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意味や字面から学ぶ

はたして、理解するとは?

個人としては不思議と自然とそこに居るという感じで、気が付けば少数派という事も多く。

また、それに対し過剰に多数派からの否定も受け続けてきてたので、理解するとはどういうことか?は常々考え続けてきました。っていうか、未だに理解なんて自分が出来てないって感じなので、常に自身はちゃんと理解してるのか?を客観的に見つめられるよう仕向けてたりします。

自分自身でね。完璧は無理でも、そういう心掛けを持ってないと、途端に出来なくなるだけでなく、自分に甘くなるのが人間。

書いてる自身もまた人間なので、そうあるものでもあります。

そういう身でもあるので、現時点で掴めてる物をちらっと書いてみようかなぁ、と思います。

また、書くに当たり、”あくまで個人がそうあるというだけなので、真に受けるではなく、こういう人も居ると受け取った上で、自分に取ってそれはどうなのか?を考えてみてください”というのを念押ししておこうかな、と。

誰かの言説に乗っかりがちな現代だからこそ、理解が進まないという面もありますので。


おおよそ読んで字のごとく

理解する、といえど。

そもそもその理解って言葉が正しく理解出来てるのか?という問題があろうかと思います。

理解するという事は、どういう事なのか?みたいに。

という事で、理解という言葉ですが、意味もあるにはあるものの、とりあえず字面ですよ、字面。

理と、解という漢字二つで成立してますよね?

ということは、ですよ。

理の意味、解の意味、それらを総合するとどうなるか?という、更に掘り下げる必要がありそうだ...というのが見えてくると思います。

そんなの面倒くさい、理解は理解だ。

ってのは実は通用しないんですよ。面倒くさい、の時点で自身の感情や価値観を凄くからめてますし、理解というのは個人がどうこう決定づけられる物ではなく。

それ故に理解するとは?と考え始めたのに、結局主観に戻る様だから、そういう人が多いから、正しいだ間違いだ”より感情的になってぶつけ合う”なんて姿をさらす事になるんですよ。

やれやれ。

と、漏らし過ぎないように注意しつつ。理だ、解だを個人が掴んだ程度だけですが掘り下げてみようと思います。


理:り、ことわり

こういうのもイチイチ個人でしなくとも、とは思いつつ。

ネットで検索すれば、サクッと出てくる物ですし、結局二番煎じ、三番せんじの二次情報、惨事情報になりますからねぇ。

サラッと言うなれば、偏の王が王様ではなく玉=宝石みたいなのを表し、それを磨くという部分から、磨く、整えるというような意味合いになり。

そこから、ことわり:物事の筋道や道理、という要素も入り、今では大方とし理=物事の筋道、道理という様な扱いになってるようです。

また、”ことわり”=理は儒家思想とかその辺とも結びつくもので、触れてるとそういう思想的な部分の内容も出てきます。

そういう、理の意味や成り立ちを含めると、理解するとはいえ、物事の筋道や道理の把握も必要かもしれない...という部分が見えてきますし、そうなってくると結構幅広く物事を見つめるだけでなく、正しいだ間違いだ、自分だ他者だ、世の中だという区別を外して客観的に見る必要があるというのも見え隠れするんですよね。

道理まで行くと、正しい間違いではなく、そのままそれが然として在る部分を見つめられないといけないのではないでしょうか。

うん。

って事で、次。


解:かい、かいする、解釈する

こっちは割とシンプルです。

ただ、この解には、読み解くとかそういう意味もあるにはあるんですよね。また分解という言葉にも使われるので、それこそ個人としての感情だ価値観だも分解する必要はあるのではないでしょうか。

扱うにしても読解力みたいなのも必要になるとおもいますし、それ故にそこに感情だったり、基準や価値観も邪魔になる物でもありますので。

そう言う意味では理と似たような部分を若干含んでるかな?と個人的には思いますし、だからこそ理と解で理解、理解するという言葉の意味が成り立つんだろうなぁ、というのも気づけるものです。

うん。

シンプルなだけにサクっと、ね。


理解が進まない...

