『新版 ヴィイ調査ノート』一部公開 (I 伝承から見るヴィイのなりたち)冒頭

2018年8月12日発行の同人誌『新版 ヴィイ調査ノート ―ウクライナ・ロシア妖怪虚実景』(第2版)の一部を無償公開用として抜粋したものです。細かい体裁などは無調整です、悪しからずご了承ください。
前回はこちら

本記事序盤に出てくる0‐2などはこちらをご参照ください。

なお、『新版 ヴィイ調査ノート』についての概要・通販等はこちらからご確認ください。
https://anachrism.hatenadiary.com/entry/2099/12/31/000000





 I 伝承から見るヴィイのなりたち

0 目的

ヴィイという魔物はどこからやってきたのか――多くの人々がこの疑問に挑んできた。第I部はその成果と周辺資料についてまとめておくことを目的とするものである。
そのため妥当性等についてはひとまず評価を保留して出来る限り多くの説を取り上げるという方針で記述しており、相互に対立する説も含めたやや雑多な内容となっている。結果的にヴィイの正体を探るよりもヴィイを生み出した伝承・文学的背景の広がりを記述するような形になっている、という点を念のため記載しておく。
また調査が体系的ではなく目の届く範囲に留まること、および著者個人の能力的な限界もあり、ここで紹介する資料は日本語で書かれた論文や書籍が中心であり、資料収集、考察等について手の届かないところも多い。研究の全体像や最新の成果について何らかの知見が得られる、といった期待はせずにお読みいただきたい。
文中、資料の紹介に加え、著者による資料間の類似点の指摘および仮説の提示を行っている箇所がある。コジツケめいた憶測を含むものであるため、資料中に書かれた事実や仮説と著者個人の考えは明確に分離するようつとめているつもりであるが、ご留意いただきたい。

1 ヴィイの外形から 

1‐0 ヴィイは実在しない 

0‐2に記載のとおり、ヴィイは作中で
・ウクライナ(小ロシア)に伝説が実在する
・侏儒(正確には地下の小人、後述)の親玉
・鉄の顔、鉄の指を持つ
・全身の土や地下に籠るような声など、大地・地下と関係する
・長いまぶたを持ち、自分では目を開けられない
・まぶたを上げれば(あるいは結界中の人と互いに見ることで)普通の魔物には見えない結界の中を見通し、破ることができる

といった描かれ方をされている。
しかし現在、ヴィイの伝承はゴーゴリの創作であり実在しないというのが定説となっている[i]。一方でヴィイの材料となった可能性がある伝承の存在は明らかになっている。以下、そのような例を紹介する。 

1‐1 ソロディヴィイ・ブニオ、魔女の夫 他

伊東一郎「《ヴィイ》――イメージと名称の起源」(『ヨーロッパ文学研究』第32号 早稲田大学文学部、一九八四 以下「伊東論文A」)によれば、スラヴ近辺には、一人で目が開けられない、あるいは目隠しをされているため普段は周りを見ることができないという神話的存在が伝わっている。以下、同論文に基づいてそれらを概観する。またその中で伊東の挙げていない資料等についても補足的に記載する。

