感受性を紐解いてみる(その3
その3に来て、ようやくそれを言うか?という話ですが、それは置いといて。
感受性って誰しも持ってます。
それこそ、学校なんかで分かる程度の学力の差や、運動能力の差と同じくして、人それぞれ差があるものとして。
これは至極当然なんですよ。
ですが、HSPという言葉が無理矢理世に引っ張りだされたというか、心理学上の概念なのに、心理学ではどういう内容になってるのか?という、基本や根本とも言うべき部分は置き去りにして、勝手に置き換えた繊細とか敏感という言葉で塗り替えられようとしてなくもない。
しかもそれで、HSP=感覚処理感受性が高いという話の中に、普通レベルの感受性しか持たない人が僕も私もと自分を当てはめようとしている。
うーん。
ま、まずは感受性って何なのか?からしりましょうよ、とは思うんですよね。
という事で、今回は感受性って言葉に触れつつ、嫌でも感受性が高いって言われる身として、そういう部分も触れてみようと思います。
noteで書いてるので過去記事みれば、いつもの事みたいなかんじになりますけどね。
これが多分感受性
眩しいも臭いも、うるさいも気持ち悪いも、五感で感じ取れる物って誰しも感じ取れるんですね。
そして、
光の中には紫外線、赤外線なんかも含まれてて波長がある。
音も、空気への振動として作用する事で伝わるので、これも波長があります。
臭いなんかは、臭いなんかの原因の成分がありますし、その成分=構成する分子がある。
だからこそ誰しも感じ取れる言うだけでなく、感じとる事の一歩手前に波長や臭いの成分がもたらす刺激を受け取ってるんですよ。
こうやって突き詰めると、正に読んで字のごとく。
感じてる、受け取ってるから、感受性なんですね。
なので、感受性とかそれが高いって言われても、何だかよくわかんないって話になりそうですが、何がどうなってそう表現されるのか?という所を掘り下げてみると、意外とそういう事か!というのは分かりやすくなると思いますし、普段の生活の中で臭いや光、音などから、感じとるという部分にも差があれば、その差も人によって違うというグラデーションを見せるというのも納得がいくかと思います。
テストにしても、運動としてのタイムにしても、得手不得手以上に数値として導き出せば、ある程度の枠以上に細かい差がでてますよね。
それと同じなんですよ。
HSPという言葉
さて、感受性ってそういうものだ、と踏まえた上で、最近取りざたされてるHSPという言葉なのですが。
HSP=感覚処理感受性が高い人
です。そして、感覚処理感受性という言葉を、心理学上の概念だからという事で掘り下げていくと、環境感受性という言葉に出会うと思います。
この言葉についての詳しい説明なんかは、学がないので心理学としての言葉の説明は出来ないので割愛します。
まぁその、敏感にしろ、繊細にしろ、そう表現される原因って何なのか?と考えると、そういう感受性という類の部分についての感じ取りが高いから、という話になるのですが。
敢えてそういう方向に掘り下げないまま、自分にとっての都合の良い部分だけで取り扱ったり、情報発信って謡ってるだけの自分が知り得てるもの=知識が追いついてないというさらけ出しをやってる人が増えて来てるように思います。
人間どうしても弱い者ですしね。という、人間心理の働きすら見て取れてしまい、正に言葉に合わせて心理学という学問の内容を、人が行動で示してるという、なんとも不思議な様子が見て取れます。
そういうのを、見るだけでも感じ取れる=気づくくらいなので、感受性が高いと言われる。
普通に感じ取れるラインなのですがその普通が外れすぎてるからか、嫌でもそういう指摘を他者からされる身としては、HSPという言葉を下手に扱う事で、自分から炙りだされに行ってる=飛んで火にいる夏の虫という動きすらしてるよね、というのが見て取れてしまう。
それ故に、言葉について知るのが大事ですよ、と訴えてたのですが、知ったこっちゃないと言わんばかりに、自身の弱さをHSPだと謳うというのは、流石に待て待てという話にもなるんですよね。
感受性って高すぎると、良い悪いが付きまといます。
それは、嫌でも高いとして指摘される自身だけでなく、その自身が制御して使わなければ簡単に人の内側に踏み込んで傷をつける事が出来るようなものなのですが。
そうあらない人には、解らないですよね...って嫌でも実感させられてしまい、幼い頃からそれが出てた身というだけでなく、昭和の時代に生まれてもいるので、人間本当に変わらない、人は過ちを繰り返すというのを世の中がその動きとして示してくれる。
やれやれなんですよね。