さて、そうして理と解を合わせると、物事の筋道がわかる、わけや理由、意味を知る、物事がわかること、という感じになろうかな、と。

その為には相手の立場に立って、ではないですが自分と違う他者の立場に対しても知る、分かるというのも含まれると思います。

実際のところ、言葉の意味とか調べてみると、意外と似てるけど別個に上げられてる意味という感じで、複数ある事も多く。

そうあるからこそ、人それぞれの解釈の差も生まれますし、そうなると正しいだ、間違いだというのは言及しづらくなるどころか、そもそもする意味がないという話にもなると思います。

ですが...。

実際問題として、感染症が蔓延して以降は相当に感情的な物が増え過ぎてると思います。

そりゃ、理解なんて進むわけが無いというか、何と言うか。

理解するどころか、衝突する方が寧ろ当たり前、と思います。個人的に。

というか、権利、平等、自由なんてのは、過剰の感情論が入り過ぎてて、自分に都合が良くなっても、他者には不利益を与える物が多すぎるんですよね。

しかも求めるばかりで、叶うならこちらも譲歩としてこういう事を受け入れますみたいな、ギブアンドテイク、等価交換になってないんですよ。

そりゃ、理解されなくて、当たり前、なんですよ。

やれやれ。

最後は久しぶりに性別の話も合わせて触れようと思います。


LGBTQだなんだ

正直呆れてますよ、当事者として。

LGBTQ=セクシャルマイノリティ、マイノリティ=少数派なので、少数派故に見下されてた、馬鹿にされてた、嘲笑われてた、という様な言葉でもあるわけで。

時代が変わるだなんだではなく、そもそもそれ以前がそういう負の言葉だっただけに、それを持ち出して権利だ理解だなんてのは、まず無理でしょっていう。

そもそも、人の価値観なんて時代が変わったとか言ったところで、スイッチではないですからね。レバーを倒して切り替えるみたいに簡単には出来ないですし、それこそその根底には感情だ、価値観だなんだと個人の様々な違いが関係してくるわけで。

また、LGBTQは何度も言ってますが、T:トランスジェンダーの様に性別を変えたいという人ばかりではないんですよ。

寧ろTだけなので、一部です、一部。全部ではありません。

そして、更に掘り下げると、その一部の中ですら様々な考え方、価値観を持ってるだけでなく、既に出来る事をやって生活してる人も殆どです。

特に、MtF=体は男性、性自認は女性というタイプの人は、手術と戸籍変更を済ませて埋没して生活してるだけに、声を上げられない、上げる事には不安や恐怖を感じてる人も居るんですね。

それを、

表に出て来てる人の言い分だけでそれが全て、そういうわんばかりの扱いするのをまずヤメロ

理解するしない以前の問題として、上辺に浮いてくる物で全部っていうそう言う決めつける意識や姿勢を改めないと、まず理解って出来ない様な界隈ですよ?

そもそも、手術さえすれば終わり、戸籍さえ変えれば終わりではなく、その先の人生がまだありますし、そこでつまづいて精神的に病む、自分の命を絶つという人も居るんですよ。

なので、まずどういう人達が居て、今までにどんな扱いをされて、それでもどうやって過ごしてきたのか?という、突っ込んだ所を知らなくとも、

慮れるようにならないと、まずダメだと思います。人として。

配慮の慮、おもいはかる、おもんばかるが、まず先だと思います。

権利権利言うだけ、騒ぎを起こすだけ、こういう状態って配慮も思いやり無ければ、慮る事が出来てないんですよ。

だって、トイレだ更衣室だって声上げてる人くらいしか徳しないと思いますよ。

概念として認知されても、法で縛られる物ではないし、性自認が女性ってなら女性側が感じる恐怖だ不安だが分かるはずなのに、なんでそんな殊更権利だなんだいうんですか?っていう。

あと、少し申し訳ないんだけどね?

性別欄に男性って書くのが苦痛ってのは、無意識とか深い所で、自分が男性であるという認識をしてるからだと思いますよ?

自分が男性だと自覚させられるから、苦しいんじゃないの?そして、その自覚って字がやるんじゃなくて、そうある当人がやるものですよ?

自覚させられる=自認が深い所では男性になってる、ではないですか?

個人的には、体は入れ物というだけだし、その入れ物が違ってるだけだし、法律に則れば男性だと扱われるのはやむ無しなんですよ。

で、それが嫌なら、既に戸籍法に性別変更が定められてるからそれに則って対応する、出来なければそれなりの生活をする

それだけなんですよ。

また、帰属意識が女性側、体は違えど同じくある様な物なので、権利ってだけで男性が踏み込むのは不安だったり、恐怖だったり感じるだろうし、止めて欲しいという方が理解出来てしまう。

そもそも、何だかんだで痴漢だ、盗撮だなんてのは水面下ではあるようですし、そうある状態を見ないまま権利だけでは踏み込めないですよね?って感じです。

また、権利って言う割に、法に則らないのは何故?法治国家ですよ?