伊東はまず、それら神話的存在の名称がヴィイとされている例を挙げている。伊東によればウクライナ・フォークロアにおけるヴィイの実在性を示唆しているのはロシアの民俗学者アファナーシェフの著書『スラヴ人の詩的自然観』第1巻(一八六五)だけである。同書で紹介されているポドリア地方(ウクライナ南西部)のヴィイは、「眼差で人を殺し、町や村を灰に変え」(伊東論文A)ることができるが、「その致命的な眼差は濃い眉毛と目にぴったりはりついたまぶたにおおわれており、おおぜいの敵をほろぼしたり、敵の町を燃やしつくす必要のある時だけ、そのまぶたが熊手でもちあげられる」(同論文)という。この記述はロシアの月刊誌である『祖国雑記』一八五一年七月号が出典とされているが、伊東によれば該当する『祖国雑記』の記事「ポドリアで発見されたスヴャトヴィトの偶像」[ii]は、ウクライナの隣国であるポーランド・クラクフの新聞『時』の記事をワルシャワ特派員レストヴィツィンが翻訳したものであり、元の記事でその神話的存在はヴィイではなく別の名前で呼ばれている。ソロディヴィイ・ブニオ(Солодывый Бунио)がその名である。記事ではポドリア周辺のボホトと呼ばれる広い平地に在った大きな町が、ソロディヴィイ・ブニオの眼差しの力によって滅びたという伝説を紹介している。(伊東は具体的には述べていないが、本来、このソロディヴィイ・ブニオが敵や町を滅ぼすという話であったものが、引用されるに当たりヴィイと誤解されたと考えられる。)
また伊東論文に引くW.ラルストン『ロシア民衆の歌謡』(一八七二)では《セルビアのヴィイ》に言及しており、ウクライナ以外のスラヴ・フォークロアでヴィイの名称が記録された事例と見える。ただしその内容は前述のソロディヴィイ・ブニオの話と同一であった。同書は該当箇所および周辺の記述を『スラヴ人の詩的自然観』に依っているため、ソロディヴィイ・ブニオがヴィイとされていることも納得できるが、なぜか元の「ポドリア」でなく「セルビア」のヴィイとしている。伊東はラルストンが何らかの理由でヴィイをセルビア・フォークロアに固有のものと取り違えたのではないか、としている。
つまりこれらの本で共にヴィイとされている存在は、実際にはヴィイではなく、ソロディヴィイ・ブニオという名称なのである。

以上のようにヴィイの名を持つ神話的存在がいないとすれば、ヴィイの材料をフォークロアに求めるには他の点での類似について検証する必要がある。では名称にかかわらず、同様の特徴を持つ神話的存在にはどのようなものがいるのか。前出の『ロシア民衆の歌謡』では『スラヴ人の詩的自然観』から二つの例を引いている。
ボヘミア・スロヴァキアに伝わる〈早目〉と呼ばれる巨人は見たものすべてに火をつけてしまうため、目隠しをしておかなければならない。
またロシア民話に登場する巨大な眉毛とおそろしく長いまつ毛を持つ老人は、その特徴のため目がよく見えず、〈この世〉を見たいときには鉄の熊手で眉毛とまつ毛を持ち上げる力持ちの助っ人を呼ばなければならない。

なおこうした事例の直前には、「たとえば、小ロシア人は夏の稲妻のことをモルガウカと呼び、それを見ると『まばたけ、まばたけモルガウカ』と叫ぶ」(伊東論文A)、つまり稲妻を何らかの目の作用として捉えていると伺える箇所がある。またこれらの後には前述の《セルビアのヴィイ》が掲載されている。ラルストン、そしてその元になったアファナーシェフは(ポドリア/セルビアのヴィイ=ソロディヴィイ・ブニオを含む)これらすべてを稲妻のメタファーと解釈したようである。

先に紹介した〈早目〉は、伊東によれば「のっぽと太っちょと早目」という民話からの引用である。おそらくこれと同一の民話が、チェコの民俗学者カレル・ヤロミール・エルベンの採集した「のっぽ、ふとっちょ、千里眼」[iii]およびアンドルー・ラング編纂の『はいいろの童話集』所収のボヘミア民話「のっぽとふとっちょと目きき」[iv]である。それぞれ一つの超常的能力を持った何人かの仲間(あるいは家来)が主人公に課された難題を解決する、という比較的ポピュラーな話型であるが、両者は細部が異なるもののほぼ同一のストーリーである。登場人物の一人である「千里眼」あるいは「目きき」は、「なんでもつきぬけて見え」(カレル・ヤロミール・エルベン著、木村有子訳『金色の髪のお姫さま――チェコの昔話集』岩波書店、二〇一二)るため、はるか遠くにある隠されたものでも見ることができるが、目が見えすぎるために両目に包帯で目隠しをしていないと、見たものは何でも燃え上がるか粉々に割れてしまうのである[v]。隠されたものを見ることができる点はヴィイを、すべてを破壊する視線はソロディヴィイ・ブニオを連想させる。まぶたや眉毛ではないが、目隠しも普段は目を覆い隠しているという点で共通である。ただし、いずれもチェコの話であるため、ウクライナとはやや離れており、ゴーゴリがその話を知っていたかは定かではない。

