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「シン・ウルトラマンが気持ち悪い」

2021年の夏にいよいよ公開される『シン・ウルトラマン』
ファンからの期待が寄せられる中、発表された新しいウルトラマンのデザインはちょっとした話題になった。
「怖い」「気持ち悪い」「不健康そう」などのネガティブな意見や、「宇宙人ぽくて良い」「リアル」など様々。
この奇怪な造形のから、キャラクタービジネスとして消費されてきたこれまでの「ウルトラマン像」からの脱却の意思を強く感じた。

食い潰されてきたウルトラマン

https://www.amazon.co.jp/dp/B00E3N01P4/ref=dp_kinw_strp_1

ウルトラマンシリーズは一度冬の時代を迎えている。
円谷プロ6代目社長だった円谷英明氏の『ウルトラマンが泣いている』では、その衰退の様子が生々しく描かれている。

非効率でコストばかりかかる特撮という撮影手法。
過去の成功体験にすがり、グッズ展開にすがりつき、海外展開に失敗し、
ウルトラマンを食い潰していった。

爆ぜない怪獣

正直に言って、私は殆どのウルトラマンがあまり好きではない。
具体的に言うとシリーズ3作目「帰ってきた」以降、特撮本来の良さを失っていったと思っている。
キャラクタービジネスの加速に加え、怪獣やヒーローが安易な装置として使われ出したからだ。

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倒した敵が爆発四散するのは、今や特撮のお約束だ。
だが元々そんなことは無かった。
一部の例外を除き、セブンまでのシリーズの怪獣は死んでも爆発しなかった。当たり前だが生物は死んでも爆発しない。

演出上の派手さや、死体が転がっている事で生じる後味の悪さを防ぐための処理なのだろう。
だがこの後味の悪さから目を逸らしてはならない。生き物を殺すという事はそれ相応の責任や罪悪感が伴う筈だ。「子供向け番組」であることを考慮しても、情操教育上良くない。

元々「空想特撮シリーズ」と言う名目で始まった作品である。
実際には存在しない生物を本気で作り込む、真摯に向き合う姿勢こそが本来の特撮の真髄だ。都合良く現れたり消滅させたりするのは如何なものか。

「全裸の宇宙人が、無償で殺し合う」

冷静に考えれば、そもそも彼は何故戦うのか。
全くの無償で殺し合いまでするのだろうか?マネタイズは?宇宙警備を仕事にしているのだから、国連の宇宙版のような機関から支援を受けているのだろうか?
そんな理由を全く説明せず、全裸で戦い去ってゆく。
都合が良すぎて正直不気味だ。

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キャラクタービジネスの弊害で、「ウルトラマン=ヒーロー」というフィルターがかかっている我々はこの不気味さを見過ごしがちだ。
繰り返されてきた刷り込みや「正義の味方」としての行きすぎたアイコン化が視聴者の感覚を鈍らせる。

https://youtu.be/GP_6l-2PU1w

『シン・ウルトラマン』監督の庵野氏は、ウルトラマンどこが好きかと問われた際「宇宙人なんですよ。すごい違和感のある。そこにそういう人がいる感じがして。口が僅かに開いているのが怖いんですよ。」と語っている。(01:30)

詳細な説明を求めている訳ではない。
むしろ超常現象的な怪獣を葬る存在として、説明過ぎない程度が良いのだが、人類にとって都合の良いヒーローである保証はなくあくまで宇宙人の一種でしかないのだ。本当は地球を侵略しに来ているのかもしれない。

『シン・ウルトラマン』の監督を務める庵野氏は、初代が内包していたある種の「恐怖」も表現したかったのではないだろうか。

『真実と正義と美の化身』を目指した監督の想い

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上記は初代ウルトラマンをはじめ、様々なデザインを手掛けた成田亨氏が1983年に描いた油彩画『真実と正義と美の化身』。
番組制作の都合で仕方なく取り付けた胸のカラータイマーや、目の覗き穴が取り除かれている点など、氏が本来描きたかったウルトラマンの姿が描かれている。

庵野監督はシン・ウルトラマンのデザイン発表の際、
冒頭で「この絵に感銘を受け「この美しさを何とか映像にできないか」と言う想いが今作のデザインのコンセプトでした」とコメントした。

そこには単純な造形物としての美しさだけでなく、浮き出た骨格などの生々しさ一眼で地球人とは違う肩の滑らかさなど、従来の特撮では表現仕切れなかった生々しさも感じられる。
単純にキャラクターとしてではなく、現実的に「地球外の生物とは」と言うテーマと真摯に向き合った結果があのデザインであったのだろう。

シン・ウルトラマンの気持ち悪さは、既存のイメージを脱し、成田亨氏が目指した宇宙人像へと近づく為の庵野監督の真摯な試みからきているのかもしてない。成田・庵野両氏のウルトラマン への愛情が、多くのファンにも届いてくれることを願う。

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