『新版 ヴィイ調査ノート』一部公開(0 はじめに)

2018年8月12日発行の同人誌『新版 ヴィイ調査ノート ―ウクライナ・ロシア妖怪虚実景』(第2版)の一部を無償公開用として抜粋したものです。
細かい体裁などは無調整です、悪しからずご了承ください。
なお、『新版 ヴィイ調査ノート』についての概要・通販等はこちらからご確認ください。
https://anachrism.hatenadiary.com/entry/2099/12/31/000000



0 はじめに

0‐0 この本について

ヴィイという魔物について、調べたことを記録しておくのが趣旨である。私的なメモのまとめという側面が大きいため、冗長かつ脱線の多い文章であることをあらかじめお断りしておく。

0‐1 ヴィイについて

ヴィイ(Вий)[i]とは、ロシアの文豪ゴーゴリが一八三五年に発表した小説の題名、およびその小説に登場する魔物である。この文章ではもっぱら後者、つまり魔物の名称としてヴィイを扱うこととする。小説を指す場合は、「ヴィイ」と鉤括弧をつけて表記する。ヴィイ、ブイイ、ヴィー、ヴィヰなど様々な表記があるが、原文のあるものはその表記に従い、それ以外についてはすべてヴィイと表記する。

0‐2 小説「ヴィイ」について

「ヴィイ」は前述のとおり、ゴーゴリの著した小説である。一八三五年発表の短編集『ミルゴロド』におさめられている。なおこの『ミルゴロド』はウクライナを舞台にした話を集めているが、題名になっているミルゴロドはゴーゴリの出身地であるソロチンツィにほど近い町である。

「ヴィイ」の粗筋は次のとおりである。 

ウクライナの首都キエフにある神学校の哲学級生(神学校の四学年中、上から二つ目の学年の学生。主に哲学を習ったためそう呼ばれる)ホマー・ブルートは、神学生のご多分に漏れず陽気で粗野な不良学生である。同じ神学校の仲間と三人で夏休みの旅の途上、彼らはある老婆の家に宿を借りるが、老婆は魔女であった。夜になるとホマーは老婆に操られ、老婆を背中に乗せて走り出す。家から飛び出て広野を走るうち、ホマーの体は地表を離れ、空中を走っていく。空中から地表を見下ろすと、不思議なことに透き通った地面の下に水の精(ルサルカ)の泳ぐさまが見える。その後ホマーは悪魔祓いの呪文で老婆の呪縛から脱し、逆に老婆を木の棒で散々に打ち据える。息絶えて倒れた老婆はいつの間にか美女に変わっていた。
彼は神学校に逃げ帰ったが、ある富裕なコサック[ii]の百人長(中尉に相当)の住む村落に呼ばれ、その百人長の死んだ娘のために三晩の祈祷をする事になる。「私が死んだらホマーに三晩の祈祷をお願いしたい」と遺言を残したその娘は、ホマーが先日打ち据えた美しい魔女であった。
最初の晩にホマーが教会でひとり祈りを捧げていると、死んだ娘が起き上がり、彼に向かって来た。ホマーが自分の周りに円を書き、悪魔祓いの呪文を唱えると、娘は円の中を見られず、円の中に入ることもできない。娘は棺に戻り、棺ごと飛び回り始めたが、やはり円を突き破って侵入することができなかった。棺が元の位置に戻って再び娘が立ち上がろうとしたときに一番鶏が鳴いたため、娘の死体は横たわって動かなくなり、ホマーは助かった。次の晩にホマーが同じように円の中で祈祷をし、娘から身を守っていると、娘は呪文を唱えて仲間の魔物を呼んだが、魔物たちが堂内に侵入する前に鶏が鳴き、事なきを得た。三日目の晩には娘と多くの魔物たちがホマーの描いた円の周りに集まったが、やはり彼を見つけられない。

「「ヴィイを連れて来い! ヴィイを迎えに行け!」死人の声が響き渡った。と、突然教会の中が静まり返った。遠くに狼の吠え声が聞こえたが、間もなく重い足音が聞こえてきて、教会中に響き渡った。ちらと横目で見ると、なにやらずんぐりとして、頑丈な、足が内側に曲がった人間が連れて来られるところだった。全身真っ黒な土にまみれている。筋張った、頑丈な木の根さながらの、土のこびりついた手足が目についた。絶えずつまずきながら、重い足取りで歩んでくる。ながあーい瞼が地面まで伸びていた。その顔が鉄であることに気づいて、ホマーはぎょっとした。化物は両脇を抱えて連れてこられ、ホマーの立っている場所のすぐ真ん前に立った。
「おれの瞼をあげてくれ。見えない!」とヴィイが地下に籠るような声で言った。魔物どもが一斉に駆け寄って、瞼をあげようとした。《見るんじゃない!》――となにやら内心の声が哲学級生にささやいた。が、我慢できなくなって、見た。
「ここにいる!」とヴィイが叫んで、鉄の指をホマーに向けた。そこにいた限りの魔物がホマーに飛びかかった。」