「巨大な眉毛とおそろしく長いまつ毛を持つ老人」が登場するロシア民話はアファナーシェフの『ロシア民話集』に収められた「イワン・ブィコヴィチ」(「牛の子イワン」)を指すと思われる。「イワン・ブィコヴィチ」のうちその「老人」にかかわる部分は、アファナーシェフ著・中村喜和編訳『ロシア民話集』(上)(岩波書店、一九八七)の「牛の子イワン」によれば、次のとおりである。

牛の子である豪傑イワンは怪物たちを殺し、その復讐をしようとする怪物の妻たちも殺した。怪物の妻たちの母親である魔女はイワンを捕まえると地下の国にいる年老いた夫のもとへつれてくる。鉄の寝台に横たわっていた老人は長いまつ毛と濃い眉毛が両目を覆っていたため何も見えず、十二人の剛力の勇士に命じて熊手で眉毛とまつ毛を持ち上げさせ、イワンの顔を見た。老人はイワンに自分の妻とするために金髪の巻毛の女王を連れてくるよう命じ、魔女は腹立ちのあまり水に飛び込んで死ぬ。老人はイワンに、ある樫の木を叩いて命令すれば船が出てくる不思議な棍棒を与えるが、イワンは棍棒で樫の木の中にある船すべてを奪う。首尾よく金髪の女王を手に入れたイワンは老人と女王を賭けて争い、老人は賭けに負けて深い穴に落ちてしまう。

 なお金髪の女王を手に入れる箇所には、一芸に秀でた仲間たちの手助けを受けるという前出の話型が挿入されているが、仲間のうちに「何でも見える」者はいない。 

他にも伊東は本論文および「ロシア民話と民間信仰――邪視の文化史」(藤沼貴 編著『ロシア民話の世界』早稲田大学出版部、一九九一 以下「伊東論文B」)で、白ロシア民話「プラズ・イリュシク」(「イリュシカのおかげで」)の皇帝プラジョルやロシア民話「ワシーリイ王子」の〈獅子王〉(ライオンの王)など、普段は目が見えず、眉毛などを他の者に熊手などで持ち上げさせるという同様のモチーフを持つ存在を紹介している。皇帝プラジョルは眉毛がびっしり生えていて何も見えず、熊手で持ち上げさせる。また獅子王は何によって目をふさがれているかは不明であるが、熊手を目にあてがうことでものを見ることができる。

伊東が挙げたもの以外では、小澤俊夫編、関楠生訳『世界の民話27 ウクライナ』[vi](ぎょうせい、一九八五)所収の「犬のヤンコとその英雄的な行為」(一八九六年採録)にそうした人物が登場する。この民話は犬の子であるヤンコの出生や、ヤンコが竜とその恋人たちを殺すことなど「牛の子イワン」と共通点が多い。
「牛の子イワン」での怪物に当たるのがこの「犬のヤンコ~」では竜である。また、まぶたが長いのは魔女の夫ではなく竜の恋人たちの母親である魔女自身である。
あらすじはおおむね以下のとおりである。

犬のヤンコは星、月、日をさらった竜たちを殺して光を取り返し、その恋人たちが母親である魔女の家に来ている時に猫に化けて家に忍び込んだ。魔女の娘たちは猫をヤンコではないかと疑い、魔女のまぶたを鉄のフォークで持ち上げた。魔女は猫を見てその正体がヤンコであることを見破った。
その後、魔女は娘を殺されてヤンコを追ってくるが、ヤンコの叔父である鍛冶屋の屋敷の門にまぶたを挟まれる。ヤンコの策により一度門が開いたため、魔女は頭を屋敷の中に滑り込ませたが、直後に再度門を閉ざされて逃げられなくなった。ヤンコは魔女を脅し、一時間で全世界を駆け巡る馬に姿を変えさせて自分の馬とする。その馬を魔女の兄である悪魔「エレひげ」に奪われ、馬を取り返す条件としてヤンコが「第七の国」の皇帝の娘に求婚しに行く。その際、超常的能力を持つ六人の男たちを仲間にするが、その中には桶のような目をして何でも見ることができる男もいた。魔女の妨害に遭いながらも仲間の助力で首尾よく皇帝の娘を妻とし、その後エレひげに騙されて妻を奪われるものの最後にはエレひげを殺し、妻と馬を取り返す。 

「牛の子イワン」の類話ではあるが、まぶたを持ち上げることで猫に化けていたヤンコの正体を「見破る」という点はヴィイに近いと言える。
同書の後書きには「ウクライナの伝説では、長いまつげを持った男が登場したり、主人公への敵対者として、長いまつげを持った女が登場します。」とある。