感受性が高いということ
兎にも角にも、良いも悪いもが付きまといます。
自身が受ける物としては、
人間誰しも違うというのは分かってるのに、自分と違うからという否定で攻撃をされるという部分です。
多様性なんて言葉も聞かれる様になりましたが、今の世の中が扱えるわけが無いと言いうのを感じとる以上に、その自身が受ける物として他者からされてしまってるんですよね。
また、掘り下げる=分析、解析、検討、状況の整理等、何故そうあるのか?そうなるのか?そう言われるのか?を自分で知り得て無ければ、嫌でも否定という攻撃をうけるので、落とし込むというか、抑えておくというか、そういう事もしなきゃいけないんです。
それ故に、感受性が高いと指摘される=客観的な視点として周囲は低いという状況や環境が発生する、という身でもあるので、他者についても容易にみてとれるという、とんでもなく厄介な人にもなります。
なので、掘り下げるという事をして、出す出さないの取捨選択も常にしつつ、言動に気を付けてるんですけど。
流石に限界が来つつあります。
感受性が高いと、その高い感受性を扱う為には、自己防衛も必須ですし、自分以外の他者=人それぞれが抱える差や違いにも配慮して扱う事にもなります。
なので、感じとるという状態異常に、自他ともに配慮をするのが当たり前なんですよ。
結果として、感じとれなくて分からない人には、そうある私は自分に厳しくストイックであると同時に、他者には十分すぎる配慮をしてる人という風に映る様で、こういう事すら指摘として干渉もされます。
こういうのをね、自分の分だけでなく、自分以外の他者の分まで向き合わなきゃいけないし、幼い頃にそれに気付いて、こういう事が出来ないと人の世界で生きていけないから、面倒くさいのだけど実践してきてるんですよ。
生きづらいとか、そんなのもう幼い頃に過ぎ去ってます。
そういう私に気付いてた母ですらうまく扱う事が出来ず、自身の価値観や感情から怒るわ、最悪怒鳴るなんて事をしたので、それすらも学びとして、こういう事を出したら怒られるんだなぁ、出さない様に注意しないとって、抑えたり隠したりが日常だったんですよ。
自分がどうあるか?ではありません。
自分とは違う他人との生活が当たり前だし、違う相手の方が絶対的に多数派なので、うまく向き合う、付き合うしていかなきゃいけないし、生きづらいというのは、至極当たり前で普通レベルだし、嫌でも幼い頃からそうあったので慣れってやっぱり出てしまいます。
そういう意味では、昨今のHSPで言われる生きづらさなんて、申しわけないけど幼少期に通り過ぎるどころか、口にせず辛いと思わない様にと自分で訓練して鍛えて来てるので、何言ってんだ?になってしまう、と。
建前を並べたところで、たまには本音をだしてみましょうか。
大してわかってないよ
それはもう、HSPという言葉を当てはめてる自分すらも分かってないって人が多いようにも思います。
HSPって感覚処理感受性とか、環境感受性という言葉で表される心理学上の概念というだけでなく、高すぎると言うほどに感じ取れるので、常日頃から人の世の些細な違和感すらにも気づきます。
そして、それをなあなあにしてるのも人の世です。
というか、厳密にやろうとしなくても、正しいだ間違いだと、何かと自分と違う他者への攻撃をしてる人って多いじゃないですか。
普段黙ってて過ごして来てましたが、今頃になってと言わんばかりに、
善悪二元論よろしく、善か?悪か?みたいな1か0かで語れないのが人の世です。
って事を言わなければいけない様な時代になってしまってる。
ネットが普及して無かったというだけでなく、だからこそ自分と違う人が居る方が寧ろ当たり前だった昔の方が、下手に正しい間違いに言及せずに過ごしてたんですよ。
こういう感じで、時代が変わったが故に、その時代が持ちうる悪い部分すら感じ取ってしまう。
ただ、それについては良い部分も持ち合わせてて、それを享受してたり、楽しみを得る手段として使ってるので、言及しないようにしてたのですが。
便利とか、楽が増えると、人間は欲が加速するものよね。
だからこそ、いつまで経っても、人は過ちを繰り返す。
自分と違う他者に干渉する割に、違う他者から自身が干渉されるのは嫌うってどんだけ自分を棚の上に挙げてるんですか?っていう。
自分に甘い、我儘が過ぎる、好き勝手し過ぎ。
感受性が高すぎると、嫌でも自分だけでなく、他者に対しても制御をして抑える側に立ってますから、外側から観察すると言う様な状態にもなるんですね。
そして結果として、言及し過ぎると因果応報で自分に跳ね返るし、その原因が言葉なので、口は禍の元だしというのを自分と違う他者が嫌でも見せてくれるから、人の振り見て我が振り直せなんですよ。