(小平武訳「ヴィイ」(『ゴーゴリ全集 2 ミールゴロド』河出書房新社、一九七七))

ホマーは恐怖のあまり死んでしまうが、魔物たちも一番鶏の声に気付かなかったため夜が明けてしまい、扉や窓にはりついて取り残されてしまった。化け物がくっついたままの聖堂は、今や訪れる道もわからない。

なお、「ヴィイ」の冒頭では、

「ヴィイとは一般民衆の想像力による所産である。小ロシヤ人の間でその名で呼ばれるのは侏儒こびとの親玉のことで、その両目の瞼は地面にまで垂れている。この物語はそっくりそのまま民間の伝説である。わたしはこの言伝えに少しも手を加えまいとした。ほとんど耳にした通りの、素朴さのままに語るのである。」

(同前)

と、このストーリーおよびヴィイという魔物が実在する伝説であることが強調されている。

本作品の日本語訳は前出の小平武の他、平井肇、原卓也など多くの人により手がけられている(巻末の翻訳一覧参照)。また水木しげるがこの作品を翻案した漫画を二度にわたって描いており、キャラクターとしても「ゲゲゲの鬼太郎」などに登場させている。水木しげる他、数々の妖怪図鑑にもヴィイは登場している。

0‐3 「ヴィイ」の映画化

「ヴィイ」はソ連で一九六七年に制作された映画でも知られている。小説「ヴィイ」に比較的忠実に作られており、タイトルも原題どおり『Вий』である。日本にも輸入され、『妖婆 死棺の呪い』または『魔女伝説 ヴィー』の題でテレビ放映、劇場公開、ビデオ化されている[iii]。この映画については梅津紀雄「『妖婆・死棺の呪い』論――ゴーゴリのロシアからプトゥシコのソ連へ」(一柳 廣孝/吉田 司雄 編著『ナイトメア叢書4 映画の恐怖』 青弓社、二〇〇七)に詳しい。

ただし「ヴィイ」の映画化はこれが唯一ではない。『妖婆 死棺の呪い』Blu-ray封入特典の伊東美和による作品解説リーフレットによれば一九〇九年にはワシリー・ゴンチャロフ[iv]によるもの、一九一二年には監督不明の作品、一九一八年にはウラジスラフ・スタレーヴィチ[v]の作品と、『妖婆 死棺の呪い』以前にロシアで「ヴィイ」を基に三本の作品が撮られている。その他にも「ヴィイ」を原作とする映画はロシア内外を問わず制作されているようである。[vi]

ロシアでは近年新たにウクライナ・チェコと合作で「ヴィイ」を素材とした映画『レジェンド・オブ・ヴィー 妖怪村と秘密の棺』(以下『レジェンド・オブ・ヴィー』)[vii]が制作され、二〇一四年一月三十日に公開された。また同作のDVDも発売されている。日本では二〇一五年四月三日[viii]にDVDが発売され、二〇一五年八月八日から十四日に京都みなみ会館で上映された[ix]。また同時期に衛星放送のWOWOWでテレビ放映もされている。ストーリーは「ヴィイ」や『妖婆 死棺の呪い』そのままではなく、英国人の地図製作者ジョナサン・グリーンが旅の途上でコサックの村に迷い込み、事件に巻き込まれるという展開である。原作である「ヴィイ」の後日談として描かれ、登場人物も一部共通している。

なお、二〇一七年九月現在、ロシアにおいて『レジェンド・オブ・ヴィー』の続編が制作されている[x]。二〇一八年公開予定の二作目『龍印の謎 : 中国への旅』[xi]では中国が、二〇一九年公開予定の三作目『不滅の入り口で : インドへの旅』[xii]ではインドが舞台となるようである。ロシアンフィルムグループのサイトによれば、二作目にはアーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、ルトガー・ハウアーなどの俳優が出演する。


