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人と違うという事

だから、こっちにこいよなぁ~ byコアラ

いや、無理ですからね!?

多様性という言葉が聞かれるようになった現在。

まぁ、実際はマジョリティとマイノリティっていうか、あまり変わってないというのは個人としての意見だったりします。

個性だ個人差だ、右向け右で皆と同じだ、今までも色々ありましたが、良くも悪くも昭和すら経験してるので、結局深い部分では良い悪い、少数多数っていう、主張の変化としか思えなかったりするんですよね。

そんな中、HSPという言葉が出てきましたが、受け入れられない、理解してもらえない部分は嘆きつつ、それで居て分かって上げられるHSPな自分は違う見たいな持ち上げも散見され、正直呆れてると言うか。

人と違うとどうあるか?ってのを実際は余り経験してないのでは?

と思うんですよねぇ、個人的に。

その辺に触れてみたいと思います。


正直な所

人と違う事って、辛いとか苦しいではなく、

ただただ、面倒くさい

そして、誰しも違ってて当たり前、です。

個人的には、HSPについてアレコレ書いてるので、その方面で色々触れなくもないですが、流石に呆れるレベルなんですよ。

誰しも違って当たり前。だから多様性なんて言葉も出てきた。

そんな時代なのに、ねぇ。

HSPって言葉で色々発信してる人の中には、その多様性を無視するかのように、避けた方が良い人、関わらない方が良い人なんて話が出てくるわ、自分と違う周囲に対して不満漏らすわ嘆くわ、辛いのは自分だけと言わんばかりに辛さを訴えるわ......

現実を見まわして、何をどうみれば、そんなに自分だけに固執出来るのか?

その辺に居る、自己中心的な人と何ら変わらないのだけど、何を感じ取ってて、何がどう周囲と違うのですか?

ホントこうね?

HSPって言葉はちゃんと知っておかないと、色々感じ取られてしまうので、本当に注意した方が良いと言うか。

面倒くさいなぁ、もう。個人的にですけどね。


人と違う=特別じゃない

この辺は大いに誤解してると思います。

人と違うというのは、ただただ違う部分、違う物を持ってるというだけで、だから特別という扱いにはならないです。

特別になるには、相応の結果を出さない事には世の中だけでなく、周囲ですら認めてくれないでしょう。

幼少から40年過ごしてきた今ですら、何かにつけて変わってると言われるだけでなく、そもそも隠して出せなかったものが出せるようになってきてるので、更におかしさや違いが浮き上がるようになってきてます。

時代が変わったから、も何度か繰り返しましたが、いくら変わっても「おかしい、違い過ぎる」、こんな感じで同じとか、普通とかで扱ってもらえない事も多々あります。

とはいえ、普通の人なんですよね。

寧ろ、メンタル病んでドツボですし、普通の生活からは少し離れてますし。

って、悪い意味での違いかなぁ、こういうのも。

精神障がい者手帳も持ってますが、特別扱いしてもらおうとも思わないし、してくれもしないですよ。

自分で出来る事は自分でやらなきゃいけないです。障がい者だろうが、健常者だろうが、自分の事は自分でってのは変わらないですよ。ある程度のレベルまでは、みんな自分でなんとかして生きてるのが当たり前。

そもそも、等級で言えば私なんかは更に上が居るので当然ですけどね。

こういう、障がい者、健常者というのも、個人の違いのうちの一つだと思います。

こういうのが、現実、なんですよ。

なので、現実を見るだけでもわかるって話でね。感じ取る部分が出る杭になってようが、そうじゃなかろうが、普通に誰でも見るだけで分かる事だと思いますよ。

幼過ぎると無理でしょうけど。


違う=感受性だけではないです

これも、普通に日常で把握できるんですよ。

どんな業界であれ、プロでやってる人ってやっぱり違う物を持ってるからプロなわけで。

そういう人の活躍なんかも嫌でも見聞きしますよね?

