職場のおじさんに、困っている。

 私は、仕事が好きだ。
 決して楽ではないし、給金がとてつもなくいいわけでもない。契約社員で、月給が二十万をこえたことはまだない。

 だけど、ルーティンをこなし、自分で決めたノルマを達成して、満足に包まれてバスで帰るのが好きだ。
 或いは、忙しすぎてさばききれなかった案件に頭を悩ましながら、明日もいっぱいだ~、うわ~、と嘆いてから眠るのが好きなのだ。

 その平穏が、あるおじさんによって崩されつつある。その話をしたい。というより意見を聞きたい。
 この人をどう扱っていいのか、ぜんぜん、わからないのだ。

 特定されないように、業務に携わるところは暈して書いてある。なんだこの一貫性のない仕事は、と思っても容赦してほしい。
 仕事が好きで効率化を試みている私と、楽をしたいおじさんの話である。


◯◯◯
 先んじて話さなければならないことがある。
 私にはADHDとパニック障害があり、タスクが積み上がりすぎるとフリーズする癖がある。メモを取らないと、先刻聞いたことを忘れてしまったりする。独り言だって人一倍多いし、鼻唄も多い。

 その旨は正直に会社に伝えた。あまり沢山仕事がありすぎるとパニックになるかもしれません、何度も同じことを聞くかもしれません。ごめんなさい。独り言が多いかもしれません。困っているなと思ったら声をかけてほしいです。と、入社時に伝えた。
 会社のお姉さまたちは了承してくれて、私を娘か妹のように可愛がってくれた。
 下の名前の、生ハムちゃん、と呼んで、たくさん話しかけて、眼をかけて、気にかけてくれた。

 特に直属の上司は、ちょっとふしぎな人だけれど優しかった。タスクが山になり、おろおろする私を導いてくれた。順番の指示をしてくれたお陰で、作業を続けることができた。わからないことは聞きに行くと、ちゃんとわかるように、私がわかるまで答えてくれる。
 三ヶ月くらいかかったが、打ち解けて雑談するまでに至った。
「◯◯さんきいてくださーい、今日はねー、ラーメン食べるんです!」
「原木さんラーメン好きだねえ~。いっつも食べてない?」
「いつもじゃないですよ~。んでも、ラーメンは好きかな~、◯◯さんも好きですか?ラーメン」
「いや、普通~……?普通かな~」
 そうやって話ができるようになったのは、とてもとても、心底嬉しかった。
 私は上司が大好きだ。心から尊敬している。

 すこしだけ仕事になれた一月あとの話だった。私たちの班に、おじさんが入ってきた。
 班はいくつかの分野に別れており、その分野の仕事をすべて彼は理解しなければならないのだそうだ。上司は大変だなと私は思った。
 そして、私には十中八九無理なことだと思ったのだが、彼にもどうやら無理そうだった。

◯◯◯
 彼が来て、三ヶ月たった。彼の問題点で、休憩の話題はいまでも持ちきりだ。

 彼は、凄まじいトラブルメーカーだ。
 それも、彼自身には無自覚の。

 まず、なにもかもがやりっ放しだった。椅子をしまわない。ワゴンは斜めに(ひとの動線上に)置いてある。書類の計算は出来てない、終わってない。図面は束ねられていない。判子は出しっぱなし。インクがきれかけのペンが、ペンたてに行かずそのまま転がっている。私のつかっている机を貸すことがあるが、ほんとうに、信じられないほどあとが汚い。

 ……しかし私もひとのことは言えないのだ。やりっ放しなのはいけない。見てていらっとする。
 とってもよくわかったので、私は椅子をしまうようにしたし、書類は隅を揃えるようにした。机の上は基本的に、なんにもないようにする。反面教師だ。……そうしないと、頭が持たない気がした。

 彼は、独り言が多い。
 先述に、私も独り言が多いと書いた。「よいしょ」「あ゛~やばいわ」「うぇー多いな……」「は?重っ」「~♪」……挙げていけばきりがない。
 だが、彼はその比ではない。「さてと」「この次は」「……あーまたかよ。チッ(舌打ち)」「あー」「はっはっは」「うわ……」

 私は「主観的な感想を述べる」ことが多いが、彼は「客観的な転換、次の行程を述べる」ことが多いようだ。全く役に立たない気付きである。

 なによりも、声がでかい。でかいし、女性の多い職場に男性の声は目立つのだ。めっちゃ、耳につく。集中が途切れる。上司(机が隣)曰く、「なにもないのに笑ってて怖いんだよね……」。
 自分に話しかけたのか?と思うほどの声で独り言をいう。振り向いても、彼は没頭しているので自分相手ではないとわかる。それが繰り返されるうちに、彼は話し掛けられなくなった。
 とりあえず、舌打ちだけはやめてほしい。ビックリするし、ほんとうに不愉快だから。

 彼は、話を最後まで聞いてくれない。
「林檎と人参をまず切って、ミキサーにかけたあとグラスに入れて冷蔵庫で冷やしてください」と指示を出すとする。
 彼は「ミキサーにかけたあと」の辺りで「ミキサーってどこにありますか?」と訊ねてしまう。それが、お姉さまたちにも私にも途轍もなく不愉快なのだ。女性だからというのもあるのだろうか?でも、男性も発言を遮られていい気持ちにはならないんじゃないかな、と思う。

