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既知と未知 初代ガンダムのアムロから

いわゆる、ニュータイプ。

としての、表現が一番現実に近しいのはアムロなんじゃないか?

個人としてHSPという言葉に触れる中で、何度か言及しようとしたものの取りやめたものの中に、これがあったりします。

幼稚園時点で絵を書いてる事に集中してたはずなのに。

画像ほどではないとはいえ、初代ガンダムでのアムロでの表現。
ニュータイプとして感じると専用のSEがなったり。
額に電気的?なひらめくような光がキュピンしたり。

「実際問題、そういう感じなのよ」

あくまでイメージです。
健康食品だけに限らず、そういう「実際とは別としてわかりやすいイメージ化」という、ね。

そういうのを日常で散見してるのに、扱えない人が多いといのは、なんだかなぁ…というのは、昭和の頃から変わらない要素だったりします。

ということでまぁ、ちょっとこう、ね。
色々合わせて、今回はそういう触れ方をしてみようかなぁ、と。


言葉すらも”あくまでイメージです”

初代に限らず、ガンダムという作品に触れてると出てくる”ニュータイプ”という言葉。

作中では、宇宙で生きるための進化として描かれますが…。

その設定を編み出したのは、現実を生きてる人間じゃろがい!

な の で。

それこそ1970年代の作品で、それが描かれたアムロ・レイ。
その時点でも既に、”そういう感じ方が出来る当事者、もしくはそういう他者を知る人”が、”それを表現した”

現実の生活でも、起こりうる事をアニメとして表現をしたという、結果の表れだと思います。

まぁ、その、ね?
HSPという言葉が浮上して、あれやこれや言われてますが、
「なんでこの程度の話すらでないの?」

個人としてよく話してる幼稚園時点での気づき方。

”作業に集中してたはずなのに、突然思い立ったかのように動き出す”という根拠。

”それが、ニュータイプという形で表現されてるという現実があるだけ”

ニュータイプ、アムロは確かにフィクションですが、いくらフィクションであっても、”全てを想像だけで作ると破綻する”という”現実を無視してはいけないのよ?”

フィクション作品として完成されてるのは、”作品として受け入れられる、現実への寄り添い”がなければ完成しない。

それがいわゆる

「あくまでイメージです」

なんとなくだけど、そのイメージを見たら少なからず、現実としての理解=処理が可能。

ホントこう、ね?
言っちゃ悪いかもしれないですが、
「そういう処理が浅い人って多いと思います」


ララァとのやりとりばかりじゃない

なにか感じたけど、よくわからない。

でも、それを根拠に行動したらそのとおりだった。

アムロのニュータイプしての大部分って、こういう部分があるわけですよ。

また、シャアとのやりとり。
場面の切り替えがスムーズであるが故に、お互い会話してるように見えて…。

宇宙を移動中かつ、MSに乗るがゆえに。
実社会での飛行機での移動すら及ばない、想定不可能な未知な環境。

その環境下場面がスムーズに切り替わるから、”会話してるように錯覚してるだけ”
だと思います。

実際はアムロもシャアも、お互い接近は感じ取ってるけど姿を確認すらしてないので。
”ただの独り言、それが切り替わることで会話にみえるだけ”

そういうシーンって多いんですよ。

でも、それだけでなく、それをなすのに欠かせないのが、シャア・アズナブルというライバルの存在なんですよね。


シャアがいるからこそ

シャアもアムロも切磋琢磨してしまい、お互いがエースどころか。

「なんかよくわかんねけど、あの二人は別格だよな」
に、作中でも成長するわけです。

そういう意味では、
”ニュータイプという概念を扱う、シャア”
切っても切り離せないと思います。

そもそも、シャアの場合、ジオン・ズム・ダイクンの子として。
”何もかもが準備されてるが故、という部分からの劣等感”
というのも、少なからず垣間見えます。

まぁ、ジオンの権力奪われたので、体の良い駒扱いというのがシャアのスタートらいんでもあるというか。

とはいえ。

”だからこそ、ニュータイプとアムロへの固執”
が、発生するだけでなく、自分もそこに至ろうとした結果、敵であるはずなのにアムロを理解しようとしてしまう。
という、ね。

ホントこう、人間臭いんですよ。
理想、憧れ、劣等感。

ただ、大方の人と違うのは
”その劣等感すらもバネねにして、高みを目指し、至ることができた”
という、現実にはそうそう居ないタイプ。

でも、ちょっとこうチクッと刺すと、ね。

劣等感を感じてるけど、素質もあったし、なんだかんだで遺児という環境があったからさ。

シャアもシャアで、実は現実にはそうそう居ない、外側すぎるライバル。
そういう一面もあるんですよね。


やろうとすれば出来なくはない

シャアみたいに。

ニュータイプだなんだ言い出すのはシャアが先。

それは、それを可能としてるアムロという存在を知ったから。

そこから怯えるどころか、挑戦者として同じ土台に立とうというか。
”アムロを意識した結果、シャアもニュータイプになった”
というのは、作品からも窺えるかなぁ、と思います。

だからこう、ね。
ユニコーンでも、アムロ、ララァだけでなく。
シャアの意識も出たんじゃなかったですか?

