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経験から語ってみる13.5(幼い頃の...

色々書いてて、当初の目的を忘れておったわー!

という事で。

幼い頃から変でした、というか、色々知らなかった分、隠して考えるという事を覚えるまでは、自分でもアハハ...って乾いた笑いが出てきそうな感じです。

うん。

そういう部分を書き忘れてるやーん!!って事で。


4歳、5歳時点で

相当に変わってたと思います。

その割に言う事を聞く良い子、とも言われてたのですが、どっちかっていうとその年齢の時点で受容ってのをやってたというか。

大人とのやり取りには嫌な記憶が残ってしまったので、出てきやすいですが、同世代でも

友「嘘だと思わないの?」

私「え?嘘なの?嘘の為にお話してるの?」

っていう感じで、深く聞かなくとも「えー!うっそだぁ!」なんて事が一切なかったです。だから、素直で以下略なだけというか。

ただまぁ、こう言うのはまだかわいい話、なんですよね。

1.動物図鑑を見て。

大人しく眺めてる日常を過ごしてたかと思えば、突然の様にツッコミ=何故なの?と質問を親に投げかけてました。

自分でも覚えてるのが進化論の図。結局はぐらかされる物の、どうしても腑に落ちない、納得がいかないというのが強かったからか、記憶に残ってるんですよね。

図を指しながら、なんで人間の上は居ないの?にはじまり。カバやワニのような水陸両用は何故限られてるのか?=環境適応なら水際で暮らす種もおおいのに、なんで幅が広がってないんじゃい!みたいな感じで(苦笑)

またイルカやクジラが、自分たちの仲間で肺呼吸をするというのを、ちゃんと理解しなくても海で暮らしてる中にも大気から酸素を取り込んで生きてるをそれなりに理解したので、えら呼吸、肺呼吸になんでわかれとるんじゃい!両性類いるなら、両方備えとっても良かろうよ!という感じでね。

子供ながらにアレコレ気にしては、よく困らせてました。親を。

普段聞き分けが良いのに、自分から違和感感じての場合になるとしつこかったんですよ。

2.宗教的な部分から

子供の頃は祖父母とは別居だったので、田舎に帰省ってあったのですが、帰省すると最初に仏壇へ挨拶するような感じでした。ナツカシイ...。

まぁ、日本昔ばなしとかありましたし、そういう部分からも少し信心深いというか。

ただ、こういう部分からも、親にっていうか、既に母親から「感じたことは自分(母の事)以外に言わないように」と言われてたので、もっぱら母親だけなんですけど。

仏様や神様ってどこにいんの?

天国とか地獄とかどこにあるの?

という感じで、思い出したかのように問いかけてました。

で、今になって記憶をたどると、所謂並行世界論みたいなのをにわかに信じてたと言うか、その辺突き詰めないのか?という感じでの、質問だったんですよね。

こういう部分でも、ちょっとやそっとだと、ちゃんと自分なりに理屈で説明してくるもんだから、最終的に大人になったらわかる、学校に行き始めたらわかるとはぐらかされ。

かといって、納得の行かなさはあるものの、親の方が分かってくれたと感じる程度には「ふーん」してましたね。内心では、あ、わかんないんだとか、これは嘘なのかなぁ?とかそんな感じで思案はしてましたけど。

3.その割に...

赤ちゃんってどうやって生まれるの?どこからくるの?が不思議と無かったです。周りが聞いてても、他の事なら首を突っ込むのに、これだけは突っ込まない。

その原因が、いつも通りというか、母が亡くなる間際の話なんですよ。

1歳時点で、教えるまでも言い聞かせるまでもなく、自然と察したのか気づいたのか、弟の妊娠が発覚して以降、あからさまに支える、助ける、自分には構わせないが日常になった。

という部分が、記憶にはなかったものの、母親のお腹に最初は居てその後生まれてくるってのを気付いてたというか。当時の記憶で残ってる部分を探っても、全然気にしてないんですよね。

