見出し画像

優しさとそれは何故?

(ユーカリくれー、めしくれー byコアラ)

あくまで、自論なわけですが、

優しさって甘やかす事じゃない

と思います。うん。

というのも、甘えてるから云々ではなく、自分が向けられてみてもそう思う事って多いんですよ。

そういう部分も含みつつ語ってみようかと思います。


優しさに対して厳しいのは何故なのさ?

正直な話、状況を見るだけでなく整理しないまま、上辺の様子だけで優しさを見せても、

肝心な所は否定するし、現実見てないじゃない......

という経験も嫌でもしてきてます。

なんかこう、面倒事を抱えがちだったのもありますが、別に自分が弱音だったりネガティブを吐いたりしてるわけでもなく。そして、辛そうにしてる様子を見せてるわけでもなく。

無駄や余計な優しさを向けてくる人の面倒くささ

こういうのも感じてたり、無意識からの観察もあって避けるようにしてたんですよ。上辺だけ優しくして来て話を聞いてくれるようで、肝心なところで真っ向否定しかしてきやしない。

何のために優しさを向けてるのか?

優しい自分というのを肯定したかったり、優しい人だと思われたいというような承認欲求みたいなのもあるんだと思います。それこそ、相手に優しくしてる自分に酔ってて、相手の為より自分の為の方が大きいみたいな(言い過ぎ

まぁそれだけでもないんですよね。自分だけでなく周囲にも気づいてる人がいるからなのか、いざとなると、同じように突っ込まれるんですよ。

そんな優しさは、自分がそう認めてもらいたいだけでしょ?

という風に。

そもそもですよ。

優しくするしないなんて関係なしに、ちゃんと欲しい時に向けてくれる人の方が、その人自身がどうあれ向けられた人は、「優しい人なんだな」って感じてくれる物で。それが普段からキツい様な人だとギャップ萌えという発展すら発生するくらいに。

情けは人の為ならず、という言葉は巡り巡って自分の為とも言いますが、結局はその情けで相手が感謝するとか、助かるとかそういう現実も間違いなく必要になります。

感謝の言葉なんてのも、場合によっては社交辞令気味って部分もありますし、相手の上辺だけの反応を見るのではなく、するされる以外の周囲の人や、その場の状況という現実も積み重ねなきゃいけない。

まぁ、これだけでもないんですけどね。


実際問題として

ただ逃げてるだけ、縋ってるだけ、自分の責任は無視して責任転嫁したいだけ

こういう人も居るんですよ。感覚的に感じ取れる以外でも、目に見えてそういう人って把握出来ます。

そういう人に対して可哀想だからって、現実見てればそれは違うとか、間違ってるってのも気づけますよ。

あと、実際にメンタル病んで通院するようになると、思いの外残酷というか冷静というか、ちゃんと現実が見据えられるようにとやんわり言われますし。

ただただ、助けてもらおう、治してもらおうだけな姿勢だと、厳しい医師なら逆に叱咤するなんてこともなくもないです。実際、別の病院に通院してる時にそうあったというか、私はちゃんと話を聞いてくれるからいいけど、こういう患者さんがいて叱咤してるという話を主治医からも何度か聞きましたから(苦笑)いやそれ、守秘義務が?とか思いましたけどお口チャック。

こういう場合も医師の話を聞くというのはあくまで一つの要因で、自身で症状と向き合わなきゃいけないので、全部を医師やカウンセラー頼みにしてたら何も進まないですしね。

そんな感じで、優しくしてもらう助けてもらうだけじゃ、自分の足で立てなくなるので、これが一番よろしくないと思うんですよ。


精神障がい者として

鶏が先か?卵が先か?ではないですが。

辛くて苦しいから病んだのではなく、病んだ自分が辛い苦しいってなるだけです。まぁ、個人的には辛い苦しいは思わないし、弱音は居てたら歩みが鈍って出口が遠のくだけなので思わないんですけど。

病んでしまって、思う様に動けなかったり、働けなかったりするから辛いんですよ。そういう症状があるからではなく、自分は自分であって「こういう部分があるから」と言う方がより深い所にあるというか。


よく真面目な人や頑張ってる人が病むとかも言われますけど、辛い苦しいと同じで自分から「頑張ってるのに」とか言わないです。

そもそも、辛いも苦しいも、頑張ってるもそうですが、自身がそうあるだけでなく、それを口にしても相手が認めてくれないようじゃ、真っ向否定されるだけで、余計に辛く苦しくなるだけってのが人の世。