これを応用すれば、税金なんてのは国民で居る権利を分割払いで支払うようなものだし、国民になってる以上、その国の法を守るのなんてのは当たり前だと思います。

悪い言い方をすれば権利を掲げて、法に穴を作ってすり抜けようとしてる

そういうつもりはない、ではなく、感情論とっぱらって客観的に見るとそうなるんですよ。

法律って何も犯罪者を捌くだけのものではないです。

また、自由とか権利だけでなく、生活する上での様々な決まり事も含まれてるんですよね。

なんかこう自分の都合だけしか見ないまま、とにかく権利や自由、平等って言葉を使えばいいみたいな風潮に、まずメスを入れない事には理解だなだんだ以前の段階だと思いますよ、個人的に。

なので、言うは易く行うは難しではないですが、権利を認めてもらえるような行動を自分が先んじて取らない事には、言葉だけでは無理強いが過ぎるんですよ。

だから、理解が進まない、なんて事になるんです。

うん。

理解だ、権利だ以前に、当事者も当事者として、性自認とはどういうことか?を考えられないといけないんじゃないかなぁって思います。

自認がそうであれば、帰属意識も自認側の性別に行くと思いますし、だからこそ体側で過ごすのが苦痛になるわけで。

なんかさ、苦痛だなんだ、嫌だいやだってのは、ほんとこう、自認出来てないじゃん?としか見えないし、逆に個人としてはそんな感じなので、相当にガチとか言われるんですよ、同じ当事者なのに。

ガチってどういう事?っても、自分は違う。またこれかぁ...って状態になるし、その位ガチにならないと、メイクだなんだで繕っても...ね?

まぁ、個人差なんでしょうけど。

こういう部分でも、おかしいってよく言われるんです。不思議と。


あとがき

さてさて。

理解という言葉をあれこれ読み解いていきつつ、最後にドン!と出てきましたが。

うん。

基本的に理解と言っても立場で相当に変わると言うか、

自分がする時:するしないの取捨選択、それに合わせて行動するだけ

相手に求める時:理解はしてもらう物。相手に伝える努力が必要

こういう物かなぁ、と思います。それなのに、理解させるという表現があるように、させるという強制力みたいな理解を求めてる人も多いんじゃないですかね。

説明したんだから、理解してくれないのはおかしい、とか。

説明ですら、相手に伝わらなきゃ効果を成さないですし、だからこそその時点で伝える努力、工夫が必要かつ、HSPみたいな概念は自分を客観的にみれなければ伝える事すら出来ないと思います。

LGBTQなんかもね。

トイレだ、更衣室だ、権利だ...。

性自認が女性なのに、帰属意識からの女性側への配慮が出来てないってのはどういう事?と思わざるを得ず。

それに、理解するも何も当事者が皆同じでも無いし、今みたいに話題になる前から手術して戸籍も変えてで過ごしてるけど、バレた時の色々があるのでひっそり暮らしてる、暮らしたいって人が居るのも実情です。

そう言う部分は取り上げず、権利を謳う人だけを取りあげてその後押しとかするのは、迷惑なんですよね。

違う価値観、考え方、対処、生活をしてる人にとっては。

こうなるともう、ホントこう男性的っていうか。権利って強制力が伴う物でもありますし、それ故に相手側にとっては権利が侵害されかねないもので。それなのに言葉を掲げてねじ伏せようなんてのは、矛盾してるとも思います。

めっちゃ男性的。

そう言う部分から、改めて自認って何なの?を今一度考える必要もあると思うし、権利だけで押し通すと、

痴漢や盗撮と類似する男性性からの性的被害や問題行動が発生する可能性

これが拭えなくなるし、今後問題になると思いますよ。

だってその、性自認ではなく、変身願望や憧れからそうありたいって人も見かけますし、そうある人って男性的な発言をしてる自分に気付けてないんですよ。

HSPという概念以上に、LGBTQは概念とイメージだけが突っ走ってますし、ホントこうアレもコレもを自分に良い物としようとするのって、人としての異質さが見えてしまうっていうんですかね。

問題あると思います。

そこがゴールじゃないし、その先の人生もあるし、自分がしなくても違う他者が問題行動に走った時の影響とかを全然想像すらしてなければ、考える事が出来てない。

だからこそ、理解よりも衝突が生まれがちだと思うし、そう在って当たり前とも言えなくもありません。個人的に、ね。

と、いう感じで。

今回は理解という言葉から、LGBTQだ、少しだけHSPだという事に触れてみました。

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