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杳として知れず ⑩ 夢の街の正体

 大声を出せば反響もするが、答えてくれるものは何もない夢の中の無人街は、ただそこにあり備え付けられたシステム通りに機能している。まるで僕の方が、ある一定の場所にしか留まれない幽霊のように思えてきた。

 ひとりだけ取り残される孤立した世界にいて、ずっと戸惑いながら彷徨い続けている。現実でも夢でも、結局のところ答えは自分で探すしかない。



 声がする場所には物影一つ見当たらない。さっきから物音はするのに姿が一向に見えないのだ。幽霊ばかりがひしめく街に、迷い込んでいるかのように。やがてその声も止み、再び静寂が街を支配する。僕が彼女の体に入ってしまい、現実で情報を求めて動いたように今度はここで、僕は可能性を探るために留まろうと決めた。


 いつもの見る景色と全く同じなのに、自分以外の生き物が全く存在しない街の様子は、テーマパークのように生活感がない巨大なハリボテで、まるで本人には一切知らされることのなく始まる人生ゲームに参加してるかのようだ。

 この夢の世界の果てはどこにあるのだろう、そう思ってまずは行き止まりになる場所まで、まっすぐに歩いてみることにしたが、ある一定の角を曲がれば再び街の中心地に戻ってくる、そういう作りになっていた。
 つまり歩いて進むだけでは、この世界から逃れることはできない。

 一応、彼女が一番恐れていた転落場所から飛び降りることも試してみたが、痛い思いをするだけで何ら効果はなかった。痛みと刺激だけが再現され、血が流れたりすることもない。衝撃のショックから一時的には気を失ったが、目が覚める頃には元通りになりダメージも残らない、まさに都合よく動く夢の世界だ。

 僕は次に、この世界の中心となっている商業ビルに入る。ビルの内部は現実にある商業ビルと全く変わらないテナントの商品で埋め尽くされ、普段と変わりなくシステマティックに点灯し、僕だけのために空調も効いている。


 各階を巡ってみたが、やはりどこにも誰もいない。各階には必ず備え付けのようにある飲食テナントに並ぶショーケースの中にある食べ物も、本物でしっかりと味がする。だが僕は空腹を感じないので、試しに味わうだけで止めておく。

 そのほかの服や、並べられている雑貨などの商品も全て本物だ。公共トイレもしっかり作動したし、エレベーターも稼働する。異変があるとすれば街の外にある天候だ。曖昧な曇り空は、まるで巨大なエアコンで管理されるみたいに快適だ。風も吹かない代わりに雨も降らない。翳された場所にいるように太陽は遮られている。

 あまりの快適さに全ての体の機能が、麻痺しそうなくらいだ。


 テナント巡りが終わると、行き着く先は屋上までひしめく駐車場のエリアだ。そこには一台も車が置かれておらず、無人の駐車場はワンフロアが空きテナントのように、がらんどうとしている。そして全体を頼りない照明と濃いめのグレーのコンクリートにより更に薄暗く、別の意味で重厚感を漂わす効果を生み出した。

 わざと音を立てて反響の加減を試してみると、波紋のように周囲へ響き広まったのち静寂を取り戻す。僕はこの世界で完全にひとりだ。それに入り込んだ彼女の体へのフィット感を重視しずぎたのか元の体に戻った自分が、どうもしっくりとこない。
 夢の中とはいえ、やけにリアルに彼女の体に入っていた時の、自分の思う身体との反応の解離を、また感じてしまう。

 散歩するように商業ビルの内部を見渡しながら、僕はこれまで知られざるビルの内部をくまなく見学することができた。だがこれが実際には、どこまで合っているのかまではわからないし、興味もない。半分は状況把握を言い訳にした暇つぶしだ。


 知らぬ間に僕は自ら、彼女へ手渡したはずのハンカチを握りしめていた。夢は現実とリンクする。もしかしたら今いるこの世界は、いつもの転落があった時ではなく、僕と彼女が初めて出会った日なのか?

