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もう少し踏み込んで

ほんとこう、情報にしろ言葉にしろ、出回ると上辺だけって事が多すぎて嫌になるというか。

現実を深いところで見つめすぎ、とはいえ、それがデフォルトとか基本の視点なので、どうしても見えるんですよ。

と、カウンセリングの話をだしたりしてますが、実際こういう時って一瞬時が止まってます。え!?みたいな感じで。

他者の感情を取り込みすぎ、自分の物として消化しすぎと言われた時も、勝手に気づくとか、勝手に入ってくると言う感じなのでそう答えたら、これまた・・・・・という感じで一瞬止まり。

兎に角、なんでか不思議と感じ取りすぎるだけなんだよ。

HSPって言葉が出てきたのに、色んな所で踏み込みがたりないわ、って流石にこれはイラっとするというか。

似てるから、同様だから、じゃないです。

ということで、今回はちょっと口うるさくなるかもしれません。


環境から受けるものへの反応。

小さすぎて、周囲にいる人が気づかないっていうレベルの物も感じ取りますから!

そして、こういう場合苦痛とかありませんから!

どちらかというと、危険信号って感じですかね。このまま放っておくと何らかの危険性に繋がりますよ、ってのを、微小とか微細とかそういうレベルで感じ取ることも多いです。

なので、基本として、

うるさすぎる音、苦痛になる匂いなんかは普通の人と反応が変わらないことも多いです、よ。

また、そういう物を人が発した場合、感情が乗ってるのがわかるんですよ。相談上手と言われる部分として、話を聞いてるだけで何でそんなに分かるのか?と言われるのですが、人の感情が絡んだ上のものだからこそ気づいてるんですね。

そしてこういうのって、周囲だけでなく、相談している本人ですら気づかずに、問われて指摘したら驚かれる=だからこそ何故か?と問われると言う感じです。

なーので、病気でもないんだから、病理や病態があるものと一緒にしないでおくれよ…というのは、特に病院や医師発のものだと、そう感じざるを得ません。

これからの時期、風邪の症状と高熱と言う状態になれば、インフルエンザも疑われるようになると思いますが、こういうのって

風邪の症状や高熱という病態に対して、インフルエンザウィルス感性の可能性っていう理由があるからですよね?

音や臭いに反応しやすいってのは、元となる音や臭いがあるし、そこには匂いの成分や振動で伝わる音っていう原因があるので、原因をちゃんと探ってくださいな。

痛みにしたって痛みの原因があるわけで、痛みを訴える部位によっては、鈍い痛み、支障がない痛みでも検査してみないとまさかの可能性もあるから検査するってなると思います。

そこを、ね。

HSPって病気でもないのに、似た症状があるからって、病気と一緒にしないでください。

今でしょ?ならぬ、

医師でしょ?

なんですよ。

苦痛を訴えない、おおよそ多くの人が気づかず見逃してしまう物にすら、気づくんですよ。だから、感覚処理感受性が高い人=HSPっていう、ね。


基本的に普通と変わりません

正直、似たような症状があるからっても、その症状に当てはまらない人でも感じ取ってる、でも問題なく過ごせてるって事も多いと思います。

その可能性も考えてよ。

真面目にこれです。

度が過ぎて苦痛を訴えるというレベルになると、その他大勢と変わらないんですよ。音とか臭いとか。

また、我慢やスルーもその他大勢と同じ様に普通にできたりします

というか、香水なんかは香水の匂いじゃなくて、その中の香料でも柑橘系があるからとか、アルコールの匂いがとか、細かく感じ取ってるのが当たり前で。

音なんかにしても、何が鳴らした音なのか?人が絡んでるのか?聞こえてきた方向は?とか、その他に音が混ざってないか?とか。

そういうのも全部聞き分けてて驚かれます。

なので、苦痛を訴えた場合、この音がうるさい、この臭いがキツイではなく、その中に含まれてる詳細の部分で答えてしまって、そこまで気づかないって驚かれるんですよ。

こういうタイプってそうそう居ないですからね。そして、過敏だろうが普通だろうが、それ故にどちら側からも驚かれるし、ありえないとか言われます。

だからこそ、20%みたいな数値も出てきて、そこから5人に1人みたいに言われたりもすると言うか。

病気じゃないから、という言葉を起きつつも、似てる症状って病気につなげるのやめて欲しいと思いますよ。ほんと。

ひどい場合、発達障害でくくってASDもAD/HDもをごっちゃにして、この部分はこっちと似てる、その部分はあっちと似てるっていうのはさ、

ASD:自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群

AD/HD:注意欠陥・多動性障害

ADHDって記載されることが多いけど、attention-deficit disorder:ADD=注意欠陥障害とhyperkinetic disorder:HD=多動性障害って分別されるくらい知っとろうね?