うん。

その、HSPが繊細さんだろうがなんだろうが、何でそんなに特別みたいに扱ってるんでしょうか?

時折、ネットでHSPに触れてると、そう感じざるを得ないんですよ。

生きづらいだなんだと。

生きづらさだって、誰しも感じてる物であって。そこに何かが在るけど、それぞれ頑張って生活してるんですよね。

その、ね?

繊細さんの方が広まってようが、本質は感覚処理感受性とか環境感受性とか、そういう言葉や概念なんですよ。

出所がその言葉や概念なので、繊細さん何て話はごく一部ですよ?

あと、繊細って言われると、脆さや弱弱しさと勘違いしそうですが、造形美見たいな美しさだったり、その美しさから感じ取れる弱さや脆さとは違う凄さだったり、そういう部分も持ち合わせてるから繊細っていわれる物も沢山あって。

もし壊れたとしても、その美しさは語り継がれるでしょう、みたいなね。

だから繊細さって、感動を呼ぶものにもなり得るんですよ。

なんていうかこう、何がどうあれHSPとか感受性を持ち上げるのっていい加減止めた方が良いのでは?

と、個人的には思います。


良いも悪いも、酸いも甘いもが嫌でもある

特別ではなくとも、人と違う部分を持ってしまってるからこそ、良いも悪いも色々あります。

ただそれだけです。

逆に良い部分を見ようとすると、その分色々経験出来るし、経験値も積めるという部分もあるんですよ。

別に悲劇の主人公になるわけではありません。

勘違いするな?これは真面目にそう思います。

面倒くさい事が多々ありますけどね。

でも、違いを周囲から指摘されるタイプであっても、よくよく周囲を見渡してみると、そんなの関係なく、人それぞれ良いも悪いも、酸いも甘いもを経験してるなんて、普通に気づける話です。

なので、自分だけが特別そうあるものでも無いから、嘆く必要なんて無いんですよ。

そもそも、分かってもらえないなんかも、誰しも感じたり経験したりしてるでしょうし。これについても、悪い方でも更に上がいるというか、辛い経験してる人もいるわけで。

そこの感じ方や、考え方、解釈の仕方すら違ってるんですから、これまた当たり前のお話。

うん。

って、何だかんだで誰しも同じ、に行きつきがちじゃないかな?

あれれ?


HSPについては

いい加減、感覚処理感受性とか環境感受性っていう、感受性の話に戻しましょうよ。

それでもまぁ、自分は特別みたいに言う人が居るかもしれないですが。

嫌でも突かれてきた身としては、特別なんてなりたくないわ!

普通で扱ってくれ!!

ってのは、本心に近いと言うか、本音というか。

まぁその、何をどう言われようが、自己主張しようが、認めるってのは間違いなく他者の協力が必要なので、いずれは破綻して崖っぷちになると思います。

どうあがいても違いすぎますし。

感じてたものが違い過ぎてて、周囲が受け止めてくれない事から、

自分が感じた事は無かったことにして、周囲や人の世の普通に合わせる

こういう事を幼少からやってましたが、こういうのって認知行動療法ってのと違うんですか?の問いに、一瞬黙るという反応を貰いました。

結局、自分で何とかするしかないですよね、ってなってしまい。


感じ取り方や、感じとれてしまう物が違い過ぎるんですよね。

何故かこう、見えてる、聞こえてる、臭ってる、肌で感じてるとかも全然違います。

音なんて、演奏とかになると、ギターだけ抽出して他の音を聞きつつギターだけ大き目の音で聞く、オーケストラなんかでも、バイオリンだけ...とかそういう事が出来るので、出来るよね?って聞いて、( ゚Д゚)ハァ?頭おかしいんじゃないの?とか言われたりしました。

音を切り分けて、自身の耳に聞こえてる範囲なら、そういう聞き分けってできないですかね?

