ことわざをつくろう!
「鴨がネギを背負って来る」
→うまいことが重なり、ますます好都合であること
鴨鍋にネギは最高の組み合わせであり、その鴨がネギまで持ってきたらすぐに食べられ、好都合であることから。
「土足で入る」
→他人の私事や領分に無遠慮に立ち入ろうとすることのたとえ
日本文化において、外の汚れを持ち込まないようにするため、お寺や室内には土足で入ってはいけないという慣習がある。土足で入ることは謂わば最悪の行為であり、他人の家を他人の心や考えに見立てて勝手に上がる失礼な行為という慣用句となった。
ことわざや慣用句は昔からある言葉が伝わったもので、どこで誰が言い出したか、結構センスある言い回しが多い。まさに言い得て妙なのがことわざ、慣用句として現代で生きている。
現代まで昔の言葉が生きているんだ
だったらさ、
ことわざ、現代の俺らが創ってもよくね?
新しい言葉は生まれてはいる。新しくできた言葉は若者言葉として紹介され、そのうちでは、『ぴえん』だの『ぱおん』だの『り』だの。
しかし、どいつもこいつも短い言葉である。
iPhoneが流行ったみたいに言葉も小型化するのか。
そのiPhoneは最近どんどん大型化してるけども。
令和の昨今は流行りは廃れ、流行りは廃れ…
若者言葉も然りで、もはや古いとさえ思われる。なんだこの廃りの早さは。
物事の潮流が早すぎる。CM中の米倉涼子もびっくりよ。時代の潮流は早すぎる!って。
俺にだって短くてキャッチーな言葉思いついた。
『始祖人』とかどうよ。イソジンみたいで健康に良さそうだし。意味は先駆者、最初に思いついた人。短くて語感もいいからさ。えっ?賢すぎ?
始祖鳥があるなら人に変えてもよくねが?
えっ?始祖鳥がそもそもわかんない?
ダメ?あっ、そう…
海外でも新しい言葉が出来た事例もある。
ズラタンイブラヒモビッチという男がいる。スウェーデンの元サッカー選手。このズラタンはなかなかの漢である。取材中の同僚にハイキックをかましたり、別の同僚をゴミ箱にダンクしたり。奥さんにプレゼントは?と聞かれた際には、「何もあげる必要はない。彼女にはもうズラタンがいる。」と言った。あまりにも王が過ぎる。
折角なので、僕が一番好きなエピソードを紹介しよう。
ズラタンがコロナにかかったとき「コロナは俺とやる気らしい。あらぬ考えだ。」と発言。そして、コロナから復帰後は「ウイルスは俺に挑み、俺はそれを打ち負かした。だが、君たちはズラタンじゃない。ウイルスに挑戦などするな。頭を使い、ルールを尊重するんだ。常にソーシャルディスタンスを保ち、マスクを着用しろ。俺たちは勝つだろう。」と呼びかけた。ズラタンが過ぎるぞ(恍惚)。呼びかけ方もこの男らしい。大好きです!!
話は戻して、スウェーデンでは、このズラタンに因んで『ズラタネラ』という言葉が出来た。意味は、支配する。
ズラタンはスウェーデンで動詞となったのだ。現代の始祖人である。
いいじゃん
こういう感じでことわざも作っちゃいなよ。ことわざって現代で新しく出来ないことがモヤモヤするし。
だから、勝手にことわざを作ってみた。
作るにはまず、ことわざとは何なのかを分析しなければならない。
ことわざを個人的にカテゴリー分けした
①情景が思い浮かべられて、"転じて"によって例えられて派生した
②日常に絡んでいるあるある
③座布団あげたくなるほど、上手く、そして難しい言葉を使う
①情景が思い浮かべられて、"転じて"によって例えられて派生した
これは「飛んで火に入る夏の虫」がそうだ。自ら進んで火に向かって行く虫の様子から転じて、自ら危険や災難に飛び込んでいく様を表す。別に”夏の虫”じゃなくて”虫”でよくね?って思うがその考えは野暮よ。”夏の”が入っていることで、音が七五調になっているから語感がいいの。冬の方が火使うくね?って思うけど冬に虫いないから。始祖人も夏だったのよ。
「飼い犬に手を噛まれる」もそうだろう。日ごろから可愛がっているはずのワンちゃんに手を噛まれたらショックだ。転じて、目にかけていたものに裏切られ、害を受けることという意味である。
②日常に絡んでいるあるある
「藪から棒」がそうだ。茂みの多い藪から急に棒が出てきたらびっくりする。転じて、前置きがなく唐突であるさま。つーか、藪って今ある?藪って何?馴染みがないんだけど…
「海老で鯛を釣る」も。比較的安い海老を餌にしたら鯛釣れちゃったよ!転じて、少ない元手で大きな利益を得ること。海老もまぁあぁ高いけどな。
③座布団あげたくなるほど、上手く、そして難しい言葉を使う
これは「亀の甲より年の功」がその例だ。甲は甲羅、功は経験や努力や実績を積み重ねた結果や成果を表す。この甲と功をかけており、亀の年の長さと人の功を比べて年長者なめんな!っていうことを言っている。これの始祖人は早く誰かに言いたくて仕方なかっただろうなー。歌丸さんもめっちゃ座布団くれるわ、きっと。
似たようなことを言っていることわざもある。
「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」
→同業者であれば、仲間の考えや行動はよく知っているということのたとえ。めっっっっっっっちゃ当たり前のこと言ってるだけじゃん。なんや蛇の道は蛇て。蛇の道は蛇しか通らんからなぁって。短くてキャッチーじゃなかったら残ってないぞこいつ。ってかほぼ残ってないよ。「蛇の道は蛇」君の同業者が強すぎるからな、「餅は餅屋」先輩が。
「餅は餅屋」
→何事もそれぞれの専門家に任せることが一番であること。
餅のことは餅屋に聞け。魚屋や八百屋に餅のこと聞いても餅屋に聞けよって言われるのがオチだからな。転じて専門家最強ってことに。こっちも当たり前のこと言ってるけど、馴染み深いしことわざとしても優秀だ。
おそらく「餅は餅屋」を聞いて「俺も作ってみたい!」ってなって、実際に作ってしまったら二番煎じになってしまったのだろう。
さて、ここまで読んでくれた人たちももうわかってきたと思うが、ことわざにはよく"転じて"がある。
セコいくらい無理矢理な転じているものもあるが、大体は転じている。結局転じる。納得がいくように解釈を広義的にして当てはめる。要はこじつけ。
この”転じて論法”、転じて”こじつけ力”がことわざ界の礎であり、全てである。
よし、ことわざを創ろう!