また、ロシア・ウクライナ以外の地域で類似の外見を持つ存在の事例を、参考として二例紹介する。

D・ナネフスキー編、香壽・レシュニコフスカ訳『マケドニアの民話』(恒文社、一九九七)所収の「金の小鳥」には、「眉も睫毛も胸に届くほど伸び、指の爪もずいぶんと伸びた」「白いあごひげのおじいさん」が登場する。主人公に自分の爪、そして(よく見えるように)眉と睫毛を切るように頼み、主人公が頼みに応じると助言と道具を与えるという役回りである。

直野敦、住谷春也 共訳編『ルーマニアの民話』(恒文社、一九七八)所収「花が歌うイレアナ」に登場する「白髭が膝までとどいた老人」は、眉毛が長く伸びて目にかぶさり、「物を見るには杖でもちあげなければならないほどだった」と記されている。主人公と対面する際に「杖で眉毛をかかげて」見つめた、とあり、ものを見るのに他者の助力は不要のようである。この世の果ての先にある深淵の中の水車小屋に住んでおり、主人公の目的達成の助けとなった。なおこの深淵は地下とも取れるような描写がある。

 伊東によればヴィイと「イワン・ブィコヴィチ」の老人のイメージの類似は早くから指摘されていたとのことである。ここまで見てきたように類似した外見を持つ存在の登場する民話が他にもある中で、特に「イワン・ブィコヴィチ」との類似が言われる理由について彼は述べていないが、老人が地下にいること(ヴィイと地下の関わりについては1‐0に記載)、および魔女と夫婦であること(「ヴィイ」では魔女とヴィイは夫婦ではないが、魔女とヴィイだけが魔物たちの中で主役級の存在である、ヴィイが魔女の手助けとして決定的な役割を果たすなど、ストーリー上で深い関係を持っている)、などによるものであろうか。あるいは単にこの話が学者たちの間で早くから知られていたためとも考えられる。

「イワン・ブィコヴィチ」の公刊が「ヴィイ」の発表よりも後であったため、「ヴィイ」が逆にこの民話に影響を与えたという仮説もある。しかし前述のように同様のモチーフが東スラヴ全体に広がっていることが明らかになったことから、もはやこの仮説は支持しがたい、というのが伊東の意見である。

なお、名称としてヴィイに類似したものとしては、眼差しで人を殺す力を持つヴィラという女性の妖精が西・南スラヴに伝わってはいるが、外見的特徴としては目を覆うまぶた、眉毛、まつ毛などについて特に言及されていない。また、ヴィイはウクライナ語では男性名詞であるが、男性のヴィラは存在せず、仮にヴィラが男性名詞となってもヴィレニャク、ヴィレニク等となってヴィイという形にはならない、更に意味としても「ヴィラに愛された人間の男」を指すと伊東は述べ、ヴィイとヴィラが異なるものであることを示唆している。 

以上のように、外見的特徴および名称の双方がヴィイと合致する存在は今のところ伝承からは発見されていないが、外見的特徴については近しいものが発見されている。伊東はこれら神話的存在の特徴として濃い眉毛や長いまつ毛が多く見られる、とし、ヴィイが(例外的に)長いまぶたを持っている点について理由を考察しているが、これは後に譲る。 

1‐2 「疥癬かきの」ブニャク、ボニャク

 栗原成郎『ロシア民俗夜話』(丸善ライブラリー、一九九六)では、一人で目を開けられず、また恐ろしい視線の力を持つ魔物として「疥癬かきの」ブニャクというウクライナの伝説を紹介している。

・ブニャクはまぶた(ときには眉)が異常に長く、物を見たいと思うときは二人の人間が大熊手で彼のまぶたを持ち上げねばならなかった。彼の目つきは恐ろしく、その目で見られたものはすべて死ぬ。ある日、自分の目を鏡で見たブニャクは恐ろしさのあまり地の下に転げ落ち、悪魔とすり替った。

栗原は言及していないが、これはおそらく、1‐1 に登場したソロディヴィイ・ブニオと同根の伝承であろう。そして、これら二つのもとになったのは、十一世紀から十二世紀に実在したとされる人物、ボニャクであると考えられる。

