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21時45分の夜宴

家族旅行の夜、書いているうちに寝落ちしてしまったnoteをせっかくなので書き上げてみました。

気の向くままに書いてみる。
いつもそうなんだけど、今日はもっとライトに、シンプルに。

家族でショートトリップに出ている。
同じ県で、ほとんどホテルステイだけれど。
しばらく海鮮やアルコールと距離をおいていた私に、夫がお疲れさまとプレゼントしてくれたプチ旅だ。
前から旅にはよく出ていたし、息子が生まれてから何度か三人旅一緒もしたことがあるけれど、最近赤ちゃんペンギンのようなよちよち歩行を習得した息子の様子を見てると、これまで以上に楽しそう。
弾ける笑顔とはまさに彼のことを言うのかもしれない。
めっちゃかわいい。

家族旅行の模様はまた別で書くとして(多分)。

子連れ旅というものは夜が長い。
日中元気いっぱいに歩き回った息子は20時にはスタミナ切れしてしまったようで、同時に消灯、夢の中へ。
同部屋の大人たちは常夜灯のかすかな光を頼りに各々の方法で夜を楽しむ。
夫であれば、いつものスマホゲーム(多分)。
一方私は……




ここ数日、気持ちが沈んでいた。
もやもやの原因を吐き出してスッキリするかと思えば、声に出してしまった自分に失望してまた別の要因で心がざわざわしたり。
しまいには、今自分が何に対してこんなに不安なのか、なぜこんなに怖がっているのかももはやわからなくなっていて。
しんどいからしんどい、悲しいから悲しい、不安だから不安、怖いから怖い、みたいな感じで、まさに感情にすべてを支配されている状態になってしまっていた、気がする。
思考停止ネガティブ、みたいな。

今日はのんびりしよう!
読書したり、家族との時間に集中したり、外に向いていたアンテナを内側に向き直させてゆったりする!
それが今の私には必要なんだ!
と、思ったいたのに、うまくいかない。

本を通して飛び込んでくる言葉は、すべて自分の今に照らし合わせて切り取られてしまうから、悲しい表現や描写、一節だけが目に飛び込んでくる。
頭の中はそわそわが止まらなくなっていて、家族との時間も断片的に感じられてしまう。

逆効果、とまでは言わないけれど、正しいと思っていた行動がすべて裏目に出てしまう。
抜け出せない沼。
さらに焦りも加わって、「なんですっきりしないんだろう……」とかってリフレッシュできない自分を責めたくなったり。

21時45分。
このホテルは決まった時間に食堂に行けば、夕食とは別に夜鳴きそばを無料で振る舞ってくれるらしい。
いわゆる小腹がすいたときの夜食的な、宴会の締め的な、そんなものだ。

先に食べに行って帰ってきた夫と、おいしかった?なんて小声で会話をしながら、部屋を出る準備をする。
私が食べに行っている間は、夫が息子のボディーガードをしてくれるから、ある程度ゆっくり食べてきてもよさそう。




食堂に入ると、窓側の席を案内された。
目の前は窓ガラス越しに真っ暗な世界が広がっている。
今の気分にはちょうどいい。

ものの数分でお目当ての坦々麺が運ばれてきた。
テーブルに到着するなり、ふわっとスパイシーな香りが鼻をくすぐって、2時間前にあれほど会席料理を食べたというのにすっかり食欲も復活してしまった。
ごろごろとしたひき肉が転がり、ネギやほうれん草の野菜も浮かんでいて、麺の量もたっぷりで、これが無料で味わえるとはなんだか贅沢な気分。
(もちろん、旅行料金には含まれているんだろうけど)

スープのよく絡んだ細麺をズズッとすすりながら、ただもくもくと一人で口を動かす。
ほんのり花椒ホアジャオも効いているらしく、舌先がほんの少しピリピリする。
離れたテーブルで会話しているカップル?夫婦の会話が聞こえてきそうな静寂の中、ただ目の前のご馳走にだけ全神経を集中させた。

この場所には私を知る人はいない。
周りから見たら、ただただ静かに夜食を楽しむ女。
でもそれがなんだか心地よくて、ホッとする。
そして無心になって、麺を口に運ぶ。

あっという間に麺はなくなって、小さなひき肉を一生懸命箸でつまむ。
名残惜しい気持ちは食欲には勝てず、勢いよくスープまで飲み干して、どんぶりが綺麗になった頃には、最高にリッチな一人時間に陶酔しきっていた。
21時45分に、坦々麺とともにした夜宴は、その瞬間だけ私からすべての悩みを取り除いてくれるだけの幸福感を与えてくれたのだ。

心がどうしてもざわついて仕方がない夜は。
おいしいものを、ただじっと集中して味わってみるだけでも、ほんのちょこっと心が救われるのかもしれない。

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