うん。

痛覚なんかも大げさって言われるくらいに強弱以外も色々感じ取りし過ぎだし。

真面目過ぎだ、気を遣いすぎだも、周囲というか環境から色んな物を感じ取ってるからそうなってしまってたし、面倒見が良いとかも同じくです。

感じ取れるから、自身としては「普通に気づくでしょ?」っても、周囲が総じてノーという。

部活動の指導なんかでも、先輩や顧問からの指導で学んだ事を教えれば良いって言っても、周囲が総じて出来ないという。

相談上手や聞き上手というのも、「話してれば分かるでしょ?気づくでしょ?」って言っても、お前のそれはおかしい、普通は気づかないって周囲は大体そんな感じ。

感受性として、何かしら感じ取っての様子や行動って、周囲からすると兎に角おかしいとか、変わってるとか、変とか、何故できる?とか、何故気付く?とか、そういう反応のオンパレードですよ。

なので、時折困惑したり、何度も考え込んだりしてきました。

普段は出さないですが、部屋の移動、場所の移動なんかでも、実際は些細レベルでも体が色々感じて身構えたり、緊張してたりも実は発生し過ぎってくらいに発生しちゃってるんですよね。

先日話しましたが、自分の家でも、自分の部屋、リビング、キッチン、お風呂場と色々違うんですよ。

圧倒されるというか、違和感を感じると言うか、そんな感じですがイチイチ話してられないですし、話すと「また、そんな事言って」って空気が悪くなりかねないので、出しません。

というか、場所や部屋という環境の変化って、自身の色々の制限になったりもして、逆に能力が出せないとかも多々あるので、結構面倒だったりします。

逆にそのせいで、いつもの私らしくないって突かれる事も多いんですよ。

うん。

その、ね。

辛いのはわからなくもないですが、それすらマヒしてしまうくらいに、日常生活、集団生活の中で、様々な違いを指摘され過ぎてしまい、感覚がマヒして日常化してしまうくらいなんですよ。

なので、辛いとか苦しいだけだと、それじゃ足りませんよって話でもあるし、HSPって言葉がちゃんと認知されるようになると、感覚処理感受性とか環境感受性とかそういう話なので、知っておかない事には自分で自分の首をしめてしまうと思いますよ。

辛さや苦しさのレベリングやラベルの話ではないですし。そこだけに固執してたら、危ないんですよ。

まぁ、厳しく言えば、HSPで感じ取れる方なら、「このくらい気づける」、そしてそれが当たり前ってレベルですからね。


まとめ&後記

なーんでそんな、ネガティブな違いを持ち上げようとするのかね。

それなら、何かしらのプロみたいに結果を出して、ポジティブな特別さで上げてもらう方が良いでしょうし、HSPならそういうポジティブな影響から更なる発揮をしそうなのだけど。

人と違う事なんて、場合によっては全然喜ばしい事じゃないですし、良いも悪いもが全て特別になるなんて事はないんですよね。

プロにしたって、上には上が居ると言うか、やっぱり良い結果、より印象に残る結果を出した方が、プロとしての認知度みたいなのは上がりますし。

うつだって持て囃して頃に飛びついて、無理はしなくていい、逃げて良いから逃げてたら、次に来たのはニート、引きこもりという、遠まわしの否定や蔑みだったんですよ。

イジメなんかも発端は周囲と違う様から発生する物もあるんですよね。

悲しいかな、優越感とか自己肯定のしたさを無意識に抱えてしまってて、他者否定とか、劣った相手にちょっかいや攻撃をしてしまうというタイプの人も居て。

余程じゃない限り、人と違わない方が良い面の方が多いと思うんですけどね。

右向け右とか、そういう意味での同じでは無くてね。

違いはあれど、それぞれストレス抱えてたり、生きづらさを感じてたりするのは、殆どの人が経験する事だと思います。

それを、自分だけしか見れない、というのは、ね。

色々問題はあるんじゃないかなぁ?って思うのですよ。


ということで、今日はこんな感じになりましたとさ。

それではね。


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