それこそ、今でもそうあるというか、自分には不要だと感じたら、兎に角断る、拒否するという感じなので、自分に取ってその疑問は不要といわんばかりというか。

とはいえ、完全に記憶が残ってるわけでもないので、今となっては自分の事だけど、恐らくそういう事だろうって所です。

まぁ、他にも色々あったというか、性別についてもね。

その年齢の時点で既に自分の認識がおかしかったですし、初めて母親に雷を落とされた記憶というのが、性別について納得しなかった事、というくらいで。

ただ、こればっかりはね。内面や自分の認識はどうあれ、周囲からは外見的特徴で判断されるのは止む無し。とはいえ、相当に強く抑えるだ、葛藤だをする時期は思春期とか、二次性徴でばっちり表れてました。

性別の話はね。また別の機会にして、次は幼い頃の悩み事というか、頭を捻ってた事に触れようと思います。


怒られる褒められる

褒め方にしても、叱られ方にしても、やり方があるというか。

頭捻ってばっかりでした。幼い頃から。

それこそ何度も書いてますが、連絡帳や通知表での評価が納得いかないってのは当たり前で。

というのも、怒るが殆どで、叱るは少なかったんですよね。なんかこう、勝手にイライラして、勝手に怒ってるだけというか。

幼い頃から変わってない部分として、言語についての反応もあるかもしれないというのは、こういう部分からも察する事が出来たりします。

いくら怒っても、大人だから子供だからで感情的になってるようだと、そう言うのにしれっと気づいてしまってるので、泣きながらでも相当に抵抗するんですよ。窮鼠猫を噛む、じゃないですけど。

泣いたら負け。当時の世相というか、風潮というか、そういう部分を持ってる大人も多かったので、泣きながらにも抵抗する=ちゃんと感情を抑えつつ言葉にして伝えてるのですが、火に油という感じになってしまい。

自分たちがうまく言い聞かせる事が出来ないのを、子供は大人の言う事を聞かなきゃいけないにすり替えて、勝手に怒ってるだけっていうか。

幼稚園なんかでも、園長先生が通りがかりなり聞きつけるなりで間にはいってくれるとキレイに収まったりして。ちゃんと一旦受け止めた上であれば言い聞かせると引っ込むんですよ。正しい間違いではなく、自分の話しを聞いてくれた安心感と、話を聞いてくれたからこそ自分も聞いて引き下がるギブアンドテイクも自然とやってました。

何はともあれ子供でも一理あるから、という感じで、怒ってる担任をなだめるのもうまかったんですよね。園長先生。

そんな感じで話を聞いてくれる人が間に入ると、自然と収まってたと言うか、怒ってる相手が言い分をぶつけてくるだけだから、その反応として幼いながらも自分の言い分をぶつけ返すだけって感じもあります。

また、そういう自分が怒られるという部分だけでなく。

周囲の自分と違う子が叱られてる際も、当時は聞こえてしまうだけでなく、叱られる事を学ぶ為に意識して聞き取る事をしてました。

まぁ、そうあると周囲の同級生っていうか、同じクラスの子を見てても叱られる頻度は大差ないんですよね。それなりに、個性のある反応で子供だからこそ失敗をするみたいな状態になってるのも把握してたんですよ。

ただ、褒められてる部分については、音が聞こえるのが早いとか、感覚的に感じ取って気づくとか、自分にとっては当たり前の部分から、これまた”こういう風にした方が良い”を感覚的にやった結果が褒められてるだけ、というのもちゃんと把握してて。

なので、褒められても自覚がないってのは、親や親類周囲の大人から、幼稚園の先生という感じで、誰から褒められてもはてな?だったんですよね。

こういう風にした方が良いんじゃないの?そう教えてくれてるんじゃないの?

