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子供って色々ですよ

子供、と一括にしても。

幼児、乳児、少年少女、青年、と。
その年令における世代というか、層ですらも変わりますし、それこそ幼児という時点でも成長の差から、いろんな表情を見せるのが子供です。

まぁ、故あって精神病んで社会から離れたどころか。

そもそも、抑えつけられたのは気付きやすさからくる、図星だけでなく。
個人としての性別の訴え、も重なったので。

色々あって、未婚だし子供はいないわけですが・・・。

「あのさ、親だろうが祖父母だろうが、”子供の頃”は経験してるのに、わかんないの?」

子供だった頃に、不満として漏らしてた、親や大人が気付いてくれない小さな事。

そう言うのなんで活かさないの?

正直、こう。
衝動を抑えられないが故の、ミスしてません?

その衝動を、自分で抑えられないから。

ストレス溜まって疲れるだけ。

HSPとか、関係ねーわ・・・。


非常に申し訳ないですが。

気づかないの?気づくでしょ!

いつやるの?今でしょ!ではないですが。

ほんとこう、正直、マジで。
これ、疑問です。

ある時を境にプライバシーだなんだで、地域で面倒を見るというのを嫌うかのように、「余計な口出しをしないでください!」という風潮が強くなったので。

気付いても、対処出来なくなった・・・。
故に気付いてるからこそ、切ないという機会も増えまし、た!

というか、手が出せないんですよ。
気付いてしまう場合、気づかれると親が嫌うタイプ。
こういうのまで、まると感じ取ってしまうことが多いし、明らかに増えてるし。

そうやって、ね?

情報がどうあれ、それに流されるかのようにしてたから。

子供の面倒見てたら疲れる。

なんて状況を、自ら作るようになっただけ、です。

社宅住まいの頃、だけでもなく。
引っ越ししてからも、やっぱり面倒見が良い、という感じでした。
戸建て住宅の団地だし、少なからず挨拶くらいはあったけど、社宅住まいだった頃より、同級生とかなら多少・・・という環境でしたが。

「ほんと、○さんとこの子供は良く面倒をみてくれて・・・」
子供会とはいえ、親側の集まりがあると、そう言われてたそうです。

引っ越ししてからも、公園で遊んでると、新規の子。
引っ越してきたばかり、だから、馴染めない。

そう言う子を見つけると、真っ先に声かけてたし、やっぱりこう、ね。
好かれる、懐かれるという感じで。
同級生からも「お前が居てくれてよかった。弟の面倒見てくれてるし、弟が信頼してるから、助かる」と。
言われたこともあります。

まぁ、この、面倒を見るというのも、当時の自分からすると。
「あ、いやさ。寂しいじゃん?一人とか、遊んでくれる人が居ない、とか」
そういう、寂しさ、寂しさを伴う視線、空気、雰囲気、仕草から、寂しさの度合いとかに気付いてしまうから

「寂しくないほうが良いじゃん?」
でしか、なかったんですよ。

だから、面倒を見るというより。
「一人は寂しいから、一人で居るより、一緒に遊ぼう」
だったんですよ。

なので、引っ越してから=10歳以降なので。
「何で気づくの?」

「流石に気づくでしょ?視線とか、雰囲気とか、態度がそうだったでしょ」
なんですが、大人が「見えてない、気付いてない」なんですよ。

その頃から、かわんねーのよ?

というか、子供なんて、予想外、想定外の行動をするし。
だからこそ「目が離せない」ってね。
じっと観察はしないけど、”目を離す隙きもない程に、油断が出来ない”

そう言う大人を上回る事すら、やりかねない子供。

相手にしてたら、誰でも「疲れなんて感じるわ」
ただ、子供が好きだから「程よい疲れ」とか、「このくらいの疲れなら」と。
性格として、子供が好きだから、”疲れてるけど、子供のせいにしない”タイプの人が、「大して疲れてない、疲れない」と言ったりするだけ、なのでは?