ララァを傍に置いたのも、ニュータイプを傍に置いて見て聞いて、理解しようとして。
そこに自分も至ろうとしてたんですよ、シャアって。
多分、ですけどね。

その結果が、長い時を経て。
シャアも一緒に意識として声とセリフが聞けたというのも。

ある意味、シャアの一人勝ちでもある。
そういう、ね。
結果じゃないかなぁ、とも思いますよ。

二人は素質が開花してたものの、シャアはそれに驚かされるばかり。
更には、無意識とは言え劣等感を感じてる。
だからこそ、アムロに固執したし、更にはそれがララァにも及んだ、と。

羨ましかったんだと思いますよ。
シャアにとっては。

だって、至りたくても至れない所に既に居た二人。
でも、至りたい自分は至れず仲間外れ。

良い悪い関係なく、様々に抱えてたのかも知れません。
とはいえ、そこは。
シャア・アズナブルという人物が、フィクションの中ではなく、現実に居ないことには叶わないと思うので、”あくまで可能性”ですけどね。


まとめ

という事で、初代ガンダムに触れるようで。

作中で描かれるニュータイプという部分から、HSPという言葉に強引につなげようとしてみました。

あくまで可能性。

たまたま被ったのか。
ラプラスの箱、人間の可能性という部分が出てきてしまい。

キュピーン!
これは…

とはいえ、だからニュータイプだとか言わないですよ?
ただただ、

私という個人が
・何を通して、何に触れたことで
・それを作品と言葉をつなげるという手法をもって
・今、記事で言及している

5W1Hじゃないですが、日常でも本当に困るレベル。

なんで、そういう扱い=処理ができないの?と。
客観視だ、俯瞰だというのも、ただただそれだけなんですよ。

現実としてそうあった。
その時に自分は何を感じてたのか。

過去という結果に触れてるだけに過ぎません。

なのにこう、ね?
客観視だ、俯瞰だ、共感だ、気遣いだってなると、私からすると
「それって、あなたの感想ですよね?」
ここにすら着地できてしまうわけです。

さらに言えば、「コレが私からの感想だ!」

まじかる☆ルガーランス シャイン!
って、ファフナーにまで飛び火するのは、やりすぎですか、ね?(笑

とまぁ。

現実にすでにあるもの=既知というピース
あくまで可能性という見えない部分=未知というピース

それを一つにまとめただけに過ぎません。
個人の言動としては、ただただそれだけです。

ただ。

既知だろうが未知だろうが、片方がなければ、もう片方も成立しない。

両方同時にあつかうのが当たり前。
そういう話でもありますのよ。


あとがき

何というかこう、5月に入った辺りから、

今まで出来てたことが出来なくなる。
意識してやろうとすると即座に体調悪化。

これが、うつとして診断された初期の頃と同レベルに戻ってるのは否めずになってきてます。

感じ取りすぎる=処理過多。
脳への負担が大きいので、自然と「甘いもの!特にチョコレート!」という感じになっても、買い物に行こうとすると…

体「まって、今は動かないで!」

うごけないああああああ!!
という感じです。

就労支援の作業についても、やらないと…と意識を持ってしまうので、最初は作業を出来てても長持ちしません。

「おうええええええ!!」
大声でそうなってしまうし、そうなると胃がつらいわ、目眩もするわ、気分も落ち込むわ。

寧ろこれが今の日常になってしまってるほど。

なので、書きたいと思いつつ、今まで書くこともできませんでした。

ズボラだし、面倒くさがりだし、そうとうな怠惰さんなのですが。

「そういうつもり言うなら、何故、今そう言ってきたの?」
と、聞き返すと他者は痛い所を突かれたと言わんばかり。
色々面倒を引き起こしてくれるので。

楽したいなら、先に突っ込んでの苦を取り除かないと楽に過ごせない。

でも、結果として、そこが行き過ぎてるのでなかなかうまくいかないのですが、それは…。

「いい加減、何がどうあれ、気づいたら自然とそう動いてるだけだから!」

そうすれば、意識されられるなんてまずありえないから!

自分と違う他者に対して言及する=相手が悪いのではなく、あんたが意識してしまたからだよ!

ええそうです。

客観だ、俯瞰だではなく、個人としても意識しただけです。

だから、”言及したんだよ!”

なので問われれば「私も同じなんだけど?」なのですが。
違うからおかしいと言ってきたのに、同じはありえない。

はぁー。

パンドラの箱があいて、嫌なものがあふれて辛いというか。

なんとか、今回は書きましたが。

とりえず、今回はという感じで。
また、体調と向き合いながらになると思います。

それでは。

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