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いじめは加害者側にこそケアが必要-教育とケアの同時支援を-

■いじめ、カッコ悪い。本人は理解しているの?

どこかの国では
いじめは加害者側にこそケアが必要と教育されているから、「あの子にいじめられたから話を聞いてあげて」と被害者の子が先生に言ってくる

というものを読みました。

いじめ、ダメ、ゼッタイ

いじめ、カッコ悪い

そういう言葉を聞くたび
何だか分からない違和感がありました。

人をいじめて
「楽しい」「面白い」「スッキリする」
などと快感を感じる人って、
「自分は今いじめをしている」
なんて自覚はないんじゃないか

ずっと思っていたからです。

自覚ない人に

ダメ、ゼッタイ

と言ったところで、
きっと本人も
「そうだよねーダメだよねー」
って本心で言っていそうだなと。

よもや自分がその当事者だとは
夢にも思っていない、
そんな人は多いんじゃないか
と。


肝心なのは

嫌いな人や
自分より立場が弱いと思う人に対して
(それすら無意識に選別して)

相手が嫌がることをすると

楽しいと感じたり
快感を感じる

その心理状態は問題だと
本人が知ることではないでしょうか?


それが教育のやるべきことでは?


■ケアを必要とするか、否かの判断も

一方で、
その心理を生む原因は何か。
そこにはケア(医療/福祉)が必要です。

なぜ非行少年たちは“ケーキを3等分出来ない”のか――医療少年院で受けた衝撃 https://bunshun.jp/articles/-/13648

いじめは“非行”とまではいかずとも、
認知に問題があるなら
何かしら生まれながらの発達面や知的面で
特性を持っている可能性だってあります。

とある福祉士さんの体験で、
街で偶然支援することになった
暴力団の幹部という立場の人が、
実は軽度知的障がいがあったという話もあります。

個人の特性だけでなく

家庭の問題
貧困
人間関係

様々なところにケアが必要な人はいます。

呼び出して指導する
反省文を書かせる
当事者同士で話し合わせる

それだけでは何かが足りない。

ずっと足りない…。


そんな単純なこと、
以前も書いたけどさ。

どうしてその分野は
いつまで経っても解決に向かっていかないのだろう…。

誰が
日本におけるこの問題の転換点となってくれるの?


あ、

すみません。


自分ができないことを
他人に強要するのはダメですね。

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