無理するなと言うなら無理させないで

無理することが私がこの世に対処するときの唯一の解決策です。
体調悪くても大学に行って学歴を身につけて、体調悪くても職業訓練で資格を身につけて、体調悪くても学歴と資格を武器に最低賃金で就労しました。

障害者の無理がこの社会が健常主義であることによって生じたさまざまな歪みの唯一の解決策として便利に使われていることを感じます。

「無理してでも頑張る」「体調悪くてもやりたいことは全部やる」「双極性障害があろうが何もあきらめない」

体に悪いと思いつつも私の基本方針は現状こんな感じです。無理しないと生きられないと思っています。
友達は頓服とコーヒーです。
今日もただひたすら体動かねえ眠い鬱が辛い…と思いながらも二日入ってなかった風呂に入り、無理矢理仕事に行きました。
2時間くらい働いたら何もできなくなって、コーヒー水コーヒー水コーヒー水水という感じでカフェインと水分を流し込んでトイレに行って休んで続きを乗り切りました。それって乗り切れてないかもしれませんが。

支援者にこの前体調悪い時無理して動くなといわれたけど、じゃあ毎日休む。クビになる。生活できない。
みたいな気持ちになりました。



私は労働者という身分にも労働で得られるいくばくかの金銭にも執着していますが、「なんかをやってる感ある」ことにもしがみついていると思います。

具合が悪いからと布団に横たわって天井とかTwitter見てるのって、つまんないし、お金ももらえないし、なんか悔しい。寝てる暇あったら勉強して収入に繋がるような資格でも取りたいのに…と頭にくる。能力主義、生産性重視しすぎ、とも思うけど、現実泣きたくなるくらい稼げてない訳で、金のことは常に頭にあって、それも頭にくる。

これまで支援者や友人、恋人や家族に無理しないで、とか、休んで、とか、体調悪い時は行動を制限して、調子いい時も調子悪い時に備えて、とか言われてきたわけです。

でも私は思うのですが、
「具合の悪さに人生を乗っ取られたくない」
「病気で失った分の人生を取り戻したい」
このように思う事は悪いのか、こう思って過労になっていることをみんな汲んでくれる気あるのか?
私は私が納得した人生送りたいから無理してるってわかってるのか?
無理するなと言うなら無理しなくても障害者が楽しく豊かに生きられるようにしてくれよー。

なんか文をいくら直してもまとまりません。
もう2時間くらいぐちゃぐちゃ考えているのですが、無理と私の関係も無理と社会の関係もめっちゃ書くことあるわ、無理だってなったのでまとまらないまま出します。

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