 ならば彼女のいるところには見当がつく。僕はその場所へ駆け足で向かう。


 稼働するエレベーターを使って階下に降りていく最中、僕は猛烈な眠気に教われた。まるで誰かに意識的に薬を盛られたかのように身体中の神経や意識、そして筋肉の動きが徐々にじわりと麻痺していく。身を委ねた僕は、重くなったまぶたをいつのまにか閉じた。唯一感じ取れる体にかかった重力により、僕を乗せるエレベーターが微かに振動したまま、一定のリズムを保って降下し続けていた。

 目が覚めた時、現実に戻っていないことはすぐにわかった。そして今まで見たこともない、全く知らない場所に僕はたどり着いていた。

 一面を青白さに統一された、だだっ広い正方形の部屋の真ん中にクイーンサイズのデカいベッドが置かれてあり、そこに見慣れた女性が横たわっていた。僕が会うために彷徨い探し求めていた、まさにその人だ。

 彼女の肉感的な身体は、その露出の際どさを最低限に留める局部だけを隠す下着をつけ、透けて見える程度の布を纏い眠っている。壁の三分の二ほどの大きさの窓からは半透明のカーテンを抜けて、白い光に照らされていた。横たえても魅惑的な身体のラインは崩れることはなく、動くたびに形を変える豊潤さは、清純さを引き立たせる淡い光と相まって、むしろ際立っていた。

 この部屋には大きな窓にカーテン、そして彼女が横たわるベッド以外には何もない。

『だって、必要?他に』

 声のする方を向くと彼女は起き上がって、こちらを見ていた。痺れを切らしたのか、少し不満げに呆れている。

「・・・ここは夢の街の担当医とのカウンセリングルーム?夢では担当医と、ここで会うんですか」

 彼女は"合ってるようで違う"、と訂正する。

『私と対峙する相手によって居る空間のインテリアは変わるの。今は私とあなただけ、ここは"あなたという人"を表してる。彼との空間には本人しか入れない』

 さらに担当医の空間では"私の中で見聞きしたようなことと変わらない、それこそあの夜みたいに。これ以上、知りたくないでしょ"、と彼女は僕を手招きし、ベッドの隣へ腰掛けさせる。動くたびに揺れる身体のパーツを目の当たりにし、戸惑う僕の反応を楽しんだ。彼女による、あからさまな方向への誘導に僕は抗う。しかしそれすらも全て、彼女にはお見通しだった。

『なぜ抗うの?何も悪いことしてない、お互い合意でしょ』

「でも『情もない』でしょう。あの時のことは感謝してます、忘れることはないけど虚しい。だから繰り返したくない」

 彼女は少し鼻白み、そしてわずかに微笑む。表情はどこか安心したのか、警戒を緩めたようにみえる。

『彼は散々抱くのに、すぐ押し倒すの。脱がすのが面倒な服でも関係ない、征服欲よ。それとストレス発散・・・。確かに情がないのはお互い様かもね』

 僕は彼女に服を着て、と頼む。彼女は"どうせ誰にも知られない"と言いながら、色気を打ち消す学校の制服にチェンジした。

「そう言いながら実際には、うまく担当医を操ってるでしょう?引き換えにしてまで、いったい彼の何を求めてるんですか」

 それに彼女は"技術"と言い切った。そして周辺の空を切るように手を旋回させながら、説明を補足する。

『この夢の街も彼の技術の一つ。ここは私と彼の研究技術が結集したようなもの。彼は夢について長年研究する、希少な専門分野の第一人者なの。平たく言えば夢の空間を使いトラウマを克服する療法ってとこね』

「君は、その研究の被験者か・・・?」

 僕は前から彼女が担当医の患者であり、病院スタッフが訝しがるほどの距離の近さにあったことを思い出した。その研究を使い、夢の街の空間を作り上げてまで彼女がしたいことは何なのか、まだ僕にはわからない。

 この『空間』と称する部屋は、外からの音が何も聞こえない。まるで今まで見ていた街とは一線を画すくらい、違っている。今までの夢の街が彼女が言う研究の療法のための空間ならば、ここはもっと閉ざされたプライベートなものに近い。例えるなら僕が入り込んだ彼女の意識のようなところだ。
 なぜ僕がここへ辿り着いたのか、それは彼女が僕を受け入れたからだろうか。ただそれは、あの"繋がり"を経ているからなのかは、定かではない。

