漁村の娘
Aさんの祖母、吉江さんは昔、神奈川県の海沿いに住んでいたそうだ。
神奈川県の海沿いといっても横浜のような都会ではなく、小さな集落が山肌の斜面を何とか切り開いて作った小さな集落だった。
そして町へ行くためには峠を越えていかなければならず、台風などが来るとたいそう難儀したそうだ。
けれども村民達は何とか力を合わせ漁や養蚕に精を出し、つつましいながらもなんとかやっていけていた。
そんな集落にはある決まりごとがあった。
毎年12月の8日には村民全員日の暮れる前には家にこもり、夜明けまで決して出てはいけないというものだった。
そして家の前には必ず笊を立てかけておかなければならない。
よくわからない風習だが自分たちの生まれるずっと前から続いていたものなので集落中みんな何の疑問も持たずに従っていた。
けれどもその頃はすでにカラーテレビも出回り始めたくらいの年代で、当時16歳だった吉江さんは電気も通っていない集落にもそんな意味の分からない古びた風習を今も守り続けている村民たちにもほとほと嫌気がさしていた。
吉江さんはある計画を立てることにした。
そのために漁の手伝いや家事の合間を縫い町へ通うとある車持ちの若者と恋人となった。
そしてその年の12月8日の夜、こっそりと村から出ることにしたのだ。
コツコツと内職をしたり少ない小遣いをして家出のための資金を貯めるととうとうその日が来た。
その日はみんな起きていても仕方ないし明かりのための油や薪が無駄になるだけなのでみんな10時くらいには寝てしまう。
吉江さんは恋人の男に11時ごろに村の入り口まで車で迎えに来てくれるように頼んでいた。
家族が全員眠りにつくのを見計らうと吉江さんはまとめておいた荷物を持ち、家を出た。
その日は月どころか星の明かりも無い、全くの闇夜であった。
吉江さんはまず、自分の家の前にあった笊を蹴り飛ばすと小さな懐中電灯の明かり頼りに家々を回り始めた。無論、その家々の前にある笊を蹴り飛ばすためだ。
吉江さんはこう考えていた。
(もし、12月8日に家の前に笊がなくとも何事もないと集落のみんなが気がつけばこの古ぼけた漁村にも文明開化が訪れるかもしれない。私みたいに苦労する人がいなくなるかもしれない。)
吉江さんは生まれ育った集落への最後の奉公のつもりでそれをしていた。
1件、2件と家を周り集落の半分、20件ほど回った時、吉江さんは物音がすることに気が付いた。
(誰かにバレたか?)
しかしその音は足音や自分を呼ぶ声ではなく、ずるずると何かを引きずるような音で海の方から聞こえているようだった。
気が付くと辺りには魚が腐ったようなにおいがする。
吉江さんは冷水を頭からかけられてような気持だった。
笊を倒す、そんな些細な反抗がとんでもない愚行だった、理屈は分からないがそんな気がしたが今更海側の家々に戻って笊を直すなんて恐ろしくてできなかった。
恐怖に呆けていたがじゅるじゅるじゅるじゅると先ほどより大きくなっている異音に気が付くと村の入り口に走りだした。
脳裏には海から巨大なタコが這い出してきているところが浮かんでいた。
村の入り口に着くと灰色のセダンの中で恋人がタバコを吸って待っていた。
青い顔で息を切らしてかけてきた吉江さんを見て
「なんだい吉江ちゃん、家族にバレちまったんかい。別にオレはおやじさんに挨拶していったっていいんだぜ?」
本気なのか冗談なのかわからない軽口をたたいていたがそれに返事もせず
「は、早く行きましょう。」
そう震える声で言うことがやっとだった。
次の日、吉江さんの出身の集落ではおおよそ半分の住人が盲目になる事件が起きた。
ただ視力がなくなるのではなく両目の眼球ごと無くなっていたそうだ。
警察も訪れ事件を調査したが証拠となりそうなものは付近に残されたねばつくき、ひどく生臭い粘液と大木ほどのロープのようなものを引きずった跡しかなく、結局未知の風土病のようなものと結論を出して早々に去ってしまった。
ただ村の年寄達は口々に
「ヨウカゾウ」というものが行ったことだと言っていたという。
吉江さんは最後に峠から村を見下ろした際、海から伸びる一本の巨大な触手のようなものとその表面にある無数の「目」のようなものを見たそうだ。
その後、吉江さんはA子さんの母が8歳の時、家族で行った海水浴の最中に行方不明となり未だに行方は分からないという。
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