温故知新という言葉すら現実が示してくれる。
嫌でも昔の人が作ってくれた言葉を自分に言い聞かせて、今でも活用しつつ、過去の先達に感謝すら覚えるんですよ。
こういうのも、口に出して言おうものなら、お前はおかしい(笑)って言うのが日常かつ、人の世で暮らすという事なんですよ。
人生悟り過ぎだろーって、同世代に何度笑われ、からかいされた事か...。
やれやれ。
その外側に立っている
感受性って誰しも持ってるもの、でもそれは人の違いという形でグラデーションを見せる物。
こう言うのを押さえて落とし込んでみると、
嫌でも人の世の外側に立たされてしまうもの、という事すら感じさせられます。
いつまで、正しいだ間違いだやってるの?小さい物なら喧嘩、それが大きく大規模になると紛争や戦争という物なのに、戦争反対と言いつつ、自分が間違ってるという物には攻撃する。
意外とこう、言葉や道具を使う物の、突き詰めて掘り下げるとそれこそ本能としての弱肉強食、弱いと感じる相手に襲い掛かるという、野生の動物となんらかわらないんだよなぁ、人間って...。
何が霊長類ですか。
っていうね。知能が高かろうが、感情も併せ持ってて、その感情を制御するのって凄く難しいんですよ。
こういう御大層な内容を書いておきながら、私自身も嫌って程に自分の感情に振り回されるという事もあります。
ただ、臨床心理士の先生にカウンセリングをしてもらった結果、自分以外の周囲の感情すら取り込んで自分の物としてしまってるという評価が示すように、感情に振り回される時って100%に限りなく近い確率で他者の方が感情的になってます。
うん。
面倒くさいなぁ、ほんと。
動物について知ろうとすると、人とその他の動物の違いは理性や知性を持ってるという内容も見かけたりしてましたが、これについてすら小学生レベルで、理性や知性が示す物はなんですか?っていう状態にも嫌でもなるよな感じで。
変な話、宇宙に立って地球を見つめるという例えが出来る程に、周囲を見つめてる、見つめるどころか目を向けなくても感じ取る事で把握してるという感じで、不思議と外側に立つような感じにもなります。
結果として、悟りを開いてるみたいに言われる事も多々あるのですが、悟ってねぇ!が自分での解釈です。まだまだ、甘いんですよ。
何だかんだ言っても、いざとなれば自分を守る方に動きます。
もう、メンタル持たないわって程に疲れ切って、通院してるわ、精神障がい者手帳も取得するわで、守りの姿勢に入ってますし。
メンタル病んだのも、自分と違うからって行動に口出しされたり、される割に言いたかったから言っただけっていう無責任な行動が殆どだし。
人としての個人差として違いがあるだけでなく、その違いを良い方に評価したり助かってるって言われる事の方が多いですから、自分とおかしい程度なら放っておいてくれませんか?って感じなんですけどね。
なんでか、不思議と、突かれるんじゃい。
通院してても、深い部分を話せば思考が追いつかないから待ってくださいっていわれたり、絶句されて沈黙が部屋を支配したりとしてしまうんですよ。
そして、それを経験してしまったから、そうならないように通院してても自分を隠してさしさわりない行動をとる必要すら出て来てしまってる。
そりゃ、病みますわなっていう。
そして、根底には感受性が高すぎて、感じとり過ぎてしまうだけでなく、あまり自分で言いたくはないけどその違いが高い方で働いてるから、出る杭になって嫌でも叩かれる、否定される、頭の中が除けるわけでもないのに気のせいだ、勘違いだ、思い過ごしだ言われる。
いやいや、実際目にしてますから。現実に見えてますからね?思い過ごしだなんて何をどう見て聞いてして返答してるんですか?って事すら、お口チャックしてます。通院でもね。
話を聞くという事すら違う
割と単純な事なのですが、こういう部分すら違います。
良くも悪くも民間レベルでのカウンセラーの取得をしたのですが、資格について勉強してる際に、受容と傾聴という言葉が出てきました。
ですが、
これって相談レベルでも普通にやるんじゃないの?
っていう、自分の実際と比較したら、困惑するしかなかったんですよ。
という感じで、相談という場を例にあげると、話を聞くという時点で自然にその受容と傾聴すらやってたりします。
相手の言い分が正しい間違いなんていちいち言ってたら、相談なんて乗れないんですよ。相手を刺激して感情的にさせてしまうだけなので。
そして、こういう事すらも、
何でそんなに相談に乗るのが上手なの?
何でそんなに話を聞いてるだけで気付けるの?
