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言葉にできないなら、まだ掴んでいない

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自分の中で何かを「掴んだ!」という感覚があるのに、人にうまく説明できないことがある。共有したいのに、自分の頭の中を言語化できない。それは何も「掴んでいない」のと同じだ。

今日で私は、ボヘミアンラプソディを4回観た。そして、フレディの身体について「掴んだ」と思った事柄があった。ついさっきまで、それを書き進めていた。

うまく、言葉にできない。感覚的には掴んでいるつもりだ、でも人に伝えられない。「言葉が全てじゃないからさ」なんて逃げてちゃあ、私は一生素人ライターのままだ。

軽い言葉で伝えられた気にはなりたくはない。だから、私が感じた何かを音にできるまで、文字にできるまで、映画館に通うことにした。

正直私は貧乏だし、これから先の仕事も一切決まっていない。側から見たらすごくマズイ状況だ。でも、ボヘミアンラプソディについて書きたい。フレディの身体の変化から、感じた芯を捕まえたい。

「なんて言ったらいいのかわかんなーい」なんて、もう自分に言わせない。いいじゃないか、時間がかかったって。やりきったもん勝ちだ。情熱を持って自ら動けるものなんて、そうたくさんは出会えない。今このタイミングで出会えたから、こんなに惹かれたのだ。一年前の、口癖が「死にたい」だった私ではこんなに心を掴まれなかった。

明日私は、福岡の実家にいよいよ移る。毒親が怖いとか、正気を保っていられるかとか、そんなの関係ない。

フレディ・マーキュリー。その圧倒的な存在の、身体の使い方の変化に隠されたヒントを見つけたら、きっと私も劇的に変われる。

ああ、明日以降も楽しみだ。

#エッセイ #ボヘミアンラプソディ #フレディマーキュリー #身体の変化 #生まれて9683日目

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