そうあるからこそ見えるもの
そもそもが、幼い頃から自身の感受性の部分では色々有ったので把握済み。
そういう身でもあるので、今でも考えることがあるのですが、
感受性ってそもそもどこからくるのか?
先日書いた内容では、人間の体の仕組みとして、みたいな話もしましたが、そうなると辿り着く先のものとして、脳という部位に行くと思います。
見たもの、聞いたもの、その他感じ取ったものを処理してるのは、間違いなく脳なんですよね。
という部分から、少し先みたいな話もしてみたいと思います。
また、マガジンの方に含めますので、お約束もドドン。
簡単に言えば、あくまで個人的。
そして、書くからには少なからずの形式や狙いもあります、という感じのないようなのでスルーしても構いません。
脳という部位があるから
何はともあれ、何かしらを感じ取ったら脳へ送られ。
処理がされ、結果を把握するのも脳。
そうなんです。脳があるんですよ。
それだけでなく、体の方の感じ取りも、空気や雰囲気というように目に見えなくとも何となくという部分も感じ取ってるもので。
何かしらの感情や感想をえるにしても、体が感じてたりするんですよね。
ホラーと言う分野では、ゲームにしろ、映像作品にしろ、ゾッとするとか、びっくりして驚くとかは、体が感じてるからこそ反応が出てくるもので。
また、個人としては、
人の感情や精神、心はどこに宿るのか?それは脳か?それとも魂か?
みたいな内容も触れたことがあります。
そういう部分から感じ取れるのは、現実的か?神秘的か?みたいな、科学なのか?スピリチュアルやオカルトか?という感じで、一歩間違えば踏み外してしまうという部分もあるように感じます。
まぁ、そういう部分もあるのですが、人体の仕組みに触れた=体という物質的な部分があるという所から話すなら、現実的とか、科学的という方向に進むことにもなるでしょう。
何はともあれ、現在みたいに色々情報に触れられる、得られる前から、個人としても、脳に限らず、神経や、感覚器という、人体の仕組みの部分が絡んでるのは気づいてて。
なので、感受性として見ていても、この先に踏み込もうとすると、そういう分野からの知見も出てくるのでは?というのは、当然の事のように気付けるものです。
こういう所から、今後は今のあるあるブームなんて、サラッとひっくり返りそうなのがわかろうはずなのに…。
という、思いというか、印象というか、感想というか。そういうのがあるんですよね。
それなのにまぁ、目先=今だけで、わかったつもりになるというのは、いささか早計ではないかな?と思います。
それこそ海の様に
水圧の問題とか色々あって、なかなか調査が進まない深海。
それでも、可能なところまでは把握してるのが現代でもあるんですよね。
そういう海と比較しても、HSPってどちらかというと、浅い方なんじゃないかな?って思います。
あくまでそういう人が居ると言うことは判明しました。
ですが、なぜそういう人が生まれたのでしょう?
何がどの様になって違いになったのでしょう?
何がどう違って人としての差としてみえるのか?
感じやすいのはわかりました。
でも、それは何故か?というところは、まだまだ深い所にあるのではないでしょうか。
というか、研究ってそういう感じなので、まだまだ踏み込むとも思うんですよね。普通に。
5W1Hではないですが人として、いつ、どこで、何がどうなって、そういう人になってしまうのか?というのは、そういう人が居るという話だけでは判明しないんですよ。
そして、そういう所を解き明かしていくと、この先はこういう人はそうあれない、みたいな部分が出てくるかも知れない。
それなのに、現時点で自分に当てはめたり名乗ったりというのも、コレまた早計というか。
そもそも、自分自身が違うわけなんですよ。
周囲や、その他大勢、普通や一般的、というものに対して。
そうあるなら普通に、何でそうなってるんだ?自分って考えるだろうし、個人ができる範囲で触れていっても、
あちゃー…。この穴深すぎるよ。どうしようか…。
という風に困惑というのも覚えてる、感じてるはずなんですね。
今までの言葉や概念で当てはめても何もわからない。
真面目だ、いい人だいわれても、まったくもって違うという否定しかでてこなかった。
今までは解明されてなかったので、今以上にわからなかった部分が、少しばかり解明されたのは確かです。
とはいえ、それでも何故違ってしまうのか?には程遠いんですよ。
なんで自分はこんなに感じるんだ?という疑問が晴れなくて当然で。
そういう意味では、現状のブームで知ったところで、そうある人ならまだまだ先があるというのは、当然のように見えてたと思います。
うん。
深い処理どころか、浅すぎる処理になってしまってますよ?
