歩き回ることができることに大きな喜びを感じておりました」

「シダー氏は、若くしてこの村の村長でありました。朝食を済ませて村内を見まわることが、かの人の日課でありました。そこに語学教室が加わり、勉強を終えたわたくしも見まわりについていったのであります」

「はじめの頃、村の人びとはわたくしをちらちらと見たり、子どもが後ろからついてくることがありましたが、1週間しない内に皆すっかり慣れたようで、気さくにあいさつし、話しかけてくれるようになりました」

「ほぼ毎日、シダー氏の巡回路は変わりませんでした。わたくしに1時間ほど授業した後、部屋を出ると長い廊下を歩きました。廊下には扉が並んでおり、一つひとつがそれぞれの世帯を成しておりました。村長は歩きながら時折扉を開けて、中の住人に話しかけました。主に老人だけの世帯や、一人暮らしの若者、若夫婦などを気にかけているようでありました」

「シダー氏が話してくれたところによりますと、この廊下は螺旋状になって幹の中を貫いているとのことでありました。けれどもあまりに幹が太いせいか道幅が広く、螺旋もゆるやかだったために、中を歩いているとその構造を実感するのが難しいほどでありました。私たち2人は螺旋廊下をゆっくり歩いて、下っていきました」

「廊下を降りると、初日に連れて来られた広間に行き着きます。この部屋は食堂だそうで、『それぞれの家にも台所はついているけれど、お札を払えばここで飲食ができる。何も買わなくてもテーブルを好きに使ってもいい』とシダー氏が教えてくれました。シダー氏と一緒に見に行った時には、いつも誰かがいて食事をしたり、数人でおしゃべりを楽しんでいたのでありました」

「台所の中を見せてもらうことも楽しいものでありました。わたくしが見に行く時は大概が調理が一段落した後のようで、料理人の人びとものんびりとおしゃべりしたり、ゆったりと鍋をかき回しておりました」

「わたくしは仲良くなった料理人に作業の真似事をさせてもらったことがありました。まず戸惑ったのは包丁も鍋も、あらゆる調理器具が木でできていたことであります」

「料理人に言われるまま包丁を木の実に当てると、包丁がするすると木の実に入っていきました。そのまま力を入れずに手を下ろすと、鮮やかな断面を作って真っ二つに切ることができるのです」

「壁からせり出した瘤のような台に、赤い丸印がついておりました。鍋を印に合わせて置きますと、中身が温まっていき、やがて煮立ってコポコポと音を立てるのであります」

「使い終えた鍋を大きな壺型の植物に入れました。壁から突き出た筒の蓋を外すと、水がこんこんと溢れ出てくるのでした。壺の中に水を注いでごしごしと洗い、壺の両脇に手を当てますと、水がするすると抜けていくのであります。見るもの触れるものが珍しく、また便利な道具ばかりでありました」

「食堂からはいくつかの出口がありましたが、大半はデクの厩舎につながり、その先は樹の外への出口になっていました。シダー氏は2週間に一度ほど、厩舎を見て回ってデクの世話をしていた人に声をかけることがありました」

「厩舎には人はまばらでしたので、あまり頻繁に見まわりをすることはないようでした。普段わたくしがついている時には村長は人通りの多い、大きな出口を通りました。それは服屋や道具屋、果物屋など色々な店が並ぶ『商店街』につながっておりました」

「服屋には、わたくしが与えられた服とよく似た材質の布地が置かれていました。この布はデクが出す糸を織って作ったものだと、シダー氏が教えてくれました。店先に並べられた服は過美ではありませんでしたが、植物の紋様が刺繍された丁寧な作りのものでありました。また、縫い物の作業をするために開放されている場所もあり、ご婦人方が自らの家庭から衣服を持ち寄り、おしゃべりに花を咲かせながら繕いものをしておりました」

「道具屋には調理場で使われていたような大きな鍋や薬缶から、一人暮らし用だと思われる小さな鍋まで、ずらりと並んでいました。その他にも鉢や包丁、蒸し器やおろし金のような器具など、様々な調理道具が並んでおりました」

「調理器具を扱う店の隣は果物屋でした。帝国の市場では見かけないような、色とりどりの様々な果物が並んでおりました」

「店主に説明してもらいましたが、果物と言えどただ甘いものだけではなく『塩を振って焼くと主食になるもの』『とても酸っぱくてそのままでは食べられないが、他の果物と一緒にしておくことでよい漬物になる果物』『薄皮が剥けるように表皮を剥ぐことができ、皮を細かく切って使う果物』『一度干してから水で戻してから炒め物や煮物に使う果物』など、全ての使い方を覚えることなど困難ではないかと思われるほど、多様な果物がありました。この国の人びとにとって、果物がほぼ唯一の食糧であるようです」