という感じで、は?当たり前じゃん?な事を他者から指摘されてきてました。
こういう部分も個人差という話というか、話を聞くという事すら、何で聞くのか?というと、コミュニケーションを取るために、相手と言葉のキャッチボールをするわけで、相手が投げてきた言葉というボールを受け取らなきゃいけないんですよ。
それに対し、正しい、間違いというバット=自分だけにしか通用しない価値観を持ち出して、正しいだ間違いだとすぐ打ち返すから、相談に乗れないだけです。
と言う様な感じで、話を聞くという事すら、そもそもスタンスが違ってるんですよ。
人の会話というコミュニケーションは、キャッチボールよく例えられますが、相手が向けてきた言葉がボールなんですね。それを受け取らずに打ち返してたらバッティング練習で、キャッチボールになってないでしょ?ならないでしょ?っていう。
正しい、間違いという言葉すらも、人によって受け取り方や解釈がありますし、これには色んな差が絡んでるんですね。
そして、こういう事すらも、個人差があるのは分かってるといいつつ、正しいだ間違いだを詳しく聞き取る前に持ち出して、相手にぶつけてしまってる。
更に言えば、自分が関わって無くても、こういう部分での色々って嫌でも感じ取ってしまうんですよ。その場という、環境に発生してる、些細な変化として自然とキャッチしてしまう。
結果として言われるのが、
感受性が高いんだね、っていう表現なんですよ。
話を聞くという事からすら、そこに行きつくんかい!!
そんな感じなんです。
そして改めて
見た、聴いた、臭った、触ったという五感での受け取りすらも、感受性の内です。
誰しも感じ取ってる物なんですね。
また、人の感情にしても、言動にしても、そこから何かを感じ取ってるのも同じく何ですよ。
なので、感受性が高い人って、見逃されるとか意識して記憶から呼び出さないと気づかない、と言う様な事すら、その場、その状況で逐一感じ取って、それを処理して、取捨選択や判断して、というのを無意識かつ自然とやってしまうので、人と違って見えてしまい、干渉だけ泣けならまだしも全くもって違う他者の価値観で勝手に判断されたあげく、否定からの言葉での攻撃すらうけてしまうというタイプなんです。
目で見て観察してって程度ではありません。
その場にいて、そっちを向いてなくても感じとるんですよ。
要は、認識するを感じると置き換えてるのではなく、本当に感覚として感じ取ってるんですね。
生きづらいじゃないです。
その原因とも言われる違い、個人差があるだけという話なんですよ。ただ、違いが過ぎるので良いも悪いも色々あるんです。
それが日常的どころか、1日に何度も、人が変わっても同じ様に繰り返されるとかもザラなので、生きづらいとか言って悲しみに暮れてる暇ないんですよ。
そんな事やってたら、不満っていう負の感情しかわかないですし、それには怒りや哀しみが伴うので、他者を恨み呪いするような事になり、人を呪わば穴二つという感じで、違う他者に意識を向けてしまう事で、その向けた意識に含まれる負が必ず跳ね返ってくるんです。
だから、そんな自分で自分を追い込む真似なんてしません。
やるだけ無駄、です。
ただひたすら、淡々と現実、そして自身と向き合い、良いも悪いもを清濁併せ呑んで静かに生活していくだけなんですよ。
その結果、メンタル病みましたけど、だからと言って出来ない他人に配慮させるなんて無理ですし、感じ方が違うわけですからやるだけ無駄なんですよ。
そして、メンタル病んだのは、どうにも口ばかりしか動かさない世の中に面と向き合い過ぎたので、完全に気力すら枯れてしまったという状態になった感じで。
中学生頃から、気力で殆ど動いてましたしね。
体重いし動かないんだけど、兎に角動かして普通を演じなきゃ、誰も分かってくれない、話したところで「言葉を受け取ってくれない」んですよ。
言葉を受け取ってくれないから、自分で向き合って他者の分まで感情の制御してたから、気力は削りきりました。
他者の感情の制御というのは配慮とかそんな感じです。感情的にならない様に、状況をこちらが処理してあげるという感じです。感情的になられても長時間の口論するばかりで、事が進まないんですもん。
学校っていう環境ですら、それでしたからね。協力とか分担って言葉があるだけで、実践が伴わないって事が多いです。
そして今の世は、いかにして自分が楽をするか?が強くなってると思いますよ。
今から10年前でもそうでしたし、そうやって楽しようとされると、片付かない仕事があるから片付けてたら、真面目過ぎ、頑張り過ぎ...。
やれやれだぜぇってなもんです。
ほんともう。
昭和の頃から。
変わらんね?
という事で、長くなっただけでなく、もうリハビリですって言い訳しながらでも言おうかなぁって感じで、長年黙って隠して来てた物を出しつつ、終わりにしたいと思います。
あ。
最後に付けたしで。
繊細って言葉は、造形としての脆さも含みます。
下手に使ってると、ただただメンタルが弱いだけですって言う様な物でもあるのでね?
使うの止めた方が良いと思いますよ。
完全に立ち上がる気力すらなくなるまで、寧ろ黙って現実と向き合ってきましたし、治療中でもそうあります。
感受性が高すぎると、自身の感情すら制御する=抑え込む、取り除くをした上での、現実として厳密な意味としての正しさすら感じとるので、そちらに動くんですよ。
感情含んで適当言うんじゃありません。
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