子供に付き合うと判断して付き合ってれば、疲れるのなんて明白です。
子供次第ですが、勢いもあるし、体が小さい分小回りも効く。
やんちゃな子であれば、勢いよく飛び込んできたり、体当たりすることで、思わぬ力で押し倒されてしまう、とかもあるほど。

そういうのを、面倒を見る、と。
意識して面倒見てれば、多少は受け止められると思いますよ?
全部そうは行かないし、その時の都合や、自身の疲れというのもありますけどね?
かと言って、どちらに偏るわけでもないし、その時その時の状況次第なのでは?

でも、出来ないのなら。
自分の子であっても、面倒臭さを感じたり。
パートナーにも”もっと”こうという気持ちがある。

そういう「自分の都合」が原因でないの?

後は、両親や義両親という、ね。
人の関係性とか。

なんで、こういう事を言うのか?

「分かってて、母親に気づかれないように、フォローしてたからですよ」
完璧は、流石に無理でしたけどね。

これが、母の言う。
私のほうが守られてた。
ガンでモルヒネ使う時に、思い知り、後悔した事の、また別な一面です。

ほんともう。

一体何に気付いて。

何を感じ取って。

どういう判断や結果が合って。

実際に現実がどうあるから。

自分が敏感で繊細とか、それ故に生きづらい。
だからHSPだ、何ていうんですか。

主張するにも、主観だらけで、それこそ。

「それって、あなたの感想ですよね?」

っていう。


感じ取れる=情報量が多い=判断も多角的

はぁー。

ため息どころじゃないです。
ほんと。

だから「自分を犠牲にし過ぎ」とか言われるんですよ。

感想としての感じる、だけじゃないから。
辛いとか、人が苦手とか、うるさいとか、そういう感想だけじゃねーって。

目や耳、鼻、という感覚器が、感じ取る、何かしら受け取るするから。

それが脳で処理されて「状況や、状態の判断」が、その辺の人より”出来すぎてしまう”んですよ。

DOESのDとして深い”処理”なんてでるのは、脳が処理して結果を得るという、ね。
そういう部分だし、それが結果として「感じた、気づいた」という言葉になる。

本当にそうあるなら、そういう、ね?
感じ取ったものから、得た結果、という部分に。
”それこそ気づける、敏感に反応する”のでは?

なんだこれ。

生きづらいだ、こういう事がうまくできない、だ。

「はぁ?敏感ってほどに感じれるなら、すぐ分かるし、寧ろやり過ぎて言われるくらいに、ホイホイやってしまいますがぁ?」

ほんとこう、ね?

子育てなんかも、したことがない貴方が!みたいに言われますけど。

話しを聞くと。

「いやさ、親だから、子供だからって、子供のこと侮ってたり、普段からイライラタメててぶつけてるだけでしょ?」

こういう事、すっごく多いです。

疲れただ、うまくいかないだ、言うのは良いけど。

「子供の目線になって、話聞いてる?」
って、つっこむだけでも、
「あんたみたいに人のことホイホイ気づけるのと、一緒にしないでよ」
という感じです。あくまで、一例ですが。

うん。

子育てしたことないくせに!と言われるも、

あんたはホントよく気づくし、うまくやれるだろうね!

いや、未婚ですが?っていうか、未婚にツッコミ入れたのはそっち(´・ω・`)
とか。

ほんと、ね?

相手を一人の人間として、ちゃんと見て、ちゃんと聞いて。
そして接しなさいよ!

子供の頃から、ホントこう。
親も大人も、全然ダメ。

成長する中で出会う大人も。

それ以降の親になった友人たちも。

「なんで、自分の感じた事を活かして、人と接しないんですか?」

ホイホイ、ホイホイ、愚痴だなんだこぼす割に。
こぼした愚痴と同じことやってる・・・。

これ、日常茶飯事。
もう、呆れて物が言えない、という、ね?

それ程に普通とか、一般の人ってやってますよ?

