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早すぎる別れ

60代の男性の葬儀に参列した。
60代は早すぎる。とはいえ、お子様2人は立派に成人していらっしゃる。ご長男が喪主を務めた。悲しみをこらえ親族や知人に挨拶してまわり、しっかりとした青年だった。

堂々たるお子様の姿を目にして、60代は早すぎる別れだけれども、このようなお子様を育て上げることができたのだから、さぞ充実した人生だったのだろう。と勝手に故人の人生を推し量った。故人を失っても家族はご長男を中心に故人の妻、もう一人の子3人で身を寄せ合い、しっかりと歩んでいくだろう。

私がこの故人だったら。
子どもとの別れは辛い。月並みだけどもしかしたら近い将来、結婚や孫の誕生があるかもしれず、欲を言えばそれを見届けられたらよかった。けれどもやはり成人して社会人になるまで育てることができて少しは安心だ、まずまず幸せだったと思うかもしれない。なんとなくそんなことを考えた。

読経中、私が見ていた景色は、完全に「子を残して旅立つ親」側の視点だった。

焼香、喪主の挨拶は粛々と終わった。
そして、出棺。霊柩車に吸い込まれていく棺。霊柩車の扉が閉まる。

その時、故人の名前を呼ぶ声が会場に響いた。
「◯◯ちゃーん!」

声の主は80代か90代の老婦人だった。親類に身を支えられながら、彼女は「◯◯ちゃん、◯◯ちゃーん」と号泣していた。

そうだった。故人は親である前に子だった。泣いているのは故人の母親だ。故人は「子を残して旅立つ親」であると同時に、「親を残して旅立つ子」なのだ。

親にとって子は何歳になっても子。60代は早いかどうかとか、何歳ならいいとかいうことはない。
子を失う親の悲しみに胸を痛めながら、葬儀場を後にした。


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