見出し画像

たまには自分の事も その2

前回では書ききれなかったので、続きというかそんな感じで。

▼前回の

感じやすくて、幼少の頃から感受性が高いと言われてた自分のお話。時にぶっ飛んでるっていうか、すごい勢いで真っ向否定されたような事もあるので見方、感じ方、受け取り方次第では、何言ってんの?ってなるかもしれませんが。

お付き合いくだしゃんせ。

そういうと大げさだから...

世の中には、第六感とかギフテッドと言う様な、概念というか考え方もあって。

ほぼほぼが感じた物から、ある程度の可能性の予測→しばらく時間経過→予測してた可能性とほぼほぼ同じ様な事が起こるという経験もそこそこありますが、それでもそういう特殊な物でもないかなぁとも感じてます。

ただ、その可能性の予測という中には、ちょっとおかしいとも言える物もあったりしますが、基本的に人として忌避してしまうから外れてるという側面があり、そういう部分に対し客観的とか冷静にとか見れてるので、ちょっと人間離れした事を言ったり感じたりするのだと思います。

前回の母との話で、癌云々もそんな感じ。

母方の曾祖父も肺がんだったし、過去帳とか残ってるのでそこから受け継がれてきた話の中では、やっぱり時折体が弱いタイプが生まれてしまう様で。

そして、私自身もどちらかと言うと体は弱い方。

メンタル面で胃にストレートに来やすいですし、胃に限らず大腸のポリープなんかでもストレスは指摘されてたりします。腰椎椎間板ヘルニアとかもありますけど中学時代に既に発覚してたというか、骨格的な以上から腰痛とは一生の付き合いって言われたし、

そういう部分は私個人の持ち前なのですが、基本的に母と体質が似てる部分も多く、片頭痛もち、認知される前からの花粉症持ち、体温高めで37℃は割と気づかない→慣れてても気づいた時には無意識下でショックうけてるのか沈む、などなど。母方の親戚からは、見た目は違うけど中身が瓜二つとかいわれたりもします。性格とか考え方も似てたので。

そういう部分は幼少期から見てましたし、それ故に色々感じてた事もあると思うので、中学生の時点で何となく予測をしてしまった...。

という可能性の方が強い、という感じに収めてます。あまり自分を持ち上げるのが好きではないので(苦笑)

ただ、母も、祖父も、祖母も、従弟や幼馴染も。

瞬間的に、バチっと刺激?というか何かが弾ける感じで、「あ...」という感じで気づくというか悟るというか、最悪の状態に行くなぁこれは...→その通り、と。

それ以外でも、感じた物への理由付けって結果が出てしまわないと出来ないの物もあるんですよね、感じてる本人としてもわずかではあっても信じがたいという否定も湧きますし。

なんかこう、感受性が高くて色々感じてしまうから、表面的、客観的な現実よりその裏を自然と見てると言うというか、結果的にそういう部分から不思議な感覚とか気持ち悪さも自分に感じたりもするもんです。

そして、第六感とかギフテッドとかを広く浅く調べたりしてると、流石にこれは自分にとっては持ち上げ過ぎだし、大げさよね...って感じてしまうので、そうでは無くHSP、そしてそれすらも、HSPっぽいになったという感じです。

それを言えるのがHSPだった

まぁ、そういう部分から一応そうしておいたのですが、多分とか恐らくという意味を込めて「それっぽい人、ということでのHSPっぽい」にしてます。

実際、自分を確立するのに基本的に概念も受け入れつつ、否定もしておくというタイプでもあるので、変にハマらないというか、そもそもそれを嫌うどころか忌避してるような感じもあります。

自分の事だけど、割と曖昧。

正直、今あるブームってdelicate(デリケート)という部分の訳が少しズレてしまった結果もあるかな?と。

恐らくそういう事じゃなく、良くも悪くも感じやすいんだけど、変と言われるような方向も感じ取ってしまい、それが現実化するという経験をしてると、敏感とか繊細程度じゃ済まず、扱いが難しく下手をすると訴えてる本人が傷ついてしまうという。そういう意味でのdelicateなんじゃないかなぁ?と個人的に解釈しています。

敏感や繊細に留まらず、色々感じすぎるので「扱いが難しい」という意味でのdelicateみたいなね。

実際、感じたって表現してても、中にはイメージや映像が即座に頭に浮かぶってケースもあります。その通りにはならないけど、ほぼほぼ浮かんだイメージ通りになったなぁ、みたいな。上に書いた人の生き死にについてなんかは瞬間的に「終わりです」みたいな一方的な通告の様に文字が頭に入ってくるような感覚というケースもあったりします。

でもそれって、感じ取れない人にはいくら説明しても伝わらないんですよ。

伝わらないが故に、第六感とかギフテッドまで行くと流石に大げさ。でも、やっぱりちょっとおかしい感じ方をしてしまう。それを明るみにして分かりやすくなる様に研究してみよう!というのがそもそもの発端ではないかな?という感じもします。

感受性が高い、という表現はされてても理解できない物には否定が付き物だし。否定されると、傷つくまで行かなくとも嫌な物をすごく感じます。無意識にマウントとろうと、無い事にしようとしてるみたいな。