伊東論文Aによれば、1‐1で紹介したポーランド・クラクフの新聞『時』および『祖国雑記』の記事では前述のとおりソロディヴィイ・ブニオが町を滅ぼしたという伝説を紹介した後、年代記の「最初のモンゴル侵入の記述」(伊東論文A)で言及される軍団の統率者ボニャク(Боняк)とソロディヴィイ・ブニオの関係を示唆している。そして「ポドリアでは子供でもこのおそろしい怪物の話を知っていると述べ」(同前)ている。

ソロディヴィイ・ブニオ、そして「疥癬かきの」ブニャクは、このボニャクが変化した伝承であると考えられる。

『原初年代記』は、キエフの僧侶の手になる、ロシアの成り立ちを書いた貴重な歴史資料である。『過ぎし歳月の物語』、『ネストルの年代記』とも呼ぶ。聖書のノアの子から始まる神話的な出だしを経て、西暦八五二年~一一一〇年の古代東スラヴ民族の歴史と風俗、ロシアの建国などについて書かれている。原本は失われ、現在伝わっている写本は『ラヴレンチー年代記』と『イパーチイ年代記』に収録されている[vii]。なお、両写本には一部相違があるようである。
この中に、ポロヴェツのハーンの一人であるボニャクが登場する。なおポロヴェツとは「11―13世紀に黒海北岸のドナウ・ヴォルガ間のステップを支配したトルコ系遊牧民。キプチャク人、クマン人とも称せられる。」(京大西洋史辞典編纂会 編『新編 西洋史辞典 改訂増補』東京創元社、一九九三)という民族である。ボニャクはたびたび略奪行為を行い、ロシアの人々を脅かしている。この時期のロシアはロシア人同士の勢力争いやポロヴェツとの戦いに明け暮れ、ロシア人の勢力がポロヴェツと手を組むことも珍しくないという状況であった。なおここで言うロシアはキエフ・ルーシ、キエフを首都とした歴史的ロシア国家を指す。混乱を避けるために繰り返すが、現在のキエフは前述のとおりウクライナの首都である。

『ラヴレンチー年代記』に収録された「原初年代記」写本は全編を和訳で確認できる(後述『ロシア原初年代記』)ため、以下同書に基づき、やや長くなるがボニャクの記録を要約する。

西暦一〇九六年、ボニャクは軍を率いてキエフの付近を荒らし、キエフ郊外にあった公の邸を焼いた。同じ年に再びキエフにやってきて複数の修道院や村、邸宅を焼き、キエフの文化的中心であったペチェルスキー修道院を占領して略奪をおこない、修道僧を何人か殺している。

翌一〇九七年、ロシアの権力者の一人であるダヴィドがボニャクと手を組み、ウグリ(ハンガリーのマジャール族)を攻めた。ダヴィド・ボニャク連合軍が夜営をしている際、

「夜が更けたときボニャクが起き上がり、(馬に乗って)軍勢から離れて狼のように吠え始めた。すると(一頭の)狼が彼に答えて吠え、多くの狼が吠え始めた。ボニャクは来て、「明日私たちはウグリに勝つ」とダヴィドに告げた。」

(國本哲男、山口巌、中条直樹他訳『ロシア原初年代記』財団法人名古屋大学出版会、一九八七)

果たしてウグリが十万の軍勢、ダヴィドとボニャクは四百人の軍勢だったにもかかわらずウグリは敗走した。ボニャクは逃げる彼らを二日間追跡し、四万人を殺した。

その後ダヴィドはヴラジミリの町を包囲したが、町を助けるべく攻めてきたスヴャトシャの軍勢に追われて再度ボニャクらのもとに逃れた。ダヴィドとボニャクはスヴャトシャを攻めて彼のいる町を包囲し、和を結んだ。

一一〇五年にボニャクは一冬ザルブにとどまり、トルコ人とベレンヂチ(トルコ系遊牧民の一つ)を打ち負かした。

一一〇七年にはペレヤスラヴリの近くで馬を奪った。また老シャルカン他多くの公と共にルビンに陣を布いたが、スヴャトポルク他ロシア人諸公の軍に攻められて敗走し、兄弟タズを殺された。

