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経験から語ってみる8(改めて振り返る

振り返れば、ヤツがいる...

コアラ「ドヤァ!!」

ちょっとこう、ふと気づいたと言うか、なんというか。

伝えたいとか、何とかしたいが溢れすぎたなぁというんですかね。

ある程度書いたので、自分の方もようやく落ち着いてきたと言うか。そのような事も自分で感じ取りつつ、改めて過去の自分だけでなく、それを元に記事を書いていた自分も合わせて振り返ると、

そもそも、今までも、話が噛み合った事が、ない

大事な事を失念していた事に気が付いたと言うか。

ちょっと感情的になり過ぎてた部分が否めないのもあるので、そういう部分も合わせて触れていこうかな、と思います。


正直、許してはいない

まぁ、許す許さないなんてね、そうそう他者に向けられる物でもなく。それが分かってるからこそ、表現も控えもする。

でも、正直な部分として書いておこうかな、と思います。

実際問題として、そういう部分も抱えてたので、記事にして異論を唱えたり自身の経験を元に色々言ってみたりしたわけで。

ただまぁ、許せないと言うのも、HSPブームの有様から色々感じ取ったからの影響と言うんですかね。

上手い事言ってるようで、ネガティブさしか受け取れなかったので、それに反応したという感じだと思います。

生きづらいだ、生きやすいだ。

ほんとこう、人間ってどうしようもないな...みたいな、こっそり抱えてる人間、人類そのものに対しての呆れって小学生時点から感じて持ってたし、かと言ってざっくばらんに話せる相手もいなかったので、抱え込んでしまいヘドロになっていたんですよ。

その、ヘドロが抑えきれず吹き出してしまってたなぁ。そんな感じです。

ただ、ブームにしろ、私にしろ、どちらが正しいとか、悪いとかではなく様々な事情がお互いあっての事と言う部分も間違いなくあると思います。

なので、正解はないっていうのかなぁ。

でも、個人的には落ち着いたというだけで、正直許してない、です。

というのも、HSPだろうがなんだろうが、感受性って誰しも持ってるものと嫌と言う程言ってます。

その感受性と言う部分を、HSPという概念を使って面白おかしくというか、いい加減にというか、都合よく扱い過ぎでしょ?と。

高かろうが、低かろうが、それぞれ生きづらさって感じてるんですよ。現状のような、感染症による有事という状態に限らなくても、ね。

バブルの頃だって、皆が皆お金持ちでもなかったですし、中流と言ったところでその中でもグラデーションの様に差があるわけで、どうしても隣の芝生は青く見えるという様に、何かしら自分と違う誰かに対し、深い所までしりもしないまま、嫉妬したりなんたり。

時代による差の部分もあれば、それが及ばない個人レベルの部分は否応なしにそういうのがあるんですよ。

そういう現実を見据えないまま、何の狙いがあるか知りませんがHSPと言う概念をこんな扱いするのは、いただけないと思います。

なんかこう、HSPという言葉をくっ付けて、自分が特別生きづらい人みたいになってる人も居ますし、それを煽るかのような話や情報を流す人も居ますけど、一体何がしたいんだ?って思います。

HSP=Highly Sensitive Person、感覚処理感受性が極めて高い人。

まだまだ、研究が必要なようですし様々な議論がされているため、現状で既に敏感で、繊細で、生きづらい人だと確定もしてなければ、そんな事言われてないんですよ。

こんな事言い出した人が知ってる程度での話でしかないんですね。

それに、踊らされてしまうというのが、既に感受性と言う部分が劣ってしまってるという証明にもなりかねないんですよ。

そもそも、感受性って目に見えないだけでなく、情動的=感情としての悲しい、嬉しい、楽しいとか、そういう誰しもが感じる部分も入ってくるので、どういう人が高いっていえるのか?って結構難しい話ですよ?

ほんとこう、昭和の頃から、流行りやブームに踊らされて、知ろうとしない、考えようとしない、想像しようとすらしない。

人間かわんないな、なんて言われて当然なんですよ。

うん。

と言う事で、いつも通り突くだけ突いて、話を変えていこうと思います。


そもそも自分も......

感情的になり過ぎたと言うのもあるのですが。

散々記事にした通り、突っ込んで話すと聞いてもらえる事ってないわ(笑)

大事な事を失念してました。そこは、反省。

この辺ね。

良くも悪くも、正誤や善悪に拘ると突っ込み過ぎて色々言われるんですよね。

言ってる事は正しいと思う。でも感情を感じられない。だから怖い。

そういう風に言われた事も何度かあります。

境界線上のホライゾンという作品がありますが、その中のホライゾンみたいになるというか、平行線として対極に立ちがちなんですよ。

相手が感情的に正誤を唱えるなら、私の方は感情を除いた理詰めで対応する。そういう所もあったりします。なので、割と最近まで気づかなかったのですが、その作品にハマったのかも知れない、という新しい気づきもありました。

また、小学校高学年の時点でオタクだったのですが、当時はまだまだ差別される、イジメられるという状態で少数派でした。それがある時ひっくり返り、オタクを名乗る人が増えてからは、逆にそうあらなくなってしまったんですよね。