[i] ロシア語ではВ и й 、ウクライナ語ではВ і йと綴る。なお一九一八年の正書法改革以前はロシア語のアルファベットにも і が存在したため、ロシア語の文献でもВ і йと綴っているものはある。ただしゴーゴリがどちらを使っていたかは未確認である。

[ii] 「南ロシア、シベリア、ウクライナなどで活躍した騎馬に巧みな戦士集団。」(『大百科事典』5巻 平凡社、一九八四)

[iii] テレビ放映、劇場公開時は『妖婆 死棺の呪い』、二〇〇〇年にDVDが発売される以前のビデオソフト(VHS版、LD版)は『魔女伝説 ヴィー』の邦題だったと思われる(「妖婆 死棺の呪い」公開記念パンフレット および後述 Blu-ray版リーフレットを参考とした)。二〇〇〇年以降に発売されたDVDおよびBlu-rayの題はいずれも『妖婆 死棺の呪い』である。日本での公開についてはII 2‐2で補述する。

[iv] ロシア初の劇映画『ステンカ・ラージン』(一九〇八)のシナリオ執筆や初の長編映画『セヴァストポリの防衛』(一九一一)の共同監督をつとめた。(山田和夫『ロシア・ソビエト映画史――エイゼンシュテインからソクーロフへ』(キネマ旬報社、一九九七)より)

[v] 動物人形アニメーション『カメラマンの復讐』(一九一二)監督で人形アニメの開拓者。実写劇映画も手掛けている。(前述『ロシア・ソビエト映画史』より)

[vi] 梅津前掲論文およびインターネット・ムービー・データベース(http://www.imdb.com/)によれば、「ヴィイ」を原作とした映画は本文に挙げた他に『血ぬられた墓標(La maschera del demonio)』(一九六一・伊)、上記のリメイクである『デモンズ5(La maschera del demonio または Demons 5: The Devil's Veil)』(一九八九・伊)、『Sveto mesto』(一九九〇・ユーゴスラビア)、『Ведьма』(二〇〇六・露)、『마녀의 관』(二〇〇八・韓)があるが、いずれもストーリーがアレンジされており、ヴィイは登場しないようである。また映画ではなくテレビ放映されたと思しきアニメーション『В і й』(一九九六・ウクライナ)は原作に比較的忠実な内容でヴィイも登場するようである。ただし確かな資料からの引用ができないため、本書では画像等の紹介は行わない。

[vii] 原題は『Вий 3D』もしくは『Вий』。ロシア版DVDでは、題名は『Вий』と表記されているが、同映画シリーズの公式サイト(http://www.viymovie.com/)等では『Вий 3D』と書かれ、Blu-ray版も『Вий 3D』が正式タイトルのようである。本文中では特に必要がない場合、邦題『レジェンド・オブ・ヴィー』で表記する。ロシア語版のみを指す場合は『Вий 3D』を用い、DVDはパッケージの題名に従う(ロシア版は『Вий』、日本版は『レジェンド・オブ・ヴィー』)。

[viii] 「トランスフォーマー株式会社」サイト内『レジェンド・オブ・ヴィー 妖怪村と秘密の棺』紹介ページ(http://transformer.co.jp/videogram/2015/04/tmss-315/)参照。

[ix] 京都みなみ会館 「お知らせ」内記事「【終了】8/8(土)~1週間限定上映『レジェンド・オブ・ヴィー 妖怪村と秘密の棺』」(http://kyoto-minamikaikan.jp/archives/21870)

[x] 同シリーズの公式webサイト(http://viymovie.com/ru/)、ロシアンフィルムグループ(以下RFG)のサイト内ページ
(2 http://russianfilmgroup.ru/projects/detail.php?ID=40 、
 3 http://russianfilmgroup.ru/projects/detail.php?ID=34 )を参考とした。

[xi] 原題『Тайна Печати дракона: путешествие в Китай』(RFGサイトより)。二〇一七年五月時点の公式サイトでは『Тайна Железной маски: путешествие в Китай』(鉄仮面の謎 : 中国への旅)とあったため、タイトルが変更になったと思われる、いずれが正式タイトルかは不明。なおRFGサイトにあるキービジュアルと思しき画像には、最下段に「В и й2」の記載があるが、英語版の同画像には記載がない。魔物としてヴィイが登場するかは不明である。同サイトで確認できるあらすじには「ヴィイと目を合わせるより危険なことは何か」とある。

[xii] 原題『На пороге бессмертия: путешествие в Индию』(RFGサイトより)。またキービジュアル内には最下段に「В и й3」の記載があるが、二作目と同様、英語版の同画像には記載がない。


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