好きな音楽から語る
テーマを決めずに…と思ったものの、書いてたらやっぱり感受性だHSPだの話になってしまったと言う感じで、あとがき以外書き終わってからココを変える事になるという。
もう、自動思考の悪い部分というか、書きながら思考は別に働かせることが出来るので、言葉がぽんぽん!と出てきてしまうんですよ。うん。
まぁ、書くことが決まって無くてダラダラするより、書きながらでも決まったのだから、それは良し、としましょう。
Sound Horizonの曲から
Sound Horizonというグループというか。
基本、実は一人だけとも言えなくないですが、音楽シーンの中には一風変わった、異彩を放つ集団、存在もいるのです。
私個人が知ったのは、ちょうど同人→メジャーへの移行をした頃でもあったので、同人時代のChronicle 2ndやメジャー直後のElysion(前奏曲、組曲どちらも)が思い入れが深かったりします。
特徴として、物語組曲というくらいなので、曲の世界観を表すためのセリフや長めの語りも入りますし、曲によっては語りが長いこともあるので、個人の反応は千差万別どころではないのですが。
まぁ、そのSound Horizonの曲から、澪音の世界と、雷神の系譜を、ね。
用いて語ろうかなぁ、みたいに思ったわけです。ちなみに澪音=レインと読むんですよ。ということでまずは澪音の世界から。
澪音の世界
この曲については、バイオリンのインパクトが最初にあったわけですが、刺さったのは語りでした。
3:38頃から始まる、
憐憫 侮蔑 的外れな嘲笑 いわば対岸の火事
燃えるまでは熱さわからず 燃えてからでは遅すぎる
この後にも、この世界で何人が罪を侵さずに云々と続くわけですが、ここが刺さったんですよね。
近しい経験をしてるという部分より、世の中みたらそのまんまだよなぁ、という部分を個人として持ってて。そこから共感が生まれたという感じです。
自由や権利、平等は民主主義に置いては既に得られてるんですよね。選択する自由、頑張れば政治の世界にすら一般から食い込める自由があるわけで。そういう既にある自由とそれは何故か?を見れないがゆえに、自分に都合のいいに固執してしまう。
結果、逆側だったり、意見が違う人から違う意見を突きつけられるわけですが、言論の自由を盾に好きに言ってたら、足元が燃えてしまいてんやわんやするというのは、そういう感じかなぁと思います。
ようやく落ち着きを見せた感染症もこれというか。
今までに何度か世界で発生してたのに、声をかけても嘲笑ったり、バカにしたり、意味がない、無駄と言って考えようとしない人が多すぎた結果、燃えてからでは遅すぎる、になってしまい。
この曲を知って15年近く経ったところで、思い知らされることになるなんて…
初期の頃って、結構ため息ついてたんですよね。
ほんとこう、自分の事は棚上げするの大好きー!そうでも言いたいのかなぁ?って思ってました。
そして、お次。
雷神の系譜
これは語りも、間奏も長く、1曲を物語の様に仕上げようとした結果そうなったのか?と言わんばかりに顕著だったりします。それ故に敬遠されがちですが、歌い出しが刺さったんですよね。
あー…。
弱いものほど徒党を組み 身代わりの羊を探す
この一節がほんとこう、ね。
個人として感受性やHSPにふれるに当たりの部分、個人としての経験の根幹にも相通じるというか。
もう、幼い頃から嫌ってほど突かれるし、そこには良いも悪いもがあるのですが、”個人としての当たり前”というレベルがなんやかんやいわれてしまう。
なので、違いを指摘されたところで、そりゃちゃうで?とビッシバッシ打ち返してたんですよね。
でも、その違いを認められない他者はなんとしてでも、お前はおかしい、間違ってる、あり得ないという事にしようとしつこく食い下がってくるだけでなく、周囲に声をかけて「ほらみろ!」とか言ってくるわけですが、それについても「だから何?」でしかなく、あー、もう面倒なのでそういうことでいいです、ハイハイ、してたんですよね。