という感じでした。

褒められてる部分には自覚が湧かない、持てない。

怒られてる部分は把握してるだけでなく、周囲の観察から他の子と大差ないと思ってる。

なので、何でそんな評価になってんの?でした。小学校の通知表とかだと、自然と口にだしてああだったこうだった言い合ってましたし、その中からすると、あれ?なんでこうなってるの?という疑問にしかつながらず。

まぁ、同級生なんかも、そういう所はきづくというか、なんでお前だけそんなに褒められてんだよーって深い意味はなくても言ってたんですよね。

うん。

まぁ、色々ありましたが、母からすれば当時は手がかからないだったようで、成長してから夕食の際に、手のかからない私と、手のかかる弟トークってのがあったんですよね。

弟は嫌な所を突かれる事になるので、不快感や嫌悪感を少なからずしめしてましたけど、これまた私は私らしいというか。

だって、そうしないと大人って怒るじゃん?って返すだけ。

で、自分がどうとか、弟はどうとか大して気にして無かったので、そういう状況で兄として、弟を突くなんて事は一切した事が無いんですよ。

寧ろ、もうその話は弟が嫌がるから止めてやんなよ、って成長に合わせて言うようにもなってましたしね。

とはいえ、そこに対して弟がどう思ってたかは、聞いておりませーん。というか、聞く事自体が不要なんですよね。

私は私、弟は弟で、別な所で私は「ほんと、落ち着きがない子やなー」って呆れたりしてましたから。

と、書くだけ書いて。

弟ヨ、スマヌ(笑)


あくまで結果論として

物心ついて=自分の記憶が残り始めてからも、自分の母親だけでなく、社宅住まいだったのもあって、集まって話す際に母親が感じられる部分=生まれたばかりの赤ちゃんの相手色々をみながら、相当に感情移入してたと言うか。

性別の自認にも関わる所なのですが、自分もそうなりたいって自然と思ってて。なので、成長したらおかあさんになりたい!が割と初期の頃の夢というか、将来像でした。

父と弟ですか?別種という感じでみてたので、体の構造が同じだろうが、私にとっては別の生き物って感じで。

それが、成長すると同性怖い病で、隠れてストレスを抱える事に...と、性別の話はここまでにして。

冗談交じりとは言え、手のかからないお兄ちゃん、という話は、結構な量の背景があるっていうんですかね。

お金って父親が稼いできて、母親が管理して、それで生活が成り立ってるってのは教えられてからは当然の事と観察との比較から理解もしてました。なので、連れ添っての買い物でも必要以上にどころか、自分からほしいとはあまり言わないタイプで。

母がOKを出すまで、黙ってるタイプでもあったんですよね。

なので、おやつやおもちゃをねだるってのは、しないんじゃなくて、出来ない、してはいけない、だったんですよ。もう、幼稚園時点で既に。

そして、そういう部分って良い方向であれば深く掘り下げられる事はまずなかったので、想像以上に感じ取って、把握して、言葉も理解して、子供であっても個人としてそうあろうなんて、表に出されず埋もれてしまう。

結果が、母の亡くなり際の後悔になる、と。

済んだこと、乗り越えたこととはいえ、少なからず喉に残った魚の小骨って感じです。まだまだ。だから、つい話してしまう。

いやー、最期の時に自分だけ残されて、お父さんの事よろしくねされると思いきや。

相当に謝られましたし、私がメンタル病んだのは感受性の部分で気付いてたのに油断したという部分が、ガンの痛みが強い分の思い後悔になってたというか。

何はともあれ、向き合うのは自分だから、って心配させないように言ったわけですが、母は母で違う受け取り方したんでしょうね。

「ほんと、この子はまったくもう」みたいに、泣きそうというか、すごく微妙な表情を見せてくれました。うん。

今となっては知る由もないですが、時間が経った今だからこそ、もしかしたら私から直接の許しの言葉を求めてたのかもしれません。出てこないだろうと予想もしてたでしょうけどね。

なので、すごく微妙な表情になる、と。

と、こういう話をすると重くなりますが、こういうのも認知的共感とか空想とか、個人的苦痛とか、情動的共感以外での共感も一瞬のうちに無意識下で一気に働く。

そういう話でもあったりします。

なんかこう、共感性にも凄く触れるようになってきてるなぁ、なんでなの?自分とか思いますが。

で、自分の事だけど、自分から離れると、やっぱりこう何とか消化したいというか、自分も悪い部分があったんだからという、悪や不得手の自覚をしようとしてるのか、表に出してる部分を感じ取れます。母との話は。

