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わたしの居場所的なところ

年齢を重ねた。

前は歳を取るのがすごく嫌で嫌でしょうがない感じだったけど、今はまだまだ未熟な自分がやっと大人の輪に爪先だけでも…入っていけそうなそんな気持ち。

最近よく自分の脚で立っていることを感じる機会があって、なんだか胸がいっぱいになることがある。いっぱいいっぱいなりによくやってるなーって、よくやってきたな〜みたいな感じ。

わたしの周囲の友人は年齢がきっと結婚などの人生の転換の時期で、いい知らせをよく聞くことがあるし、めでたいな〜と嬉しく思う。

私は自分で今は結婚しない選択をしているので、結婚欲がない。

最近身の回りの諸々で、生涯を共にする誓いをしたとしてもそんなのは子供の口約束みたいにすぐ破られるし、努力してその関係を続けようとお互いが歩み寄り続けないとすっからかんになってしまうなって思わされる事象をいくつも見る。

そういうすっからかんの状態が嫌で、すっからかんになるなら燃え上がる時間も欲しくなくて、今は誰かに対して能動的な気持ちを持っていないような気がする。

だけどそれだと漠然に寂しくて、これはどう扱ったらいいんだろう?の気持ちにもなる。寂しいけど誰かと付き合ったりその先の結婚を考えたりしたくない。これはただの我儘なんだろうか。わたしの交友関係が狭いだけなのか、みんな結婚の方向に向かってまっすぐ歩いていく姿しかなくて、そうしない自分を恥じているわけじゃないのにまったくもって自分だけが異世界人のように感じてしまうんです。

母親が命をつなぐことが女性の役割と言った言葉がいつも頭の隅をよぎるけど違和感でしかなくて、私はほどよい距離感を絶妙に保つ大好きな友達たちとずっと並行して歩いて行きたい…この先もずっと。


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もう殴り書きのように書きたいことだけを書くけど、

地元の食べ物といえば〜
と、友人のツイートを見かけて自分が小さい頃に住んでいた場所でよく食べたものをぽつぽつと思い出した。

でももう地元という場所"ホームタウン"にはもうずっと帰っていなくて、これは無意識になのかわからないけど昔から地元という場所に自分の居場所を作ったり意識することをしなかったからか、自分にはなんとなく『ここが私の帰る場所』と思えるところがない。ふつうに今住んでいる場所が私の居る場所です、物理。という感覚しかない。

地元といわれる場所には独特の空気やお作法的な文化があって、私は常々そこを地獄と呼んでいるけど、幼い頃からその地獄に常に違和感を感じて馴染めずにいた可愛げない子供だったから、これからもどこにも根差すことがなくふらふらとあちこちを歩いていくのかなあとぼんやり思う。

こういう時、とんでもなく自分が孤独みたいな気持ちになってしまうけど、その孤独がいつも自分を慰めてくれることがあったなあと感じたりする。本当は自分はもっとうまく賢く立ち回って褒められて可愛がられながら親孝行し、尽くしたい相手に優しくし続けることができたんじゃないかって、幾度も振り返るとそうなれた機会もあったけど、いつもの"違和感"を発動させる能力と誰かとの依存気味の関係を強制的に切り離してくれる自己中心的な孤独さんがずっと今のわたしの立ち位置を守ってくれていたと思う。

そして今後も誰かとそばで笑ったりしあいたあなあと思っても、それは常に私がケアしてあげたり私がケアされるばかりの関係をささずに、

ああいうなんともいえない孤独を持ち合って分け合えたり隣にいることができたらいいな。


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それから
私がやりたいなと思うことからずっと遠回りに走っている自分が嫌だった私へ。

いくら遠回りをし続けても、もう"そこ"から離れていってしまいそうな気配を確信的に感じ続けても、常に自分は"そこ"から離れずに無意識に微妙な軌道修正をしながらすごく微少な単位で近づいていっているから必ず自分を信じてください。

素敵な1年にしよう.


2020.03.02.



#日記 #雑記 #誕生日

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