学生時代も、普通に仕事をしてたころも、何かと面倒事を頼まれる=押し付けられるが正にそれなんですよ。
今となっては成人知能検査で「言語性について数字で表せる以外のものを持ってるように見受けられる、なので数値だけでは測れない」とか言われたわけですが、こういう経験の多さから少なからず自覚はありました。
何言われても、それがどうだって言うの?根拠説明しなさいよ。
根拠がなく、見た目でそう見えるしか言わない他者。
いくら周囲から見た様がそうあったとしても、行動してるのは私自身なので何をどう言われようが、何故そういう行動をとったのか?を説明出来るのは私の方なのは明白とも言えなくもない。
でも、そこに自分との違いと、自分の見た目だけで根拠がないものだから同じことしか言えず、打ち返されるばかりなのも癪だから多数決と言う形を取って…というのが、他者が取りやすい行動でした。
敢えて他者というのも、これはもうケースが多すぎて仕事だ、学校だ、プライベートでの友人知人だ、数が多すぎるので他者しか言いようが無いんじゃよ…という有様なので、他者と表現してたりします。
たった一節なのに、個人としてはアレコレ出てくるくらいに、ぶっささりました。
曲としては、その後に
愛を知らない幼き日々は 焼けた石の痛み
と言う部分が来るわけですが、ここすら自ら言う程にあった「幼い頃親から受容されてない」に相通じるくらいで。
なので、辛い時、苦しい時に、自分を鼓舞するというか。自分を引きあげるために聞く曲だったりします。
だからどうした?
まぁ、あれこれ語ったところで、こういう返しも想像するのが容易いというほどに投げつけられるわけなのですが。
別にどうもしないんですよ、実は。
というのも、経験をはなしてるだけで、それに対してどう反応するか?は語ってる側から離れて、聞いてる側に委ねられるもの。
なので、そう返されたら、そういう人と認識するだけなんですよね。
心配して欲しいとか、わかってほしいとか、そんなの土台無理なので、敢えてぶつけて反応を見ると言う感じです。要は、話すことで相手に刺激を与えてるんですね。
同程度であれば、聞くだけで頭の中にイメージすら湧いてて、うわぁ…って感想が出てきますから。あくまで個人の言い分として。
そうやって刺激を与えて反応を見て、距離感を調節するというのも自然とやってましたし、自分に甘すぎると言う人にはするだけ無駄なので、ちょっと会話しただけで距離感を調節してました。
なので、社会の生活では浮くどころか、感受性としての違いが特徴として目立つことで、悪く言えば利用されるですが、言い換えればそれを認めて輪の中に組み込んでくれるんですよ、これまた他者が。
なので、人に振り回されるだ、人に馴染めないだ、そういうのはまったくもって有りません。というか、こちらがどうあれ周囲が自分と同じで扱おうとして、色々やってくれるんですよ、勝手に。
ただ、違いが過ぎてて不都合と言う時には、面倒な事が発生するというだけ、なんですよね。
あくまで誰しも違いがある、と言う部分で、不思議と目立ってしまう。
ただただ、その原因や要因となる部分に感受性があるだけなので、実は普通の人なんですよ。
背が高い、足が速い、頭がいい、そういう部分と何ら変わらないんです。
そういう得手とも言える部分です。そういう目に見えて特徴を持ってる人でも、妬まれる、嫉妬されるという負の部分はあるものです。
それ故に、多少であれば上が居ると言わんばかりに、プロと比較されたりもして。
そして、そういう目に見えて分かる部分でも、正規分布が当てはまるんですよね。多少くらいならそこそこ居る、それより上ならまだ居る方、プロまで行くと認められなければいけない、と言う感じで何かしら足切りが発生し上に行くほど経るもんです。
なのにまぁ。
繊細だ、敏感だ、生きづらいだ…
そういう部分でも、個人差由来の上下ってありますし、上に行くほど足切りされるようなものなのに、自分からそういう人と首を突っ込めば、根拠やその説明を求められますよ?
