なんだかんだで、ふと(まとめに追記あり
現状のHSPという言葉が齎してる状態。
これって、十数年前のうつ病ブームまんまじゃんね......という感じに。
一応自覚しつつも、色々書いたりしてましたけど、なんだかなぁって先日の記事上げた後に思ってしまいました。
その辺を過去の話もしつつ触れてみようかと思います。
突然現れたそいつは、うつ病
本当にそっくりです。
・経験者を名乗り、あれがいいこれがいいと、自分視点の良いを語る人
・それに乗せられて、自分もいいと思い込んでしまう人
・Youtubeだと、肩書を名乗ってるけど概要に詳しい記載、連絡先無し
・何でもかんでも、うつ病にくっつけて、うつ病の人向けの出版物ゾクゾク
・病院での診断以前にチェックリストからはまり込んで病院はしご(うつ病だと思ってるのに、うつ病だと診断してくれないから......)
etc
うううん!うううん!
そして、この流れがあったときは診断基準がDSM-4で。なんか騒がなくなったなぁと思ってたら、DSM-5に変わってて誤診云々が全てではないけど、そういう部分も含まれた改訂がされていた、と。
診断基準あっても、これですよ。幼少期からこういうのって、本当に人間って普段理性だ、知性だ、霊長類だって言うけど、ただの哺乳類じゃないか。言葉を使うだけの。
って、大人になればこう言葉に出来ますが、ほんとストレートにね。お父さんもお母さんもいう事コロコロ変わるし、先生もそうだし、大人も大したことないじゃん、でした。
後はこのうつ病ブーム頃くらいからかなぁ。
如何せん、地方に住んでるので精神科専門の病院は見た事あれど、「心療内科」って今ではあちこちにある病院を全く見かけなくて。それを見かけるようになり始めたんですよ。
これが良い悪いという、話では無く現実問題として、当時どういう事が起こってたのか?という部分を個人視点で語ってるだけである、というのは予めご了承くださいね。
ここから少し、性別についての話に飛びます。
PC表示にてーーーーで区切りますので、蛇足だと思えば読み飛ばしてくれてもかまいません。
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性同一性障害として、長く苦しんでる人も似たような感じで「精神科に行くしか無かったけど、今ではクリニックという形での存在も増えてる」という感じですかね。精神科でかかる時間を省くためにそちらという人もいます。
ですが、実際問題として時間がかかるのは対処の遅れだけでなく、「精神面の話に留まらず、患者の一生を左右しかねない大問題=性別移行手術をしてしまえば絶対に戻れない領域に踏む込むし、限界があるとはいえ病院での精神的なケアが必要だから。
時間がかかる=精神的ケアがすごく大変って側面もあるのですが、まぁ。それなりに認知され市民権得だしたからか、ホイホイとクリニックに流れるのは、そうなりたいとか、憧れってだけで、どうあがいても自分が体の性別を「認識できない」=自認出来ない、というのとは違うのでは?