とか思いますよ。痛い所指しまくってるかも知れないですが。

また、必ずしもこちらだけというわけでもなく、両方だったり、ある程度だったりが被ってる事もありうるので、あくまで個人をみてそのパーソナルの部分に発達障害としての、こういう部分があるという見方をしないといけないというか。

発達障害として、これを持ってるからこう、ではなく、これまた個人としてそういう症状の部分があるっていう逆の見方出来ないから、未だに症状の名前が知れ渡ってるのに、個人が不利益を得るっていう状況になるんじゃないかな?って思いますよ。

で、どの症状にしても、個人個人で出方が違ったり、この部分は見られないとかあるので、症状だけで一辺倒な見方すると個人が傷つくっていうかね。

様々なタイプがありえるというのが実際だと思います。

って、あれ?HSPとか、その辺の話をしていたけど。

まぁ、これはこれでよし。知ってもらわなきゃ始まらないですしね。どれにしても。


考えてみて欲しいと思うこと

感覚過敏なんかは、正にそうというか、

受け取った刺激に対する、反応がメインだと思います。こういうのが苦手、こういうのが苦痛みたいに。

HSPだと、その刺激の受け取り方があらぬ方向に行ってる、と言う感じですかね。なので、受け取った刺激に対して、普通には言及されないような部分すら言及出来てしまう事も結構あるんですよ。

感じ取るとか、気づくとか、感覚としてとか、何を受け取ったか?を詳細に説明できる人も多いと思います。

色なんかも、光の反射によるものなので、色の見え方が細かい事もありますし、それを絵にした時の色の表現としてみせることもありえます。

そして、こういう部分でも多くの人が受け取れない部分を、受け取ってるからこそのHSPというか。この前もちらっと話しましたけど。

また、声なんかでも明らかに怒ってるというものでなくても、言葉の選び方や表現なんかでも感情の動きに気づいたりしますし、SNSだと本当にうまくやってくれないと、思いっきり漏れてますよってのを見かけるのも多いです。

また、情報なんかでも、何らかの意図みたいに、はっきりではなくてもその裏みたいな部分も感じ取ってしまいます。

それ以外にも、状況全体から察するという事もあるので、話に混ざってない、視界に入れるどころか背を向けていると言う状況でも、察して気づくことすら可能ですし、それ故に驚かれることが多いです。

突然寄ってきたと思えば、困ってますよね?これどうぞ。

みたいなことをやるんですよね。

そういう部分もあるので、特定の刺激に対して苦痛を訴えるだけの過敏なだけの症状や、コミュニケーションで難があると言われがちな発達障害なんかとは、

真逆の行動もホイホイやります

真逆=出来ない、そうあらないという部分も含むという感じです。

また、そういう部分は普通の人でも、おいそれと出来ないと言われますし、それ故に普通の人からも、お前は色々おかしすぎる、って言われるんですよ。

行ってしまえば、運動や学力、色んな意味での創作、クリエイティブという結果が出るものとは別として、結果が出ない部分で妙に出来すぎるという状態を見せもする、普通なんだけど、普通から抜け出てしまう部分を持つ人っていうですかね。

臭いの細かい部分を嗅ぎ取って、お前は犬か!と言われたり。

背を向けたままなのに、ある程度までは行動を言い当てるみたいな事をやるので、お前はエスパーかと言われたり。こういうのって、気配っていうんですかね。人の動きすら察してたりするんですよ。

また、変に飛び抜ける事で色々ありすぎたので、個人としては気づいてても言わない、動かないという事も自分の判断でやってたりします。

なので、全部が全部行動で示したりもしないので、余計に驚かれもしてるんですね。

下手に動くと、気を遣おうとしての行動に取り掛かってるのに、その人の好意を潰すかのような行動にもなりえるので。こういうのも、普通に過ごしてるようで実は気づいてたりするんですよ。

なので、気持ち悪い(笑)って引かれる事すらあります。

そういう意味では、20%とか5人に1人なんてのも、あながち嘘でもないとも言えるんですよ。

なので、そんなにホイホイ、僕も私もなんて出てくるようなタイプでもありません

まぁ、面として見て見なければ分からないとも思うし、微妙な感情の動きとかも感じ取るし、やってみてとなると感じ取れるからこそ勘ぐっても仕舞うので逆に動きが悪くなりもします。

そういう部分もあるので、自然体で居られる状態で、自然な感じ取りとしてが一番浮き出てくるって事もありえます。

正直、環境よりも、人間の方が厄介なんですよ、自他ともに相手をするとなると。

だからこそ、人を避けもする、と。

無自覚とか、無意識のうちにやってしまってるのを図星を突くようにすっぱ抜いて揉めるとかあるあるでしたし、面倒なだけなんですよ。

そういう意味では、人間が一番厄介なんですよね。

言うてはならぬことでもあるけど。


あと個人的にバッサリ

なんどかやってますけど、今回は今まで触れなかったと言うか、そういう部分にばっさり行こうと思います。

自分がHSPとして発信してる人。

え?その程度なの?