なお、『イパーチイ年代記』収録の『キエフ年代記』は『原初年代記』直後の時代についての記録であるが、ここにもボニャクの名が挙がっている[viii]。具体的には、キエフの侯である大ムスチスラフが息子を追放した理由として、侯が息子に助力を求めた際、息子が侯に従わずボニャクに有利であることを望んだ、という記述や、戦いの中でボニャクの子セヴェンチャが殺された、またポロヴェツのハーンであるコンチャークがキエフへの遠征を説く際にそこでボニャクが殺されたことを言明する、といった記述である。いずれ間接的な文脈での言及のため、ボニャクについて直接の記述は確認できないが、参考にした資料(レーベヂェフ編、除村吉太郎訳『ロシヤ年代記』 原書房、一九七九)がロシアの抄訳書を和訳したものであるため、省略された箇所で登場していた可能性は十分に残されている。
いずれにせよ『原初年代記』『キエフ年代記』の記述から、ボニャクが十一世紀から十二世紀当時のロシアの人々、特にキエフ近辺の人々と深いかかわりを持ち、激しく争っていたことがわかる。注目すべきは、一〇九六年、ボニャクが二度目にキエフを攻めた際の記述である。先にも引用した國本哲男、山口巌、中条直樹他訳の『ロシア原初年代記』によるとこうである。

「神を恐れない疥癬やみの略奪者ボニャクがまたもや突然、ひそかにキエフにやって来た。」

ここで、1‐2冒頭で紹介した「疥癬かきの」ブニャクと「疥癬やみの」ボニャクが同一であるとの推測が可能になる[ix]。

この箇所は原文では、「шолудивъıи」という単語で表されているようである(原初年代記原文(http://litopys.org.ua/ipatlet/ipat11.htm)の該当箇所より。ウクライナ語・古ロシア語とのこと)。アルファベットでこれと近い発音を表記すると "sholudyviy" となると考えられる。一方でソロディヴィイ・ブニオの「ソロディヴィイ」はキリル文字で表記すると「Солодывый」だが、これを近い発音で表記すると、 "solodyvy" となる。そして、現代ロシア語において「шелудивый」という単語は「疥癬にかかった」という意味の俗語[x]であるが、これをアルファベット表記すると "sheludivy" が近い音となる。同様の単語はウクライナ語では「шолудивий」[xi]、アルファベットでは "sholudyviy" と、より近い発音になる。多少の変化はあるようだが、おそらくすべて同一の意味であろう。ソロディヴィイ・ブニオは頭文字から違うが、同音が訛ったか、あるいはポーランドの新聞からの訳であるため、ポーランド語の音訳をさらにロシア語に音訳した結果として変化したものと考えられる。

また史実のボニャクが町の破壊を行ったことは、(1‐110ページ記載のクラクフの新聞『時』が示すとおり)ソロディヴィイ・ブニオが視線の力で町を滅ぼしたことと通じる。

同時代に活躍したポロヴェツの別の首長としてトゥゴルカンがいるが、ロシア叙事詩に登場するトゥガーリンという大蛇は、このトゥゴルカンの詩的表現である[xii]。このようにたびたびロシアを脅かしたポロヴェツの首長が魔物として描かれている例があることは、非常に示唆的である[xiii]。

ソロディヴィイが前述のとおり「疥癬にかかった」"sholudyviy"の変形であるとすれば、みな類似の名前を持ち、恐ろしい破壊者であるという点で、実在のポロヴェツのハーン・「疥癬やみの」ボニャク=疥癬かきのブニャク=ソロディヴィイ・ブニオは一本の線でつながる。前述のトゥゴルカンのように、ポロヴェツの首長が魔物として伝承され、その際に人や家畜を殺す、あるいは町を滅ぼす視線という特徴が加わった、と想像することができる。


(公開ここまで)


[i] 諫早勇一「ゴーゴリの『ヴィイ』の材源をめぐって」(人文科学論集』第15号 信州大学人文学部、一九八一)より。また、『ロシア学事始』(http://rossia.web.fc2.com/index.html)管理人であるПодгорный (Podgornyy) 氏によれば、ロシア科学アカデミー・スラヴ学研究所の編纂した事典『スラヴ神話学』では、ヴィイを「その外面的特徴と行動において東スラヴ神話の一連の登場人物に類似している」とし、完全にゴーゴリの創作による存在としているようである。なお項目中残りの記述はウクライナの民間伝承における「まぶた」の持つ意味について等に充てられている、とのことであった。同氏は(ロシアの最高学術機関である)ロシア科学アカデミーのスラヴ学研究所が出版した本でこのような記述がなされている以上、学界では「ヴィイはゴーゴリの創作」と見なされているのであろう、と結論付けている。