まぁ、私も否定的な物言いをしてるので、そう取られるかもしれませんし、それは覚悟の上で書いてます。

こういう部分もあって、個人的にごちゃごちゃうるさく言ってるという部分もあります。

大も小も、良いも悪いも感じるし、適当に言ってる人を見かけると嫌な物を感じるし、普段なら抑えるけどこれは喉元噛みついてやらんといかんかな?とか、攻撃的な部分も含んでますけどねぇ。という戒めも書いておきます。

そういう部分も含めて

必要以上にハマらない、というスタンスにはしていますし、実際そうならないよに心がけてます。

でないと、結局感じ方の問題で自分の中に歪みが見つかったり、自分以外の他者の視点から逆に考えさせられ、受け取り方を変えるという事もあります。

なのでこう、私の内側にはに自分を肯定する私と、自分を否定する私が存在してるようにも感じます。ほら、おかしい人だ(笑)

記憶もちゃんと残ってるんですが、スイッチが入ったかのようにどちらかがガッツリ出て来て暴れるみたいな状態も感じてるんですけどね。

通院時に相談しても、これすらも「不安です」って言われて...。ってこれは話がそれるのでストップ。

また、必要以上にハマらない様にする為に、自身でストップをかけるだけでなく、それなりに確証のある知識を拾いにいきます。この際、HSPについてはブームあるあるは完全に除外しました。

だって違和感を感じてしまうので、自分にとっての確証にはならないですし。そもそも、同じ物を仕入れるだけになるので、自身のアップデートにならないんですよ。無駄にファイルが増えるだけ、みたいな。

なので、本も購入しないですし、同じような本を揃える事もしません。

心理学は学んでないのに言及するのもなんですが、これって自分を安心させるため、そして自身の深い所では不安が拭いきれておらず払拭をさせるための行為、という風に感じてますし、そういう風にみています。

こういう部分もあるから、余計なお世話と思いつつも警鐘を鳴らすっていうんですかね。否定的な立場からの意見を発信してるという感じです。

そもそも、それが「HSPについて研究された全てではなく、ほんのごく一部にしかならない」ですもん。自身で論文読んだ上での判断ではなく、伝聞に次ぐ伝聞による物での制作物でしょうし。

より幅広く知識や意見を仕入れて、自分で自分に問いつつ見つめなおして、飛びつくのではなく徐々に固めて行った方が良いと思いますよ。

性別違和とかも同じくそんな感じでね。

高いお金かけて性別移行手術をして、戸籍も変えたのに「元の性別に戻りたい」ってなってしまう人も居て。でも一旦変えた戸籍を元には戻そうにも、条件に「生殖機能の除外」という項目がある為叶わないという事もあるそうで。伝聞ですけどね。

こういうのって、不可逆ですし「覚悟を決めた!」ってもその時の覚悟でしか無く、生きてれば色んな変化で後悔先に立たずっていう事になったりもします。

それに、性同一性障害という症状として以前は扱われてましたが、その頃から表に出てないだけで「それを悔やんで...」という最悪の結末を迎えてる人も居るんです。

こういうのって、隠れてるんですよ。聞いたり調べたりしたら、目にする耳にする可能性は無くもないんですけどね。

ニュースになったとしても、戸籍変更をしようがしまいが、その時の性別の情報のみしか拡散されないですからね。

こう言う経験からも、必要以上にハマらないようにしよう、そんな感じです。

まとめ

また長くなったよー!

一応見直しもしてますけど、そういう部分ではまぁいっかーって適当な部分もあるので、後で見直して...とかもありそう。

まぁ、それはそれ。

どうしても、伝わりやすくしようとか、どうしたら伝わるんだろう?ってのが常に付きまとってて。そういう心持ちで書いてると、自分の深いとこから浮かんでくるものがあって、それが作用して長くなる&たまにおかしな文章になってるみたいな事もあります。

前の記事では「伝わりにくさが狙い」とか言ってたくせにね。と思われそうですが、あくまでそれは一部かつ前の記事では狙って目立たせた、というだけだったりもします。

まぁ、こういう事を書こうって言う指針みたいなのが出来てないせいもあるので、自分で突っ込みいれたりもしちゃってますけど。

言わせてもらえるのであれば「伝わりにくさ」を狙ったのも、伝わりやすくする事を考えた時に浮かんだ一つの手法みたいな側面もあります。

何はともあれ、HSPについては言葉で括ったとしても個人差があるんですよ。この個人差って部分は比較の基にもなり、その比較によっては自身が下になる可能性がある。こういうのを嫌悪してしまうのもわかります。

でも、それはやっぱり自分との向き合いが足りず、それが足りないが故に感じ方が弱くて流されてる=本当にHSPなんですか?って問いたくなる、という部分はあったりします。

この辺はね。

ほんと、幼稚園にあがるか?のくらいから、感受性が高いが故のアレコレを経験し始めて間もなく40年になるというような年齢でもあって。

そして、その部分の中には性別違和に関わる部分もあるし、それが現実どうこうではなく、私自身の感じ方という風に自身では捉えてたりします。

私にとっては自分の性別がどうこうではなく、体が間違って生まれてきてしまったとしか感じれないんですよね。そういう意味で、「性自認が」と言ったりしてるのですが、ここでもやっぱり少数派というかズレてしまってるんですよ、何でかなぁって苦笑いしちゃいますけどね。

そういうね、経験があるので、やっぱり今のブームはいただけないなぁ、そんな心持ちにもなるんですよ。

それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?