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さえずり(短編集)第7話

HAPPY BIRTHDAY(現代ファンタジー)

 遠くなる過去に馬鹿げた願いを抱く。
 明るく振る舞っても心が疲れ切って、擦り切れていて、もうどうしようもない。
 
 玄関を開け、黒いジャケットを脱いでネクタイを外しシャツと一緒に投げ捨て、ズボンのベルトに手をかける。狭いアパートの廊下に点々と服の道ができていくが、どうせ誰も咎める者はいない一人暮らしだ。
 シャワーを浴び濡れた体をおざなりに拭いて、パジャマを着る気力もないままベッドの上で膝を抱えた。

 暗い部屋で昼間彼女の母親と交わした会話を反芻して、優しい毒のような言葉がじわじわと全身を巡るに任せる。

もといくん、今日も来てくれてありがとう』

『もう12年になるのね。もう大丈夫よ。無理してここにこなくていいの』

 今日は幼馴染の生まれた日。そして彼女、のぞみが永遠に消えた日だ。

 18の誕生日に事故に遭った彼女はそのまま還らぬ人となった。読経の声、白い花、線香と真新しい木の香り、物言わぬ箱に縋り泣き崩れる彼女の両親、すすり泣く同級生たち。全てが悪い夢のようで、今でも受け入れることが出来ない。

 俺は毎年、その日になると彼女の家を訪れた。今年で12年、13回忌になる。彼女の母は大丈夫だと言ったけど、大丈夫じゃないのは俺の方だ。いい加減前に進めと誰かが囁く。でもそれが出来るなら今こんな風になってない。

 恋人だったわけじゃない。仲の良い異性の幼馴染み。活発だったのぞみと子供の頃は泥だらけになって遊んだ。ただお互いが隣にいることが息をするより自然なことだった。

『お前ら付き合ってないのかよ』

『付き合うとか、そういうんじゃねえよ』

 年頃になって周りにからかわれることが増えても、俺たちはいつも一緒にいた。すぐ恋愛に結びつけようとする奴らを本気で馬鹿馬鹿しいと思っていた。愛とか恋とか、好きとか付き合うとか、そんな簡単な言葉で言い表せるような繋がりじゃないと信じていた。

 彼女がどう思っていたかは分からない。目を閉じると今でも彼女の姿が、声が、色鮮やかによみがえる。
 ふわふわの茶色の長い髪を束ねもせずに躍らせて、いつも真っ直ぐに俺に向かって走ってくる。大きな瞳は感情に正直で大袈裟なくらいに喜怒哀楽をはっきりと浮かべる。

『もと、今日あたしの誕生日忘れてないでしょうね』

『はいはい、忘れてねえよ』

『ケーキ買ってきてね!』

『おばさんが用意してくれてるだろ。二倍喰うつもりか?』

『別にいいでしょ~!』

『デブになるぞ』

『誕生日は特別!ママは毎年チョコだから、もとはチーズケーキね』

『おー。部活あるから後で行くわ。じゃーな』

 そんな他愛のないやり取りで別れた。もっと優しい言葉を掛ければ良かった。もしもあの時もう少し引き留めていれば。せめて一緒に帰っていれば、事故に遭うこともなかっただろうか。
 考えても仕方のないことばかりが頭の中をぐるぐると回る。何度シナリオを練り直してもあの日は二度と戻ってこない。

 写真の中の彼女は今も高校生のまま。俺だけが年を取り、大人になっていく。
 時間薬ときぐすりなんて全然効かない。頭の中は未だにぐちゃぐちゃなのに、取り繕うことだけは上手くなる。誰かがこの世から1人消えたとしても、太陽は昇りまた沈む。そんな当たり前のことが納得できないと泣き喚く自分が常にどこかにいる。

 ただ、会いたい。もう一度あの笑顔が見たい。声を聞きたい。口に出来ない願いを抱いたまま、俺はいつの間にか眠りの底に落ちていった。

「……と、もと、今日あたしの誕生日忘れてないでしょうね」

 またこの夢か。何度繰り返しても結果は同じ。俺はぼんやりと目の前の彼女を見つめた。俺の鼻先に近づいた白い顔、淡い紅色の唇を尖らせて、少し拗ねたように俺を見上げている。
 
「聞いてる?」

 細い指先におでこを弾かれて、軽い痛みに我に返る。夢なのに……痛い?

「え……ちょっと……今のもう一回やって」

「は?大丈夫?急にMに目覚めたの?」

 いつもと違うセリフを吐いて、それでもやる気満々にデコピンの指を構えるのぞみ。

パチン!

 さっきより容赦なく額に当たる爪の先。痛い、ものすごく痛い。そういえばのぞみ、デコピンが得意だった。俺は額を押さえてうずくまった。

「いってぇぇぇぇ!!」

「当たり前でしょ、デコピンしたんだから」

 勝ち誇ったように俺を見下ろすのぞみ。ああ、いつもの、だけど前とは違う彼女だ。
 何が起こったのか分からないけど、俺は風呂上がりで全裸の三十路男じゃなくて、制服を着た高校生になってる。信じられない思いで全身を確かめる俺を、のぞみが心配そうに覗き込んだ。

「やだ、泣くほど痛かった?ごめんね?」

 泣いてる?俺が?言われて初めて涙が頬を伝っていることに気付く。彼女の素直なところ、前と変わってない。いや、変わるはずもない。これが夢じゃないなら、変わったのは俺の方だ。
 ハンカチを差し出す手を思わず握りしめて強く引いた。バランスを崩して俺の方に倒れた彼女を抱き締める。柔らかい体、胸に伝わる確かな鼓動。焦ったように暴れる動きさえ今は嬉しくてたまらない。

「ちょ、ちょっと何!?」

「ありがとう」

 誰に向けて言うでもなく呟いた。この世の誰も彼もに、あの世の神様全部に感謝したい。彼女に触れることが出来る奇跡を噛み締めたい。

 今度は間違えない。今は当たり前じゃなくて、ここから先の未来は不確かだ。いつか終わる生だとしても、出来るだけ長くその時間を共に過ごしていたい。
 そんな願いをこめて、告げる言葉を。いつもみたいに素直に受け取って欲しい。

「誕生日おめでとう、のぞみ」

第8話 https://note.com/namacochan55/n/ncfbda807f882?sub_rt=share_pw

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