当に「自分が文句をいうのは良いけど、他人にされるのはダメ」

実際、これで、高校時代に。
顧問にお願いして、同級生集めて、説教&会議したくらいです。

私が。

こぼした愚痴の内容も、相手の立場だったらされるような態度取ったのは自分たちだし、仕方ない面もあるでしょ?とか。

流石に、こう、限界っすわ。


あまりに呆れて物が言えない

自分の感情に振り回されるかのように。

主観しか扱えないから、そうやって。

ホイホイ、愚痴だ不満だ、が出てるだけです!

ばっかばかしい。

あのね?

感じるって、感想とか、感情に絡むことだけじゃないんですよ。

目に見えるもの=他者。

自分なんて鏡を見なきゃ気付け無い。

でも、目に映る他人の、情動的な部分。

感情や思考があるからこその、微妙な変化を、目が拾う。
そういう感情が漏れてる様を、目が見て、確認して、相手の感情を”多分とは言え感じ取る”んですよ。

このくらい、できようがよ?

敏感だ、繊細だ、いうなら。

あまりにも細かすぎて、気づける人が居ない。

言葉にしても受け取ってくれる人が居ない。

でも、貴方は何故それが出来てしまうの?

という、経験くらい、少なからずするでしょうよ。

自分の感情なんて、自分で処理すりゃいいんですよ。
誰かに言った所で、受け止めてもらえない以上、自分で噛み砕くなり処理するしか無いの。

でも、出来ない人がいる。
それが見えたり、聞こえたり、感じたりすると、ね?

おかしい、ありえない、普通じゃない、ほか色々。

止めてと訴えても、精神病むまで追い詰められても、

他人は好き勝手にその時の感情のまま、言いたい放題なんですよ。

やめて、いい加減そういう人だから、って言っても、ね?
受け止めれる人が他に居ないから、自分で処理してるから。

「受け止めてもらえない辛さや苦しみがわかるから、感じてしまうと、他人のほうが放っておけないの」

ふざけんじゃねーぞ?

だから言ってんですよ。

敏感繊細生きづらいだけで。
HSPだなんだ言うなら。

幼稚園時点での私個人以下だし、同じ経験するようなら、おっちにますよ?


目が様々に色や形、人の様子を感じ取るのも。

耳が音を聞き取るのも。

鼻が匂いを嗅ぎ分けるのも。

自分の周囲の状況を知る。

そういう部分あるでしょ?



そうあるから「危険を感じると、動物は対処するでしょ?」
巣に逃げたり、子供を守ろうとしたり。

そういう動物以下じゃん?

言葉なんて理解できないから、理屈なんてわからない。

でも、音や匂い、目に見えたもので、危険を知らせたり、逃げたり、まもりあったりするでしょうがよ?


はぁ。
ホントこう、ね?

国語と文法を小学生から、学び直さないといけなさそうな人、おおすぎじゃないですかね?


「都合のいい解釈してんじゃねーよ」

そういうのも、全部明け透けで気付いてしまうし、だからうるさく触れてるんですよ。


本当にそうあるなら、心理学である程度は提唱されても。

他の分野が絡むことが分かるほどに、自分がそうあるでしょ?

頭=脳とか誰でも持ってるし、神経が信号届けてるでしょ?

痛みなんか、針でチクっとやると、ね?

チクっとしたところから、一気に頭に駆け抜けるでしょ?

そのくらいに、体の中ですら。

不思議と感じ取ってしまうんです、よ!

痛覚なんかも、感じ方がおかしい。

傷口が空気に触れるようだと、空気の流れで触れ方の強弱が発生するし、それすらも、痛みとして拾っちゃうんですよ。

そのせいで、ね?
こういうのも、おかしいとか、普通じゃないとか、ありえないとか言われるんですよ。

「なんで、その程度の傷で絆創膏?」

とか、

「そのくらい、我慢しろ」

とか、

いや、脳が傷口からの信号受け取って、処置してくれ!ってなってるから。

そうしとるんじゃい!