そういう現実があるんですよ。

それが解っるから弱音を吐かないんですよ。それに、ホイホイ口にしてたら程度は軽いとはいえちょっとした自己暗示にもかかりますし。

そうなると、自分に責任があるとも思いつつも、自分以外に責任を転嫁したくなるのも人間の心理というもので。

なので、必要以上に辛いだ苦しいだ、頑張ってるだは言わないです。言わなくても他人は勝手にそう判断してくれますし。

問題なのはそういう判断をしてくれる割に、自分は面倒抱えたくないからって分担や協力は求めても拒否するという現実もあります。

人の世って、ほんと面倒くさいというか、無責任というか。

あくまで、個人としての主張ですが、こんな感じです。

そんな経験もあるので、真面目だから、頑張ってるから病むんじゃなくて、周囲もそういう様を真面目だ、頑張ってるだいう割に、面倒を嫌って助けないという、置かれた環境も原因の一つという人も居るという話もしなくもないです。

更に言うなら、こういう現実を突き詰めないまま、真面目な人が、頑張ってる人が病むみたいに上辺だけで話をしてる世の中も、相応に無責任で面倒くさいって感じでね。

メンタルを病んだとしても、そういう人は何故そうなったのか?を点だけ見るんじゃなくて、幅広く観察、分析、検討してくれない事には、勘違いや誤解から病んでる人が増えてしまうだけって話でね。

そしてそうなる事で、そういう個人開業も成り立つって言うお金の話にもなるんですよ。患者が増える分、保険料や診察料って発生するんですから。

ほんともう、そういう特徴が全てじゃないんです。複雑に絡んでる部分もあるので、ちゃんとそこも取り上げるようにしましょうよ。

そういう部分だけでなく、話題性だけで無駄に取り上げるだけだから、ブームだビジネスだって揶揄されてしまったんだと思いますよ。うつ病に関しては。

という感じで、書こうと思えばかける物も、長くなりすぎても自分の愚痴も出やすくなるので、一旦しめ!


まとめ&後記

個人的には面倒くさいって言葉に置き換えてますが、その時その時の状況という細かい部分では、辛さや苦しさってやっぱりありますよ。

全く無い訳じゃなくて。

ただただ幼い頃から、何がどうあろうが、SOSをだそうが、体調にすら影響して痛みがたまらなくなろうが、嫌でも向き合って40年生きてきたから、これまた嫌でも鍛え上げられてしまったと言うか。

元々1歳時点で、言葉で伝えられなくても自然と察して動くタイプだったそうなので、こういう部分が根底にあり、自身に向けられてるようでその裏には自己満足みたいな物は、ネガティブな物として気づきやすいというか。

そんな部分気づきたくないですよ(苦笑)

気付いても良い事ないと言うか、したくもない否定をする自分が起きてくるような物ですし。

精神面で本当に苦しかったりきつかったりすれば、体調や動き、体としての見た目で出てきますから、言葉にしなくても気づきますもん。

辛いければ逃げた方が良い

という言葉も、辛いのに黙って我慢して、日本人特有の右向け右にならおうとして、本当は嫌なんだろうけど頑張ろうとする、そういう人が多かったのでこういう言葉も出てきたってわけで。

そして、それが都合が良いからと、自身や他者の弱だけの部分に対しての逃げ口上にさせてしまってるのが、今、というのも側面だと思います。

そんな状態だから、逃げたくても逃げられないという、矛盾の言葉も見聞きするようになってるっていうのかなぁ。

それが良い悪いという話ではなく、結局上辺だけしか見ない状態だと、無駄な犠牲を後から増やすばかりってのが変わらないんですよ。

なので、世の中いつまでたっても、時代が変わったとしても、人間が変わらないから改善もクソもなにもないって感じです。

上辺だけ、感情だけ、深く考えないまま表面だけを変えようとしても無駄なんですよ。

道路だってそうじゃないですか。

上辺だけアスファルトで舗装しても、時間が経てば劣化でワダチやひび割れや、その下にある地層や地面の影響で隆起とかが起こるから、舗装し直さないといけない。

そして、舗装した直後は良いけど、時間が経てばまた同じ。

とはいえ、根本の土台まで直そうとすると、生活に支障がでるくらいの大がかりなものになるから、なかなかできないので上辺だけを繕うしかない。

はぁ。

ため息がでちゃうの~。

こうやって、道路というか道をみてても類似点ってわかりそうなのに、何でいつまでも同じ事やるんだろうね。人間って不思議ですよ。

言葉や道具を扱える知能がある生き物、ねぇ。

その道具や道具を扱う先と変わらないのってどうなのよ!


という事で、結局愚痴を最後に吐きましたが。

今日はこんな所にしておきます、はい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?