「村長の話では国内でも地域ごとに産品が異なり、それぞれの地域の人びとが盛んに行き来して交易をおこなっているとのことでありました。商店街にも交易商のために開放された区間があり、商人がやって来て店を開いておりました」

「南方から来たという人びとは、この村の人びとよりも厚手の服を着ておりました。また揃いの大きな帽子を被っている人びとや、青く染めた装束の人びと、ベールで口元を覆った人びとなど、それぞれの集団がまとう民族衣装も様々でありました」

「この交易市を初めて見た時、『この村は香辛料の特産地だけど、油の原料になる果物は少ないんだ。それに塩は、一部の地域にある塩鉱や塩水湖からしか採れない。だから定期的な品物のやりとりが、絶対に必要なんだ』とシダー氏が教えてくれたものです」

「商店街はこの村の入り口に当たるようで、店を借りる交易商のための宿舎のような部屋も、商店街の路地裏にあたる部分に作られていました。シダー氏は宿舎を見て回り、それぞれの集団のまとめ役と話をすることを毎日の習慣にしておりました」

「そして話を終えると、区画の奥にある扉に入ります。この部屋は『昇降機』という名前だそうで、幹の中央部を上下に貫いた空洞の中を部屋ごと動くことで、幹の根に近い部分から上層まで、あっという間に上り下りすることができるものであります。村長とわたくしは昇降機に入り、村の上層に向かいました」

「昇降機は間隔をあけて数箇所、停まる場所があるようでしたが、村長は見回りをする時、決まって最上層まで移動するのでありました。部屋の中におりますと揺れや物音はありませんでしたが、何やら体が持ち上げられ、ふわりと浮かぶような心地がありました」

「浮遊感が元に戻りますと、最上層に到着しているのであります。途中の層で人の乗り降りがなければ、わずか数秒のことでありました。昇降機の扉が開きますと、壁全面が透明な硬い膜になっている広間に出ました」

「一つの層が大きな部屋になっており、中央を貫いて昇降機を包んだ柱が建っておりました。シダー氏はこの層を『展望台』と呼んでおり、一般の人びとにも開放されている場所でありました」

「私たちが展望台に着くのは大体昼前頃でした。よく晴れた日には数人の男女や親子連れが散歩したり、外の景色を見たりしておりました。村長は一人ひとりに挨拶し、景色を見て一緒に話しこんだりしておりました」

「わたくしは話が終わるまで、周りの景色を眺めておりました。シダー氏が話していた南方には、林冠が海原のように遠くまで広がっておりました。ところどころに大木が集まり、島のように盛り上がっているのが見えます。それぞれの島には、この村と同じように人が暮らしているのだとわたくしは思いました」

「東西にも同様に、遥か彼方まで森林の海が続いております。南にも森が広がっていましたが、地平線の手前で森が途絶え、砂浜が空と地の境目を白く縁取っているのが見えたのであります」

「わたくしは展望台にのぼるたびに景色を見回しました。毎回、視線は南方の砂浜でとまりました。その先にある海を幻視し、ぼんやりと思いを巡らせているとシダー氏に声をかけられ、我にかえることがしばしばでした。シダー氏はそういった時には何も指摘しませんでした。ただ『待たせてしまった。次に行こう』と言って再び昇降機に入るのでありました。わたくしも一緒に昇降機に入り、一つ下の階層に向かいました」

「展望台から一つ下の階層は、図書館になっておりました。人口は定かではありませんが、決して大きくはない村に比べて、ずいぶん立派で蔵書も豊富にあるようでした。図書館には製紙屋と文具屋、写本屋が付いておりまして、子どもたちが勉強する時などは、ノートやペンを買っていくのでありました」

「村には学校はありませんでした。村長に尋ねたところ、村長が各家に声をかけて集めた子どもたちに、古老達が分担して読み書きや算術、法律の基礎などを教えるそうです。『法律を子どもが学ぶのですか』とわたくしが驚いて言いますと、シダー氏は『年長の子どもになると、子どもたちだけで外に出る機会が多くなるからね。社会のルールを知っておくことは、他の村との対立を避けるためにも必要なことだ』と当然のように話しておりました」

「図書館から幅の広い廊下が伸びておりました。道は緩やかなカーブを描き、螺旋状になって幹を降りていきます。居住区によく似た作りでしたが、ここでは家の代わりに、店が並んでおりました」

「木でできた山刀や斧、葉を丸めたランタン、蔦のロープなどを扱う野良仕事道具の店、弓矢や銛など、狩猟の道具を扱う店などが品物を広げておりました。面白いのは楽器屋であります。ところどころから葉のついた枝が伸びる、木製の弦楽器や管楽器のようなものが売られておりました」