まぁ、昔っから性格が似てるって言われてましたし、自身がもう1歳時点で色々気を遣ってた=もうよりそう気満々って言うか。

うちの場合、母方性かつ母の代で男子不在。それに対し、母も母で小学校高学年の頃から親(私からすれば祖父母)の面倒は自分がみるというタイプでもあり、周囲の環境があったからとはいえ有言実行もした、という感じです。

そうあったからこそ、私みたいなタイプが子として差し向けられたっていうのかな。

ほんと、この年になって色々新しく感じ取れる部分があるので、ただの仲良し、似た者同士というだけでなく、本当に奇妙な関係性って見え隠れするんですよね。

ちょっとこう、おかしな話になりますけど、妙と言えば妙、でももっと色々話して受け取ってもらえれば、腑に落ちないけど納得できる、みたいな人も現れてくれるかなぁ?というのは希望するところというか。

何がどうあれ、受け取れる感受性を持った人の登場って感じですから、私にとっては嬉しい事っていうと、何様って感じですが。でも、やっぱりそうなんですよね。

自分の思ったように口を開けば、必ずされるのは否定なんですよ。

そういうのも幼い頃から変わらず付きまとうと言うか。

人間誰しも感受性があるし、見たもの聞いたもので感じ取る事ってあるんですよ。それこそ真面目だ、気を遣いすぎだなんかはそういう物なので、自分は相当にぶつけられるのに、相手はぶつけられたら怒る。

そうあるからって、私もぶつけられた時点で怒ると、言い分を飲ませようと言わんばかりに周囲は更に強めの怒りを示す。

面倒くさいんですね。

と、話がながくなってきたので、この辺にしてあとがき行きます。


あとがき

文字だけじゃ伝わりづらい。どころか、そもそも口を開いたところで、面と向かって否定されるくらいですから、それも当然。

そんな話をいくつかまとめてみましたが、今までも散見って形で散らばせて出してた物の集合体でしかない、とも言えてしまうので、自分では微妙なきもちにもなりますが。

自分を上げたくない、評価したくないというのは、単純に感受性の部分だけでなく、都合の良い面倒の押し付け役として選ばれ易かったってのも理由にあります。

うん。なので、すごく苦手です。

とはいえ、客観的にみればまぁ、幼いながらも本当に手がかからないというか、手がかかる弟に対しては先んじて対応するという事も頻繁に見せてたので、手のかからなさ、兄らしさを嫌でも食卓で聞かされる事になったというか。

でもねー。やっぱり、良い子というのは否定したいんですよ。

言えないから、言いたいことを言え!と怒ったと思えば言った事に対しても怒る...。

子供としては、どうすればいいの?を親(特に父親)や周囲の大人たちに散々やられたというか。

学級委員とかも、困ったら助ける、支援するという約束の元引き受けたのに、それを担任が反故にするどころかその場で切れるし、理由は忙しいだし、周囲の先生たちも分かってやれだし。

んじゃ、私の気持ちは誰がわかってくれるんですか?みたいな。

そんなねぇ。学校でのあれこれを、誓約書でも書けっていうんかい!みたいなくらいに、約束は反故にされるわ、そのくせ困ると泣きついてきて、引き受けなければ困ってる人を見捨てるのか!とか言われるわ。

その、ね。確かに環境とか、人の巡り合わせってのがあるのはわかりますよ。

でも、こういう話をすると、親だけでなく、同世代にしろ、親ほどに離れてる世代にしろ、親類にしろ、何でか不思議と叩いてくるんですよ。それはおかしい、それは違う。

それに対して反論してると「言いたいことが言えなくなるじゃないか!」って返ってくるときもあるのですが、え?幼い頃から私はそうありますけど?っていう、ね。

と、いけない。どうしても溢れてしまう(笑)

まぁ、ね。

最近は季節的な物もありますが、メンタル病んで以降10年近い中でも、相当に落ち込みやすいし、そうあるからこそ、自分で自分がわからなくなるんですよね。もう、前後不覚というくらいに。

とはいえ、考えすぎないようにはしてますけど。

矛盾だ歪みだが解消されないのは続いてるので、色々あるんだなぁ、と結びつつ。

書き忘れたと言うか、まぁ幼い頃の話をちょっとまとめてみました。

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