申し訳ないのだけど。
まだまだこれからがある
何故自分が感じやすく、人と違ってしまうのか?という所から、そういう人だからとまで辿り着いたのがHSP。
でも、何故そうなってしまってるのか?
脳が絡む部分としては、学力や知力と言う部分では、自分より全然上な人がいるのに、そういう人ですら、そこまで感じ取れない、気づけないと言われることも多いんですよ。
それこそ、人生という旅路ではないですけどね。
まだまだ、先が見えない。道半ばでもあると思います。
そのためには、どうしても待たなければいけない。
もし、自身が携わってたとしても、そう簡単に研究成果として出来上がるなら、そもそも個人としては40年も苦労してきてないはず、と言う感じです。
そういう部分からも、HSPって概念があるだけ知っておけばいい。
自分にそれが当てはまるかどうか?なんてのは、まだ解明を待たなきゃいけない部分があるし、当てはめる必要がない。
そういう判断からも、今までに他者から言われてきてる、
感受性が高い人
と、自分を表現してるだけです。
こういう判断をしたのは、今ほどブームになって取りざたされる以前。
HSPって言葉と概念があるよ?って言っても、知らんがなだし、スピリチュアル系の動画で知った口だったので、否定されるのも目にみえてたんですよね。
なので、待ってたわけですが…
どうしてこうなってるの?(笑)っていうね。
ほんと、人間って不思議。
良くも悪くも...。
あとがき
申し訳ないのですが。
深い処理がどうこうという部分があって、自分のこういう所が深い処理とかみると、あちゃーです、あちゃー。
全然、深い所に辿り着けてなーいのですよ。
まだまだこの先、深い所にあって見えてない部分、進もうにも簡単に届きそうにない部分が山ほどあるのに、現時点の概念を扱うだけでは、深い処理もクソもなにもないんですよ。
また、配慮や気遣いなんかも、個人的には、
目に見えてるから脳がそう動くよう判断しただけ。ボールが飛んで来て当たりそうなら避ける、そういう事と変わらない。
目に映って一瞬で判断したから、反射的な感じで行動したに過ぎないので、配慮も気遣いもしてませんが?って答えるのが常だったりします。
なんで、そんな一瞬で目に映った内容に対して、そこまでの行動が出来るんだ?って不思議がられます。
だって、見えてるから(笑)としか言いようがないんですよ。
見えてる=視認した事での必要性という部分の行動に対し、周囲が気を遣いすぎだ、配慮し過ぎだと、気遣いや配慮について、やりすぎって言ってくるんですね。
それ程に、自然体とか、普通のレベルというのが、違ってるんです。
なのでね。
どんな言葉で表されても、何かが過ぎてておかしい、に辿り着きます。
あくまで、個人的に。
生きづらいなんてのも、話を聞いてくれた相手側の方が言ってきますよ。
そもそも、生きづらかろうがなんだろうが、自分の持ち物である以上、そういうネガティブさよりも、向き合うというポジティブさを大事にしてかないと。
ということで、少し口うるさい部分も入りましたが。
まだまだ、これから色々解明や追及がなされる物だと思いますし、そうなってくると、脳や神経に話が及ぶ可能性もあり、更にそこからは、各分野としての...みたいな枝分かれも起こりうるかもしれません。
そうなると、各分野から今の様に、一面的な情報が色々出てくる事にもなるのですが、そうなると人間混乱もするし、これが正しいあれは間違いとなりがちにもなります。
来るか来ないか?ではなく、念には念を入れよ、です。
来ることを想定しておけば、実際に来た時の精神的、心理的ダメージや負担は抑えられますのでね。
目に見えない部分である以上、防災グッズみたいなものは期待できないですし、自身の身は自身が守る。
そうあった方が良いと思いますよ。
という事で。
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