「わたくしが帝国で使われている楽器のことを話すと、シダー氏は『昔は死んだ木を使っていたらしいけど、この店の楽器はデクなんだ。弦や管の振動をデクがとらえて、何倍にも増やして響かせるんだ』と話し、板に6本の弦が張られた楽器を借りてきました。楽器を優しく爪弾くと、大きな音になってデクのうろ穴からはき出されてくるのでありました」

「店が途切れると、大きな扉がありました。これは樹の外に向かう廊下につながっておりました。廊下を歩くと、大きな作業場に出ました。部屋の奥にある扉からは、太い枝の上にある農場に出るとのことでした」

「農場には果樹、糸や紙の材料になる草木を生やしたデクが放し飼いになっています。収穫する時にはデクたちが自ら集まって樹の中に入り、作業員が収穫を終えて新しい作物の種をまくと、再び自ら外に出ていきます。そうして農場に戻り、足元の枝から水分や栄養を吸収しながら、日光を浴びて作物を育てるそうです」

「樹の外での作業はほとんどデクがおこなうので、人間が外に出る必要はあまり無いそうです。シダー氏も農場は見回りのルートに入れていないようでありました」

「わたくしは村長に頼んで、枝の上に出てみたことがありました。枝といいましても立派なもので、帝都の落月橋、明月橋もかくやという太さでありました。表面は平らになっていましたが柵もなく、それが風に吹かれてゆったりと大きく揺れるのです」

「シダー氏は平然と歩いていきましたが、わたくしは枝の上に出た途端に腰を抜かし、枝にしがみつき樹の中に這い戻ったのでありました。わたくしが恥ずかしい姿を見せた、と言うと、村長は少し笑って『あなたの国では、皆地面に近いところで暮らしているのだろう。私には想像もつかないけど、枝の上を歩くということはそうなかったんだろう。仕方ないさ』と言ってくれたのでした」

「農場は複数あり、外に出るための扉が廊下の螺旋に沿って並んでおりました。人通りのない廊下をしばらく早足で歩きますと、居住区の最上層に行きつきました。シダー氏は道ゆく人びととあいさつし、時々扉を開けて住人に話しかけながら、ゆっくり歩いていきました」

「そのまま螺旋廊下をおりていき、わたくしに割り当てられた部屋の前に戻るころには、語学教室が終わってからおよそ2時間ほど経っていました。わたくしはスキュウレに出迎えられて部屋に入るとテーブルに向かい、見回りの間にあった事、シダー氏やわたくしと住人の方々とのやり取りをノートに書きつけたり、見かけた物などをスケッチしました。仲良くなった料理人から分けてもらった果物や焼き菓子をつまむことも楽しみでありました。焼き菓子と申しましても、小麦粉を使ったものではなく、ナッツを砕いたものを蜜で練って、焼き固めたような物でした。香ばしく、素朴な甘さは忘れられません」

「その後昼寝をして、目が覚めるとスキュウレと遊び、語学の復習をしているうちに、気づくと夕食の時間になっておりました。漂着してから1年たつ頃には、すっかりこうした村での生活に体がなじんでおりました」

「ある日、朝食を持ってきてくれたシダー氏が、何やら難しい顔をしておりました。食事は普段通りのものでしたが、食事の後の語学教室はありませんでした。2人で食卓を片付けた後、おやと思っておりますと、シダー氏が口を開きました」

「『王府から通達が来た。あなたを王城に連れて行くようにとのことだ。謁見の日時も決まったので、間に合わせるために明日の夕方には出発する。心づもりをしておいてほしい』とのことでありました」

「シダー氏は『今日の語学教室と見回りはできなくなったので、持って行きたい荷物をまとめておくように』と言うと、慌ただしく部屋を出て行きました。わたくしは部屋を片付けはじめましたが、作業が終わるまで時間はかかりませんでした」

「持って行くことができそうな荷物は大してありませんでした。せいぜいが与えられた服とその着替え数着、書きためたノートとペン、そしてスキュウレとその寝床の水盆くらいでありました。わたくしは荷物を一箇所にまとめて積み上げておきました。翌日の朝、村長が持ってきた編みかごのトランクに、すっぽりと荷物が入りました」

「朝食と語学教室を済ませて、村長と一緒に見回りに出かけますと、村の人びとはわたくしを見て、口ぐちに『達者でな』『さようなら』と声をかけてくれました。土産にと果物や菓子、茶の入った水筒などを持たせてくれる人びともいました」

「わたくしはありがとう、と礼を言って土産を受け取りました。見回りを終えて部屋に戻る時には、土産物を詰め込んでトランクが一杯になっておりました」

(続)




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