「なぜ僕は、君の夢に居れる?」

 この質問は物事の核心を突くものだ。しかし、答えを知るものはいなかった。

『正確な答えを知るものは誰もいないの。因みにあなたの担当医なのは、あくまで便宜上で、あなたは被験者じゃない。彼はね、私の夢の街に介入できないの、でもあなたは彼の手には届かない深部にまで入り込めている』

 "彼は敵視してる、あなたの存在は脅威だから。研究においても、それ以外でもね。それに、あまり時間は残されてない"。こう話す彼女の言葉は、心の中に留めなきゃいけない大事な格言のように僕へ突き刺さる。

『びっくりしたわ。いきなり街中を歩き回るんだもの、でもこれ以上、色々引っ掻きまわされても困るしね』

 まるで今までを、ずっと見てきたかのように彼女は言う。

 "これは全てあなたのためよ。夢の街は、もう崩壊が始まるの"。遠くを見つめ、どこか他人事のように彼女は言った。

「崩壊・・・?」

『ここは現実じゃないのよ。わかってるでしょう?あなたは目覚めなきゃいけないし、在るべきところへ戻らないと』

 部屋の中は、僕ら以外の音は全く届かない。時折、カーテンがそよぐが、その風はいったいどこからやってくるのか。ここはあの街がある場所とは全く切り離された、崩壊する世界の余波を避けるために必要な避難所。
 街が崩壊すると彼女が言った時、まだ身体には衝撃を食らった時の、知っているようで知らない痛みを覚えているのに、なぜかほんの少しだけ寂しさがよぎる。

『崩壊が終わるまでの間なら、あなたと話せる。ずっと問いかけてたでしょ?』

「じゃあ、なぜ夢の街が崩壊するんです?君の心が壊れているということ?」

 彼女は笑い、"体の細胞の新陳代謝と同じ、役目を終えて無くなるだけよ"と答える。続けて夢の街の成り立ちは、完成形へのイメージトレーニングを繰り返すことによって構築することができるという。夢の街の構築には、長い月日を掛けたような口ぶりだ。

「"じゃあ君の夢の街は担当医の研究において作られ、その構築の過程には彼も関わっている"。そうですね?」

 僕の問いに彼女はあっさりと肯定した。ではなぜ担当医が主体の研究において、夢に踏み入れられないかの理由を尋ねる。彼女は"専門家も知らないのに、私がわかるわけない"と言った。

「で、あなたはどう?夢の街を通して見た、私のことを」

 話をすり替えた彼女からの問いにより、この空間には僕が投影されるように、あの夢の街には彼女自身が投影されていると気付かされる。その投影では、あの非常階段の周辺だけが克明に再現されている。確かにあの強烈な体験を経た上では、転落事故のトラウマを克服する療法だと言われれば納得できたかもしれない。だがあそこには、それを上回る確固たる強い意図が明確にある、なぜなら同じ場所で彼女が愛する父親も同じように亡くなっているのだ。

 その亡き父親が亡くなった場所と全く同じである商業ビルの非常階段。そして娘である彼女の転落現場にもなった、あの場所が全ての起点なのだ。夢の街ではトラウマを表すような形で事故と同じ転落が、何度も繰り返される。始めは彼女に対して抱く罪の意識としての罰のように、または父を失った彼女の心の喪失を表しているのかと思っていた。毎回、死にそうになるほどの痛みを味わいながら、必ず『死ななかった』。

 だが、それは死なないために転落する『成功体験』を何度も繰り返させ、身体にタイミングを叩き込ませる『転落事故を起こすシミュレーション』だとしたら。実際には自分を痛めつける彼らの目の前で行い、より強く罪の意識を擦りつけるために。
 だが実際には、同じように現実で起こせるとは限らない不確定要素も多く、ある種それはデカい博打を打つようなものだった。

「あの転落は事故・・・、ですか?」

 疑念を抱く僕は彼女に問う。問われた彼女は静かな微笑みを浮かべるだけだ。しばらく間が置いて、彼女は穏やかに独自の見解を述べる。

『さあ・・・少なくとも、とっくに私の手からは離れてる。ただ転落現場に居た、あなたもよく見知った人たちからの暴力を、かかりつけの医療機関が通報し、捜査機関で調査が進められてる。司法に委ねたら然るべき判断が下されるだけ。あなたがこだわる真実は重要じゃない』









































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