実は高校生活から無意識に身についていたライフハックに気付いた話
7月から購読し始めたプロ奢のnoteから紐付き、サロンに参加していて色んな気づきがあるなあと最近思う。
レポートのためだけに物を書こうと思っていたが、たまには彼の言う事や、サロン内で自分が気付いたり感じたりすることをちょっと書いてみることにした。
イラッとする瞬間、凹む瞬間をいなす術
プロ奢直伝の、全て「ウケる」で済ますという手段はとても有効なのは確かである。
「ウケる」というこの3音。3文字。
ストレスをだいぶ減らせ、なんなら自分を苦しめるはずのストレスフルなイベントやハプニングをネタにもできる生産力まであるという、恐るべきパワーワードである。
実際にこの手段により、私のバイト先(コールセンター)での勤務中のストレスは激減し、(悪態という名の)心の声は切電後に垂れ流すも、ストレスで心を蝕まれることなく、イラッとする瞬間は最初の数秒のみで、その後抹消できている。
しかし思い返してみれば、私は実はこの方法を既に以前から違ったかたちで採用していたようである。
高校の謎のノリ - 「ゴリラ」と「ひゅーん」
人によって時期は異なるだろうが、意味のわからない謎のノリで盛り上がる時期はあると思う。
例えれば、幼少期に「なんとかごっこ」とかで参加者の中で決まった一定ルールで遊ぶようなもの。その熱がまた再発するような時期である。その夢中な最中は周りがドン引きしてようが、理解してくれなかろうが、本人達が機嫌良く時を過ごせればそれでいいのである。
私の場合は、高校時代がそれだった。
といっても、決して明るく楽しい陽キャJKライフではない。
教員、親、クラスメイト、部活の部員、後輩、
周りに文句を言わせない高校生活を送ることだけで淡々とした虚無感の中過ごしていた、外面繕い型内面暗黒時代である。
そんな中で謎によく一緒にいた小学校から高校まで一緒に通った同じマンションの幼なじみは、何かしら起きた出来事に対して、
「やばそれ、まじゴリラやん」
「なんなん、ひゅーんやわ」
といった謎ワードで感想を述べるという方法を生み出していた。
今思っても意味わからなすぎてウケる。
だがウケるからこそ私を含め、その子の周りでこの文化は普及した。
何でも感想に、いかなる感情であっても、ネガティブ、ポジティブ関係なく、ゴリラ、ひゅーん、といった無意味な単語を使用するという手法である。
当時の用例として、
私: 来週テストやな、だる。
友: まじゴリラ。
私: あ、ちゃうやん再来週やんw
友: ほんまやん!ゴリラやわーーww
私: 全然余裕やんw 帰りクレープ食べ行こー
友: クレープ行くとかめっちゃゴリラやん、行こー
(書いてて、友人、ゴリラしか単語知らん人みたいになってて草と思っている自分がいるのは否めないが、あくまでも例の会話文であることはご理解頂きたい)
外野からしたら、ゴリラとは???となるが、当人達にとってはどうでもいいのである。(ちなみにゴリラがひゅーんに置換されていても問題はない)
当時はノリで使っていたが、こういったどうでもいい内容を、どうでもいい単語を使って話すことによって、日々のモヤモヤ、グダグダな感覚をいなしていたのだろうなあと思う。
この過去があったから、私は割と「ウケる処世術」をすんなり自分にインストールできたのかもしれない。
そう考えてみると、暗黒だったような高校生活も、割と有意義だったのかもしれないと今なら思える。
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