好きな物追いかけてればいいや、オタクかどうかなんて、もう知らんがな。

そんな感じ。

HSPブームにしても、余りにもこう妙な人が増えたので、見事にその通りになったと言うか。

ただ、感情的になりすぎたのもあって、少ししつこいくらいにアレコレ言ってしまいましたね。

ただ、ホントに苦労してきましたし、それ故のツケみたいな感じで新たな苦労も抱えてるのは間違いないです。

それだけは言える。

でも、それだけだ。胸張って自分だから自分の事は言えるだけ、なんですよね。結局のところ。

なので、気づいたからには、少しまた変えていこうかなぁ、という感じになったのが今という、そんな感じです。


深掘りすしすぎて笑えない

良くも悪くもそう言う部分もあります。

考えるのは良いんだけど、どこに落とし所つけるの?と問われたところで、気が済むまでという返答をするので、呆れられもします。

なので、表に出す事はないとは言え、常に色々考えてるというか、勝手に思考が働いてたりします。所謂自動思考ってやつなんでしょうね。

カウンセリングでも、相当に働いてる様に見受けられます、と言われたくらいですし。

自身としても、起きてる=意識が覚醒してる以上嫌でも働いてますし、眠ってないと止まらない。それだけでなく、集中してる事以外に感じ取った物を並行で処理してるんですよね。

なので、集中してるくせに、色々と周囲の変化に気づき過ぎますし、それがおかしいとかって言われてたのも思い出したりして。

まぁ、そうあるくらいなので、普段から色々気がつき過ぎるからこそ、深掘りもしやすいんですよ。そもそも、違い過ぎてておかしいって言われますし、自分の普通がおかしいと言われれば疑問を持つのも当然というか。

そういう気が付くというのは、普段から色んなケースで発生するし、ネットで何かしら触れて気になる様なら、知的好奇心もあいまって突っ込んで調べにいくんですよ。

お陰様で、役に立たなそうな妙な所はよく知ってる、と言う事も言われたりします。

なんで、そんな事知ってんの?→興味持ったら調べない?→わかるけど、そんなところ興味持たねーよ...

ん?なぜこうなる?

というのも、割と日常的だったりもします。しますっていうか、そうありましたの方が正しいですけどね。もう、色々感じ取り過ぎるせいで、それが響き過ぎるから外に出ない様にしてるくらいが、現状ですからね。

なので、”お前はホント変わってるよなぁ”も、言われて当然だし、時にはそのせいで自分が突っ込んで触れすぎてて、笑えないなって思う事もありもするんですよ。

そのくらいに、変わってます(笑)


嫌でも差を感じる

差を感じるというと、少しばかり嫌らしくもありますが。

良くも悪くも、という感じです。

相手側が気付いてくれた時は、良いも悪いもが振り切れてる時しかないんですよ。

良い部分であっても、ワンクッション置くっていうんですかね。評価する前に探りを入れるとか出来ない物かな?と思ったりもしますが、まぁ仕方ないんでしょう。

そうあるので、評価する、褒めるという場合でも、結構周囲とやり方が違ってたりしますし、そこを何かしら言われたりもします。

ホントこう、感受性が高いが故に色々感じとる、気付くと言うのは対人となると様々な状況や、様々なケースがズラーーーーーーーーーっと並ぶような感じです。

なのでこう、ね。

色んなところで差を感じるんですよ、大なり小なり。

五感に関しても、微小とか些細レベルの感じ取りがおかしいと言われるだけでなく、色んな状況下で”ちょっとそれは理解できないわ...”って言われる事って結構あります。

感受性が高いって言い替えると、感じとれる幅も相当に広いという感じで、兎に角嫌でも差を実感させられたりするんですよね。

なので、類似がある部分なんかは記憶から呼び起こされやすいですし、珍しいケースはふと思い出したりもするので、そこから記事にという行動も最近の傾向でした。

ということで、そろそろ終わり所ですかね。


あとがき

ということで。

まぁ、気付いてはいるけど止められなかった、と言う部分もこれからは少し収まってくれるかなぁと、自分で自分に期待も込めつつ。

ほんとにね?

良いも悪いもが違いますし、最近話せる人と出会って話してみても、改めて実感させられるって事は多いです。

あー、やっぱり違うのかぁ......みたいに。

でも、その違いって上手く活かせるか?は難しいんですよね。

ポジティブな感情ばかりではないですし、ネガティブな方が強く残りやすいので、度合いによってはクリエイティブな道に進んでもスランプだらけで苦悩しかない、なんて事もあり得る話。

そういう意味では、向いてる職業とか何を知った上で言ってんの?でもあります。

HSPだからではなく、そういう部分も含めて個人として総合的に色々検討しなきゃいけないのに、言葉で括って適当言うのは流石にね。

仕事なんて、人生がかかるような物だし、気付くのが遅れれば取返しも難しい。そういう要素があるのに適当言うのは、無責任、です。

性格タイプ診断とかも、なんでそんな点でしか見ないの?自分自身を、って思いますよ。

受け入れられる所だけで行動してたら、悪い部分がおざなりになり、それはどこかで因果応報するものです。それを他者に突かれて怒る、気落ちするではなく、良い悪い問わず向き合って自分で自分をコントロールしないと、ね。

ということで、こういう記事を書いてても書きながら色々考えてるので、止まらず言葉が出て来てしまいます。

なので、程ほどで締めないとね。毎回言ってるような気もするけど...。


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