っていう感じで、現実を見たほうが良いと思います。辛い自分可哀想ではなくて。
あとがき
探しても公式のものとして使えないのは、よろしくないよなぁ、とは思いつつ。
余程で無ければ、主催のRevo氏が許容してくれてるという部分もあるので、動画の方を貼り付けて、曲とともに刺さった理由、ハマった理由に軽く触れつつ、曲から得た刺激、そして見えたものと言う感じで書いてみました。
他にもChronicle 2ndなら辿りつく詩なんか、すごく好きで。
悲しい思い出を歌ってるようで、歌うことを選んだからこそそれすらもポジティブに変換するかのように、
運命よ たとえお前が瞳から光を奪い去ろうとも
この唇からは 歌を奪えない
という強さを感じられる歌でもあります。
なので、好きです。
そういう意味では、語りの部分にこそ魅力や本質があるとも言えなくないかなぁ、と。
曲や歌も良いんですけどぉ!!
とはいえ、Chronicle 2ndについては同人時代のものなので、入手しようと思えば中古だったりになりますし、それ故にCDとしては高額になる事も。
って、気がつけばChronicle 2ndとサンホラの話になってる(笑)
個人としては、共感だ気遣いだなんかは気が付けば自然とやってるというケースが殆どです。なので、自覚が出来ないし、指摘されれば、あれ?おかしかった?ってなるんですよ。
なので、そうじゃない人が特徴から、自分に当てはめて語ろうとすると、おかしさしかないんですよね。
やろうとしないと出来ないの?みたいに。だってその、目に見えて、耳に聞こえての時点で自然と行動とってますから。
だから、なんでお前はそんなに出来るんだ?という疑問にもなりえるし、そう言われるという話を出したりしてます。
ハッキリ言って自分ですら、なんで目にした時点でそこまでやってしまってるんだ?って事も多いですよ。いやまぁ、掘り返せば理由は出てくるわけですが、それでも掘り返さないと自覚出来ない程に自然体なんですよ。
気が付いたら自然とそうなってるだけであって、それを違うからおかしいだ言われても、意識も意図もないからどうしようもない。
だから、指摘されても困るし、その指摘から他者はネガティブをぶつけ始めるのでやめてほしい。
何度となくそう説明しても、自分と違うから、という根拠が無い主観ありきの理由だけで門前払い、を長く過ごしてるんですね。
だからこそ、ちゃんと知っておくんなまし、とも言うんです。
違いが過ぎますからね、客観的に見ると。
深い処理なんてのも、自覚できない程に目にしただけで、そこまでやってしまうという様な行動から来てると思いますよ。
なので、思考を挟んだ時点でアウト!と言えなくもない。
そうじゃない人には語れないというのは、往々にして有りうることです。何かしらの障がいやハンデだったりなんかも、頭で考えれば相応の理解が出来なくもないですが、当事者が抱える深い部分には及ばない事が多いと思います。
何にしても、良いも悪いもを取っ払えば、自分と違うから分からない、なんですよね。
足をねんざして一時的にびっこひく、歩行が困難であっても、私は障がい者なんです!とか言わないでしょ?
それと同じですからね。
逆に言えば、障がい者を向かい合った時に、上辺だけで理解してるみたいな態度を取れば、目に見えないだけで傷ついてるという事が有り得ます。
HSPブームとか、繊細さんの本とか、まさにソレなんですよ。
わからないけど、本質には触れようとしない。でも、分かったつもりで自分に当てはめてブームにする。
ほんとこう、何が分かってるんでしょう?なんですよ、ね。
という事で、またあとがきが長くなったと言うか。
身代わりを探さなくとも、徒党を組むんですよね。芯がなくて、自分で説明できない、確固たる根拠をもって話が出来ない状態だと。
と、痛い所を突きつつ。
今回はこれにて、でございますよ。
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