そういう自認の部分と、体の性別における社会的役割他もろもろが合わなすぎて苦痛を覚える=度合いが人それぞれ異なるから、精神的なケアをしつつ本人が何を望んでるか?を時間かけて認識させて、それにあった処置をするというのが、どちらかというと症状と治療という部分での本質寄りな話というか。
まぁ、こういうのも個人視点といわれればおしまいですけどね。
ただ、結局後戻りが出来ないなりに戻って暮らしたり、最悪自ら命を絶ってしまうという人も居るような界隈でもあります。
私自身も、幼少期で既にお母さんになりたいとか言ってたし、反抗期が無かったって言われますけど、それ以上に同じ側と思ってる人達と同じ変化をしない体に対する葛藤や苦悩が物凄く強かったので、反抗とかそういう暇がない位に与えられた自分の部屋で過ごすようにしてました。そんな感じの私なので多分手術したら危ないよねって。
それ以上に、今手術しても思春期の頃は失われてて、普段は問題なく過ごしてても、PTSDではないですが思い出されるトラウマに対処するのにも必死というのが、手術すらしてない現状なんですよ。
手術について、性転換っていう人、最悪そう表現する病院や医師も存在しますが、性転換=完全に性別が変わるのではなく、性別移行=生殖機能と関わる部分を取り除いて反対の性の見た目に移行させる、というのが手術の本質というか、そういう感じだとおもいます。
なので、性転換とか安易に使わず、「なぜ、性別移行手術と表されるのか?性別移行手術という言葉なのか?」を考えてみてください。
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こんな感じでね、今のHSPはある意味ブームとも言えると思うし、だからこそ色々な人が触れるだけでなく語るという状態で、玉石混交になってると思います。良いも悪いも、正しいも間違いも、全部ごちゃまぜ。
しかも、うつ病の頃もそうでしたが、色々危険性や危惧を訴えてる医師や関係者も居たのですが、飛びついてもらわない事にはブーム商売が成り立たないという感じで、捨て置かれてたのも懐かしいです。
未だに騒がせてる去年からのアレコレも、もうPCRについては精度面で問題アリ(70%程度)って多くの医師や検査として従事等してる人から散々声が上がってたけど触れないし。
これ、普通にそこら辺にある日常的な物でも、品質とか検査とか精度ってそれじゃ問題ありで、企業努力疑うって話になるレベルなんですけどね。私自身、企業で品質管理とそのための検査分析やってましたし、痛い程身に染みてる。そんな精度だと、工場内の会議レベルでもぶっ叩かれて、出直してこい!です。
そんな検査に命をあずけるとか、私の命やすすぎぃ!!ですよ(ネタです
と、丁度いいしネタでここまでの内容としましょうか。
何度も言うけど
こういう話については、良い悪い、正しい間違いってわけでは無く、ただただ個人が把握してる「現実側の動向」であって、これを見た人がどう受け取るかは......
あなた次第です!!(ビシッ
百聞は一見に如かず、とは言いますが、一見したところで経験してる側からすれば、全然足りねぇです、不足すぎます、ちょっともう少し情報探って整理してみてください、って感じで、一見は一経験に遠く及ばずなんですよ。
世の中にあふれるニュースでも、記者が取材するというのを見聞きすると思います。
これ、どう言う事かと思います?
簡単です。そう、現実問題で起こったからって、そこを調べないまま情報として世に放つと、大いに問題ありなので、裏付けや証拠等を集めにいってる、という事ですよ。
そんなの、本や動画で裏付けしたから!
まてまて。その本や動画が、どのように調査されて、どんな論文を参考にして、より正確に伝わるように裏付けとってるって言えるんです?って話で。
肩書があるから、経験者だから、じゃ通用しないんですよ。
たとえば記者さんが、私は記者ですからって理由だけで適当書いてたら、仕事しろ!このマスゴミ!って怒る人いますよね。そういう事です。
記者という肩書があるから、その人を知らずに鵜呑みにするのは危険なんですね。情報ってそういう側面もあるんですよ。
なので、まんま真に受けるんじゃなくて、調べてみたり、想像してみたり、考えてみたり、自分の経験を漁ってみたりetc、そうやって掘り下げて行って現実に何が起こってるのか、なんでそんな話や言葉が出てくるのか?というのを整理する為の要素が情報って面もあるんですね。
だからこそ、
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず
なんですよ。
それが、感受性が高いとか、HSPとかいう話になると自然とか、無意識とかで感覚的にやって感じ取ってるって話で。
人に気を遣うからとか、人に馴染めないからとか、刺激に反応しやすいからとか、そういう話じゃねーですよ。
感覚的に感じ取って、自然とそう言われる行動をしてるだけ、です。
なんどもいうけどー。
ここでちょっと
よくある話に、個人的なQ&Aみたいな事をやってみましょう。
Q、HSPって繊細なんですか?敏感なんですか?
A、人と比較しない限り言えないし、第三者視点は公平性の為に必須だとおもいますよ。そういう話をしないのは、申し訳ないけどお察しくださいと個人的に。
Q、HSPって人や人の集団は苦手ですか?