 そして、相槌が多い。めちゃめちゃ多い。「林檎と人参を(林檎と人参を…)まず切って(うん、切ってぇ)、ミキサーにかけたあと(あっミキサーってどこですか?)グラスに入れて(はいはい)冷蔵庫で冷やしてください(了解です。どこに入れたらいいですか?)」このくらい多い。
 niconic◯のコメント欄読んでるみたいな感じだ。話し手がわに影響が出るほどに彼は言葉を返す。それに、話しているがわはどうしても、話を逸らされていらっときてしまう。
 なお、これだけ相槌を打っておきながら、きちんとすべての仕事が、欠陥なく遂行されていることは稀である。

 これがアドバイスになると、もっとひどい。
「コピーいっぱい取ってるなら、その間に紙の補充とかできるんじゃないかな、って思うんですけど」と棒立ちになっている彼に訊ねる。「紙の補充とか」の辺りで、早口に「でもほら見てないと。紙が詰まったりするかも知れないじゃないですか?」と言われる。
 子どもだったら、言い訳しないの、大人のいうことを聞きなさい、といえる。子どもの意見を言い訳として切り捨てるのは私はとてつもなく嫌いだが、大人に比べたら、そういった理不尽をやり易いと思う。操りやすいと言い換えてもいいだろう。
 しかし、彼は大人である。私の倍を越えた歳である。閉口するしかない。彼と、話をしたくないのだ。見放されて行く。事実私も見放した。
 そして、彼はどんどん自己流の『効率の悪いほう』へ向かっていった。


◯◯◯
 前述の通りに、私は仕事がとても好きだ。仕事に行くのが楽しい。お姉さまたちは優しいし(尻は触られるが)、大変だけれど自己への達成感という点でやりがいがある。

 まだ彼が来てまもない日、彼にこういわれた。
「生ハムさん、この仕事って長いんですか」
「私ですか?いいえ。来てまだ一月ですが」
「そうか。なんか、楽をする方法とかないかと思ったんだけど」
(楽を…したい……?????)

 彼は私より三◯も歳上である。社会経験は私よりもはるかに多いはずだ。その発言の不真面目さに、私はビックリしてしまった。
(楽したいと思ったことが、まず、ないんだけど。楽したいって、なに?行程を省きたいってことか?それとも、手を抜きたいってことなのか?)
 私は首をかしげた。
「ないですね。たぶん」
「そうかあ」
 それで会話は終わったが、私はそのあと終始もやついていた。


(いや……たしかに、私も効率化を図るのは好きだ。この行程とここを逆にしたらもう少し早くなるかな。これをやってる間にアレしてあーしたら、きっともう少し仕事量を増やせるし、効率がいいだろう。って考えたりもする。でも、それって『楽』なの……?ち、ちがくね……?)

 仕事において、ことさら、はじめてさわるような分野においては、明白な近道はない……と思っている。

 ただ、『同じ作業はまとめてやる』とか、『時間のかかるものを処理する間に、別の仕事をする』とか、『時間を決めて、それまでに動くようにする』とか。そういうことをすれば、少しだけ速く作業出来るだろう。果たして、それが彼のいう『楽』なのだろうか?
 じっさいの作業量は減ってないから、朝三暮四にすぎない。だが、効果は確実にあるこれらを伝えたところで、なにか理由をつけてすげなくフラれるのが目に見えている。「そのやり方は難しい」「自分にはできません」と言われたら、年下で部下の私は黙るしかないのだ。

 私は『楽をしているから』仕事が速いのではない。いろいろ考えて、たくさん試行錯誤してみた結果、速くなることができたのだ。あとは経験値と、他の効率がよくなる意見や方法を聞いて吸収したから。
 事実彼は仕事がほんとにマジでもうとんでもなく遅い。おっっっっっそい。いやマジ、なにしてんの?って思うほど遅い。遅い上に道具をたくさん使うから、洗い物が増える。そしてそれを洗い場に忘れていく。私が十分で終わることが三十分かかる。

 効率をよくしてほしいよね、とは、上司と話している。遅い。マジで遅い。勘弁してほしい。私たちの仕事には、納期があるのだ。あまりぎりぎりだとほんとうによくないので、余裕をもって動こうとはしているのだが。ふたりでひそひそとガス抜きをしないと、二人とも破裂しそうなのだ。
 この班の仕事が出来るようにならねばならない、が、彼には簡単な仕事しか回せない。遅いからだ。彼に簡単な仕事を回すと、私に面倒な仕事がくる。昨日の私が今日の私のために残しておいた楽な仕事を拐われるのは、微妙に納得が行かないのだった。

 最後にロイヤルストレート悪口になるのだが、体臭がきつい。マジで。上司、よく隣に座れてるなと思う。擦れ違っただけでうッとなるような臭いをしている。くせえ。マジでやだ。近くに来ないでほしい。ハンドクリームを塗ることで誤魔化しているが、制服だってクリーニングが毎週来てるのに、なんであんなに臭くなるのかマジでわからない。

 ポーカーな悪口をぶちまけた辺りで今日は解散したい。もう、彼と話をしたくない。
 私は仕事が好きだ。私は彼が嫌いだ。