ことわざを創るにあたり、あまりにも日常的に使うフレーズを用いるとことわざかマジなのか分からなくなるのでそれは避けよう。
「今朝寝坊した」とかことわざになってしまったら絶対にこんがらがる。寝坊の話するのなんか今朝以外ないし。1週間前の寝坊の話とかしないだろ。
あ、『先週の寝坊話』とかどうよ。
先週の寝坊話:どうでもいいつまらないことを改めて繰り返し言う様。転じて、冷める口説き文句。転じて、世間話。
いや、どうせ世間話に転じるならもう最初から世間話でいいだろ!!
でもむっちゃ面白い話の前振りの可能性もある。どの道ことわざ界の新人としては弱すぎる。
却下、次。
こういう時は場面を想像しよう。
~青春時代~
女「どうしたの、こんな廊下に呼び出して。」
男「実はずっと前から好きでした!付き合ってください!」
女「ごめん、むりっ。キショいから遠くへ行って。」
男「そんな…言い過ぎだよお…これじゃ『枯れ木に砂かけ』だよぉ。」
『枯れ木に砂かけ』ねぇ。なんか「枯れ木に花」に引っ張られているし、『老体にムチ打ち」の方がいいし面白い。そんで、やっぱり弱い。こんなおもんない文章見てらんねぇわ。両親の土下座かよ。
あれっ、『両親の土下座』は結構よくね?見てられない様を表しているし、日常的ではないが情景は思い浮かべられるし。意味は見てられない様、恥ずかしい様。
よし、採用。
一個思いついたらポンポン出てくる。何かに例えたらいいのよ。
『タンスに小指ぶつける』思いとか
結構あるあるだし、結構転じやすくね?って。「断腸の思い」より分かりやすい。そもそもマジで断腸のしたやつが言い始めたと思うんだけど、これがことわざとして蔓延るほど昔はみんな断腸してたんか?絶対タンスに小指ぶつける方が日常的でしょ。タンスじゃなくても小指をどっかにぶつけると痛いし。『椅子に肘をぶつける』とかもいいね。
『王宮の壁』
王宮の壁って想像してみてほしい。絶対きれいじゃん、豪華じゃん。ほら、もうみんなも転じてごらん。俺は転じさせたら、荘厳で綺麗なさまになりました。
『ご飯特盛り豚汁5杯』
シンプル多すぎる。そんな食べてちゃんと全部栄養になってくれるんだろうか。転じて、程度が甚だしいさまを表す。
『母の小言』
宿題をやろうと思っていた時に必ず言われて、やる気を失う。マジでそろそろやろうと思っていた時に言われる魔法の言葉。転じて、理解していることを改めて言われ、興が冷めること。
『帰ったら水出しっぱ』
帰ったら水出しっぱなしでいる事に気づいたら青ざめる、絶対にな。転じて、問題が起こり後になって気づき後悔するさまを表す。
子「この前お腹痛すぎて病院行ったんだよ。そしたら断腸してるって言われたわ。いった!」
父「大丈夫か?『タンスに小指ぶつけて』んな。かわいそー。どんくらい痛い?」
子「そりゃもう『ご飯特盛り豚汁5杯』よ。」
父「なんでそうなったの?何かした?」
子「夜走ってたんだけどさ。星空が『王宮の壁』すぎて見上げたまま走っていたら、思いっきりぶつけて。」
父「見上げたまま走るな。そんでドジすぎて見てらんないわ。『両親の土下座』じゃん。『帰ったら水出しっぱ』にならないようにちゃんと病院通うんだよ。」
子「もうみんなに散々言われたって。『母の小言』いうなよ、父が。」
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