A、苦手とも言えるけど、兎に角色々拾いすぎるから疲れる、面倒って感じ。というか、外向型といいつつ、人間関係苦手って外向の意味理解してないですよね?って人も見かけますよ。
Q、外向型とか内向型とか......
A、言葉の意味をまず調べてください。だけでは何なので、外向も内向も刺激探求もくそもねーわ!何もしなくても嫌でも自分の中に入ってくる、感じ取ってるがデフォです、パッシブです。個人的にだけど。まぁ、外だ内だ関係なく感じ取り過ぎて、頭というか脳が疲れやすいのが日常、幼少期からの常で、ぐっすり一晩眠ったじゃ足りないレベル。
言っとくけど、医者が頭ひねるくらいに詳細に自分の体に発生してる現象を口にするくらい感じてますよ。感情や思考だけでなく、体調や神経の動きまでも拾えて当然レベルですわん。
Q、繊細さんって言われるけど
A、能ある鷹は爪を隠すはほめ過ぎかも知れないけど。言葉は誰でも使える見えないナイフ、振り回すと凶器という側面もあるものです。個人的にこの辺結構気にしてて、これでもまだ甘いってレベルで抑えてます。お察しくだされ。
境界線上のホライゾンのアニメの方、第1期の8話か9話かな、インノケンティウスと本多正純の相対戦のシーンで、立花宗茂(cv杉田智和)がこんな感じの事を言います。
「旧派としての積み重ねがあるから、そのカードを切るだけに過ぎない、簡単なお仕事」
そこに、個人尺度の正誤や善悪で立ち向かおうとしたら、途端に足元すくって、四面楚歌になりますよってくらい、繊細では無いです。
ってか、繊細ってか細くて壊れやすい様子や状態、という物=物体にも使いますからね。自分からそういう人って言うのは、すごく恥ずかしいと思いますよ。
あと、それ以上にHSPについて、英語勉強して自分で論文ヨメ。
Q、チェックリストがありますけど
A、医学的な診断基準が無い話なのに、そのチェックリストが基準になるという理由を客観的かつ正確に述べてください。
Q、アーロン博士が作ったという話が
A、「アーロン博士が本当に携わって作ったものですか?」っていう正確さとか、根拠をまず教えてください。本で書かれてたとかは無しで。
Q、カウンセリングに携わってる、研究してるという人がそう......
A、そういう人達が「必ず正しい、性格な情報を伝える」という根拠を教えてください。日本でも研究してる方が居ますし、そういう方にも今のブームに異を唱えたり、それを何とかしたいとホームページを開設したりしてますが、そちらに触れない理由も合わせて教えてください。
Q、有名人も言ってましたが......
A、えっと。中学生くらいの頃に芸能界を目指さないか?みたいに何度か持ち掛けられましたが「あんな世界で生きるくらいなら、死んだ方がすごく楽。そのくらいに悪いものも色々交差してる世界」と答えました。
というか、それ言った人って朝のワイドショーでテレビ局に都合のいい話の触れ方しかしてないですし、コンビの相方はどのように言ってますか?っていうね?
ぶっちゃけ、ある程度の図太さが無いと生きてけないし、すぐに引退するでしょう。そして、引退した人にHSPとか、感受性な話が出来る人が居るかもしれないのに、触れずにおかれてるのは何故でしょうね?