[ii] 同記事の原文(参考文献)では本文中で言及したことに加え、ソロディヴィイ・ブニオ(あるいは直前に言及されるボニャク、1‐2参照)を巨人であるとし、その姿をブレアレオス(ギリシア神話の巨人族・ヘカトンケイルの三兄弟の一人)やインドの叙事詩である『マハーバーラタ』の英雄にたとえている。更に、その視線を「最後の手段」(ultima ratio)と表現した上で、「チムールの軍隊が中世ヨーロッパの文明化した諸民族に向けた殺戮と破壊の精神」がもっとも詩的に描き出されたものとみなしている。チムールはボニャクよりも三世紀ほど後の人物であるが、共にトルコ系民族の軍事的な首長であることから、ヨーロッパに侵攻したトルコ系民族の代表としてチムールの名を挙げていると考えられる。なお、以上の内容は齋藤麻由美氏に翻訳いただいたものに依拠している。

[iii] カレル・ヤロミール・エルベン著、木村有子訳『金色の髪のお姫さま――チェコの昔話集』(岩波書店、二〇一二)で確認した。

[iv] 出典はルイ・レジエ訳『スラブの昔話』。アンドルー・ラング編・西村醇子監修『アンドルー・ラング世界童話集 第6巻 はいいろの童話集』(東京創元社、二〇〇八)にて確認した。

[v] なお、グリム童話にも類似の人物が登場する。「六人のけらい」〈KHM134〉に登場する男は見たものがなんでも破裂してしまうため目かくしをしている。主人公である王子の旅の途中で家来となり、王子が姫を手に入れるための試練の手助けをする点、その目の力で姫が隠れている岩を砕く点などは共通しているが、このグリム童話では何でも見通すことができるという特徴は別の登場人物が担当している。

[vi] 原著は西ドイツのオイゲン・ディーデリヒス社「世界文学のメルヒェン」シリーズ『ウクライナのメルヒェン』(一九七九)

[vii] 梅棹忠夫、江上波夫 監修『世界歴史大辞典』10巻(㈱日本教育図書センター、一九八五) 「過ぎし歳月の物語」の項(阿部軍治)より。

[viii] レーベヂェフ編、除村吉太郎訳『ロシヤ年代記』(原書房、一九七九)より。

[ix] なお確認した資料を基に、伝説上の存在はブニャク、史実のハーンはボニャクと書き分けているが、スラヴ圏ではブニャクも通常の人名のようであり、この使い分けが正確かどうかは定かではない。

[x] 和久利誓一・飯田規和・新田実 編『岩波 ロシア語辞典』(岩波書店、一九九二)によれば、他に「最低の、ろくでもない、いやらしい」といった意味もあるようである。

[xi] 末尾3文字がヴィイ(вий)である。ヴィイの名前をここから取ったという想像も可能ではあるが、単語の一部を切り取るのはやや強引なこじつけであろうか。また語源については他に有力な説があることなどを考えれば、あくまで妄想の域を出ない。

[xii] アファナーシェフ著・中村喜和編訳『ロシア民話集』(上)(岩波書店、一九八七)解説より。なお、蛇の魔物ではなく、人間の悪役として登場することもあるようである。

[xiii] このトゥゴルカンとボニャクは手を組んで戦ったことがある。ただしロシアに対してではなく、ビザンツ皇帝アレクシオス一世の依頼を受け、一〇九一年、コンスタンチノープルを包囲していたペチェネグ族(遊牧民でタタール族の一派)・ハンガリーのボゴミル教徒らを撃退したのである。トゥゴルカン・ボニャクとビザンツの連合軍は数万人を一日で虐殺した、とも言われている(ゲオルグ・ソウトロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(恒文社、二〇〇一)、田中 陽兒、倉持 俊一、和田 春樹 編『世界歴史体系 ロシア史1 ―9~17世紀―』山川出版社、一九九五)。そのため史家によって彼らはビザンツ帝国の救い主とされている(前出『原初年代記』の注より)。

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