光がー、音がー、臭いがー、人がー。

苦手なんですぅ。

は?

もっと苦しかったり、体内であるがゆえに気持ち悪すぎるものも感じますが?

血液検査なんかも、毎回ね?
子供の頃からかわらず、ね?

針が刺さるのが止まらないことには、針が肉を裂いていきながら入り込んで来てるのを、感じて、頭に信号送って、

「うわー、何度やってもこの、針が刺さる感触と肉がチクチク裂けるの、なれないなぁ」

でも、言えないんですよ。

「そんな事まで感じて言う人なんて居ない」

それは他人の話でしょ?

私は感じてるから、口にしただけですよ?
何が悪いの?
だけど、少数どころか、ほぼほぼ一人になるから、言えないんですよ。

体が同じじゃない。
だからこそ、同じ感じ方が出来ないだけ。

それなのに、おかしい、ありえない、普通じゃない、様々に理由をつけて、”普段のストレスぶつけてるでしょ?”と言わんばかりに。

皆それぞれ違いがあると言いながら。

違うことを責め立て、叩く。

こんなのが、幼い頃から、嫌というほど。
当たり前、日常茶飯事。
それどころか、教師や大人にとって都合が良い時は褒める。
都合が悪いと、怒りで抑えつけ、ねじ伏せる。

敏感で、繊細で、生きづらいしか言えない人なんて、ね?

そういう、叩いてた側と変わんないです。

「自分のことにしか目が行って無くて、他人や、他人との違いに、全然目も意識も向いてないから」

他人に目が行ってれば、気づけそうなことなのに。

目がいかないから気付け無い。

”だから振り回されるんじゃい!”

ほんと、アホくさ。


あとがき

あまり、感情的にならないほうが良いんですけどね。

流石に、ひ ど す ぎ る。

もうね。

違うこと言う人が居る=5人に1人を消した。
そういう可能性ないですかぁ?

私個人だけでなく、ちゃんと発信しようとしてる人いますし。

故に「敏感で繊細、生きづらい」が多数派になっちゃってるんだもの。

5人に1人があると、都合が悪い!やばい!

正直、ね?

子育てだろうが、学校だろうが、職場だろうが。
人間関係ってやつなんですから。

気遣いが出来る、配慮ができるなんて人も、自分以外に気付いて、様々に話しを展開できる=主観のみの主張では済まない、なんですよ。

主観って自分の感情や、感想でしかないです。
だから、事実関係とか、根拠、論理性、正確性が劣ってしまう。
そして、これが「感情論」です。

論理性って、述べられてる論、論理の性質です。
感情論=個人感情なだけなんですよ。

客観的な事実、現実に何が有ったのか?、流れはどうだったか?
そして、周囲に人がいるなら、それらの人はどうあったか?

こういう、ね?
情報が抜け落ちがちなのが、感情論、です。
論として、どのような事を語ってるのか?という性質が、論理性、と。

そして、今回は、後半はもう、思いっきりに、ね?

感情論でぶっぱなしてみました。

どうでしょう?

なんだこいつ?だと思います(苦笑
気持ちはわからなくないけど、キレッキレで言われても・・・
なんですよ。
こうして感情がぶつかるようだと、意外と客観的になるのも、人間なんですね。

なので、言論の場で感情を伴う感情論をぶつけると、相手に優位性を「はいどうぞ」と渡すことにもなります。

確かに知識は武器になります。

が。

その知識にともなう、知見。
知ったからではなく、それ以外の見聞を広める。見る、観察する、そういうのを知る以外でやっておかないと、ね。

知識が付け焼き刃で、知見を持つ人にぽきっとね。

やられかねない。

だから、知った程度で、振り回してたら、危ない、と。

何も見えてなければ、何も気付けない。

自分の都合のいい話だけで、敏感って、流石にねぇ。

恥ずかしいと思います。

それでは。


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