と、結構ザックリ書きましたけど、このへんで。これまた書き出したらキリがない話ですし。
正直、境界線上のホライゾンの話はアニメをそこだけでも一度見てみると良いですよ?経験不足の正純が結局おいつめられて、バカ総長の助け舟がなければ言い返せない程の窮地に立つようなシーンですし。
その正純も、歩くウォーモンガーとか言われる程に、口が達者にはなりますけどね。後々。
とりあえず、この辺でまとめ
また、いつものやっちゃってます、ハイ。
ただ、この辺ね。精神的な疾患の治療を続けてますが、そろそろ限界かなぁって感じもあります。
それが何かと言われると、
問題があるからって幼少期から塞いで、周囲の言う普通の人を演じてきたけど、もう素の自分出さないと、そもそもが自分を演じてるし、周囲に合わせてるけど抑うつ状態なのを隠してるだけというのも、その頃から否めないし。
結局、薬だけではどうにもならないくらいに、私が私自身と周囲によって捻じ曲げられてるという状態なので、寛解する物もしないよね、これはって感覚に毎日襲われてるから。
という状態です。
とにかくもう、生きるのに必死すぎて既に疲れ切ってるのに、自分をそのまま出すとどうしても問題があるからと無意識に抑えてしまうくらいに、呪縛とか洗脳とかそういう状態にもなってしまってて。
呪いの元の漢字は祝で、祝に対し形式的になる必要もなく口にするだけで、作用してしまうというのが語源との話もあったりします。
それを身をもって経験してるっていうか、ここでの善悪や正誤を考えすぎると、現状そう言う方に偏らないって意識してても、「恨みっぷし」とか言われるんですよね。
現実問題として、そう言う経験があるという話をしてるだけなのですが。
とはいえね、私も人間ですし、我慢の限界とか堪忍袋の緒が切れるという状態にもなります。そうして突っ込んで突きつけてみると今度は
「現実を直視し過ぎですよ、適度に気を抜いて......」
って、現実を見てない、過去に引きずられ過ぎとか言ったのはどの口だよ?ふざけんな!です。
うっせぇわに触れたのも、こう言う経験があるから自分の中に、歌や歌詞、映像が入り込む、そしてシンクロするみたいな感覚を覚えたからという部分や側面もあります。
ホントに、うっせぇわなんですよ(苦笑)
と、すっごいソレてしまいましたが、うつ病ブームというか、うつ病を取り巻く色々なおかしさに気付いてた人は、今回も同じ様に感じる、感じれるのではないかなぁ?と思います。
そういうね、繰り返しをやり続けてるのも人間社会なので、全然違う様に見える点を繋げてみたら繋がったって事もあるのでね。
ホント色々掘り下げてみてください。経験が無いなら調べて、可能ならば経験者に聞いてみて想像とかしてみてくださいな、っと。
それでは。
※追記部分はこちらです。
アニメ版の名探偵コナンが完結?までいったのかな?
今朝方ある番組でコナンの名シーンの紹介をしてるなかで、
「言葉にして出した物は二度と戻せない」
そう、コナン君が言った時のシーンが出てましたが、これが諺にある、
「吐いた唾は呑めぬ」
とか
「口は禍の元、口は災いの門(門=かど)」
という物に当たると思います。
そしてこう言うのって、自由とか権利の主張の際に完全に置き去りになってるとも思います。
そして、そうなる背景には個人の都合や、個人尺度の正義の押し付けという側面もあるように感じますし、正義警察なんて言葉が出てしまったのも、こういう部分からだと思います。
それ程に、適当に言うのは結構危険だし、ことHSPだ感受性の話だで「そうはいっても他人の言い分なんて知ったこっちゃない」だと、はたして......という感じになるとも思います。
自由も権利も自分だけでなく、他者は他者で違う物を感じてたりして当たり前なんですよね。だから、ギブアンドテイクではないですが、自分も大事でも自分だけじゃだめで、周囲や他者も大事くらいにないと、とんでもない無責任さを示してしまうと思います。
自分の目に見えない、傍にいない誰かに配慮するにも限界があるとはいえ、流石にね。
少し触れましたが、能ある鷹は爪を隠すではないですが、配慮を超えて調和とかそういう意識まで言ってる人も居ると思います。
でも、調和だ、配慮だなんだと言っても、流石に余裕が無いと受け入れるキャパシティを確保出来ないのも実情だし、個人的にはもうそういうの受け入れ過ぎただけでなく、受け入れてる私が変といいつつ、受け入れられなくなるとお前が悪いって周囲からさんざんにやられ続けて40年。もうお腹いっぱいどころかお腹破裂して繕いながら過ごしてるような物で。
そういう経験もしてるせいか時折、色んな意味でのまともを当てはめて、
「今までよくその年まで、まともに生きてこれたよね」
とか言われなくもないんですよ。
という、自分語りも最後にいれて。
追記も終了でございます。
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