という人しか見たことないです。

正直、環境っていうか、全体が見えて無さ過ぎで、個人=特にHSPであるとしてる自分にしか焦点当たって無さ過ぎなんですよ。

踏み込み、深掘りという意味での深い処理は全然たりないですし、共感なんかも共感した相手はどうだったのか?に触れないまま、自分がしたからできてるとか、そういう話が多すぎ。

共感にしても、気を遣うにしても相手の反応が上辺だけなんですよね。

基本的に、日本人の場合多少なら、相手を尊重しもするので不足してたり不満があったりしても、感謝を示したりするのが普通な方ですし、そういう人の方が多いです。

余程に距離感が近くない限り。

個人もさることながら、全体としての国民性、人間性ってのも持ち合わせてるのが人間なんですよね。

そういう部分に、気づけてなさすぎです、正直な感想として。

あと、個人的にそうあるからってのもありますが、

いちいち観察したり、窺ったりしなくても、気を遣える事が多いですし、自然レベルでやってしまうので、おどろかれますよ、普通に。

HSPって言っても人の分布みたいな部分があるので、正規分布になるという事を考えると、必ずしもそれが正しいという事にもなりませんが。

ただ。

普通の人でも出来るレベルが多すぎだと思います。

というか、相手が気を遣ってくれてる事に気付けてないんじゃないかなぁ。

最近ちょこちょこ言ってる、主観=自分の立場を抜け切れてないので、環境や状況の全体が把握できてないんですよ。

生きづらい、生きづらいって、自分とは別の生きづらさを抱える人=障害を持ってる人、病院での処置が否応無しに必要な人、処方箋の為に病院に行かなきゃいけない人、等々。

ワクチンが普及しつつある今、少なからずの安心は出来ても、油断できないという人も居ると思います。

緊急事態も解除されても、また来るかもしれないし、来たら相当に色々思う所があるだろうし、諦めもあるけど何とかしてほしいって気持ちがまた揺り起こされかねない。

そこには、生命の危機や死って言う部分に感じる物があり、それ故の生きづらさってのが間違いなくあるんですよ。

ってくらい、当たり前に気づけないんでどうすんの、っていうね。

合併症だなんだってのもあるし、何かを抱えてるからこその恐怖って相当なものですよ。

うん。

これ以上は口うるさいだけになりそうなので、この辺で切り上げ。

そういう意味では、生きづらさってHSPだからじゃないでしょ?っていうね。


あとがき

なんでしょうね。自分でもおかしいなぁとは思ってる物の。

自分の部屋を出るだけで、自分の切り替わりみたいなのを違和感として感じるくらいなのでもう、どうしようもないっていうか。

時代だなんだ関係なしに、何故私がそういう事を訴えるのか?という考えを持てない人が多かったので、生き残るために厳重に蓋をしてたわけですが、それがもう抑えられてないなぁ、って嫌でも思ってしまう事も多く。

まぁ、その辺もね。長い事違和感を感じてるから、というのがあります。

精神的な症状だったり、LGBTQにしても個人の集合体というか。症状がそうあるから、皆が皆同じにはならないんですよね。

置かれてる環境として、仕事や職場、周囲の人間関係、成育歴とパーソナルな部分も絡んでるし、それ故にそれぞれの違いもあるんですよ。

それなのに御旗印にされて、権利という流れは相当に違和感があります。

LGBTQでよく見聞きするのは、それはもうT=トランスジェンダーに関わるだけの話で、しかも訴えてる権利は訴えてる人だけがそうあるって感じで、自分で色々判断して行動してる方も多いんですよ。

トイレとか更衣室とか。

んなもん、とっとと戸籍法に則って戸籍変えてこいや!なんですよね。そうやって生活してきてる人も多いですし、だからこそSRS手術をするしないの話が出てくるわけです。

だからLGBTQの権利って言われると、一部の個人の意見が権利にされてるだけであって、全体像とはほぼ遠くなってるとも言えなくもない。

また、無駄に権利を訴えると、それは相手側の権利を侵害する事にもなりかねないので、嫌われもする。

それがひと段落したかと思えば、個人としては次の対象がHSPになったんじゃない?って感じで、生きづらさの象徴みたいになってるのは、如何ともしがたいし、阻止したくもなりますよって。

権利を訴える人って、自分たちの権利しか見てなくて、相手側やその他大勢という周囲が含まれてない事が多いですし。

HSPを生きづらさで語ろうとしてる人って、ほぼほぼ類似するんですよ。生きづらさって権利や配慮に置き換えられなくもなくて。

なので、感染症に限らず長い目で見ると、あらぬ方向へいくんじゃないかな?っていう過去の事例に対する類似性からの予測みたいな感じです。

病理病態があるものでも、個人差の部分をすっとばして、一括りにされがち。なので、そこで衝突が小さい物でもあるんですよ。変に声高に権利を謳う人って、やっぱり胡散臭いですし、そうあると歩調を合わせてない当事者が誤解されもする。

理解が進まない部分って、そういう個人差をすっ飛ばしたうえで一括りにして、権利や配慮を「要求」するからなんですよね。

HSPがそうなるかわからないけど、こうも生きづらい、生きづらさ、生きやすいって言われると、同じくしたくない人が逆に生きづらい未来が出来上がるし、それを作るのが人間なんですよ。

っていう事に、気付く、察する、勘付く、とは思うけど、ね。

今が良いとか、自分に関係ないではなく、先を見据えると跳ね返りの予測が出来るし、そうなると未来が面倒になりますよ?

という感じで、今回はこれにて。


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