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杳として知れず ⑤ 再会?



 久方ぶりとなる夢の街で僕は、たどり着いた時から自由を奪われている。

 まるで体が勝手にプログラムされたかのようにしか動かせず、その様を体の奥底から状況を見つめるしかない。なんなら、僕という意識が体から切り離されている。

 視界の端から時折見える、覚えのある女子の制服と動作で、これは落下した日の彼女の追体験だと悟った。絶えず吹き付ける強いビル風と共に、不安に煽る背後からの嘲りが聞こえ、小突かれたり蹴られるなど妨害される。いつしか周囲には半透明のグレーがかった人影が複数現れ、影に追われるように階段を降りていく。

 階段を下るたび半透明な人影が声高になり、癖のある一際目立つ下卑た笑い声をしたクラスメイトらしき影が現れる。彼らの囃し立てる声は、姫ポジに君臨する女子が制すと、躾けられた有能な犬みたいにピタリと止む。

 塾仲間は、この女子とクラスメイトの彼がリーダー格になっているようだ。特に女子の目の前の彼女に対し、むき出しの敵意が彼女の体を通した僕にも向けられているように思えた。異様なまでの彼女に対しての熱量の差で、仲間の各々が気に食わない相手を仲間でいじめることで団結を図っているようだ。いずれ自分の憎き相手も集団で懲らしめられるので、特に意に介さなくても協力せざるを得ないのだろう。

 憤る女子は"パパばかりか、あんたたち親子は何もかも奪っていく"的な内容に終始し、"だからもっと苦しんで当然よ"と声高に、自身の行いの正当性を主張する。

 だが彼女の主張に正当性など有りはしない。問題も解決するばかりか、かえって拗れている。女子が理由づけて行う事自体、単なる憤りの吐け口を彼女に向ける言い訳に過ぎない。

 はっきりと存在を理解できる主犯格のクラスメイトと女子以外の、囃し立てる他の連中などはハッキリと聞き取ることができない。声のトーンやニュアンスから、おそらく女子と似通った内容には違いないだろう。ビル風が勢い強く吹き付け始め、ますます聞き取りにくくなっていく。


 隙間だらけの非常階段の踊り場では、やや透明な数名の人影が逃さぬように取り囲む壁の働きをし、その中で女子は味方である塾仲間の連中を背に、暴言を吐きながら一方的に、何度も非常階段の柵に突き飛ばしていた。

 後ろの仲間の影たちは女子に加勢して、威勢よく囃し立てている。必死の形相で女子は彼女に何か詰め寄っていた。何かを問い正されるも、風の音が言葉をかき消し、何もわからない。

 目の前の女子の手には、ヒラヒラした紙のような影がはためいている。すると、それまでじっと大人しく絶えていた彼女は、すかさず奪い取った。感触は柔らかく、紙ではない布だった。彼女はそれを手の中に仕舞い込むように丸め、固く拳を握る。奪われた女子は、それを取り返そうと更に彼女を痛めつけ、仲間たちも加勢し始めた。

 しかし彼女は頑なに、手の中のものを離さない。

 "なんなのアンタ、返しなさいよ!"と叫び女子は彼女を、勢い任せに踊り場の柵の端に蹴り出した。しかし固く握られた手を緩めることはない。その姿勢が癪に触る女子は彼女の首を掴み、柵から仰け反らせ、もう一度自分の要求を言い放つ。

『邪魔するなって言ったよね?さっさと渡せっての!もっと痛い目見たい⁉︎』

 窒息させるような手つきで首を締めながら、手の中のものを奪おうとするが、その苦しい体勢にあっても彼女は反抗し、逆う。その態度に苛立つ女子は腹を蹴り、仲間に手の中にあるものを取れと命じ、首にかけた手に力を入れる。

『やっちゃって!早くそれ奪い取ってよ!』

 それをクラスメイトから、やりすぎだと嗜められると意固地になった女子は力を緩める事なく彼女を仰け反らせたままにして言い争い始め、仲間内の一触即発な雰囲気になっていく。

 誰もが注意を逸らしたであろう次の瞬間、かなり急激な強い風圧で吹き付けたビル風に、彼女の体は攫われ、空中に投げ出されていた。

 そこから落ちるほど速度が早まる間際、下から突き上げられたように何かとぶつかる衝撃を喰らう。きっと落下地点にいた僕だ。地上へは僕がクッション材となったのか若干、和らいだようだ。瞬間的に視界は無音で真っ暗になったが、どれだけの時間が経ったのかはわからない。

 再び意識が戻った時には衝撃による痛みが全身を支配し、骨身に影響を及ぼす真っ最中で、砕かれた体の痛みや失われていく体温の影響で朦朧とした意識の中、ようやく解き放たれるような消失感を味わう。目の端には同じく負傷に瀕する僕の体が横たわっている。僅かながら見えた体は痙攣していた。負傷の影響か音は完全にかき消され、何も聞こえなかった。いつの間にか彼女に入り込み、その内側から転落を追体験したものの、当の本人である彼女自身の意思や思考などを感じ取ることはできなかった。

 そのうち、目の前は眩しいほどの真っ白な光に満たされる。


 また目を覚ますと今度は完全に無音で無人な街の風景だった。
 身体中の痛みは失せたが落下地点に横たわる『僕』を、誰かの影が側で見下ろすように眺めている。その影が動く音を耳で感じ取り、聴力が復活したことを知る。やがて逆光になったその影は、熱望した夢の街の彼女だとわかった。


「・・・あ。・・・」

「初めまして。あの時はありがとうございました」

 寝そべったままの僕は、手を差し伸べた彼女に体を起こすのを手伝ってもらう。

「すみません、その・・・これは僕の夢ですか?」

「ごめんなさい。あんまりよくわかってないんです、ただあなたが時々、現れたりしてるのは知ってます」

「じゃあ転落してから、ずっと昏睡状態だということは?」

「昏睡状態?・・・」

「あの日、非常階段の踊り場で、あの女子から何かを奪った君は、取り合いになった過程でビル風に煽られる形で転落した。そうでしょう?」

 彼女はそれに対し、返事をしない。僕は現在の状況を話し、夢の街について質問したが彼女はあまり興味がないのかそっけなかった。

「本当にごめんなさい、何もお力になれなくて。ただ、ここはずっと同じことを繰り返すようなところだから」

 彼女は時間の感覚すらも麻痺しているのか、どれほど経過しているのかについても焦った様子は全くなく、どこか他人事なのだ。

「ここから出ようとは思わないんですか?」

「だって、どんなに足掻いても結果は同じなの。時が来れば、どんなに逆らうことをしたって結局、同じ結末を迎える。それをずーっと繰り返すだけ、数えることすら意味がなくなってしまった」

 彼女曰く、夢の街では同じことが繰り返されているという。ただ、状況が変わる時があり、自分一人か別の人間がいるかによって違いが出るらしい。変化が伴った時は予測しづらい展開になることが多いということだった。
 そして終わりはいつも、決まって死を迎えることになると決まっていた。

「どんなことしたって時間になれば、あの地点から落ちる。落ちて、目が覚めたら痛みも怪我も無くなってる」

「でもずっと繰り返されてるんでしょう?落ちた瞬間は、いつだって痛みを味わい続けてる。痛みが無くなったって平気なわけない」

 僕らは一旦、商業ビル内のエスカレーター脇にある長椅子に腰掛けた。何度も繰り返されるループに慣れつつある彼女は、繰り返される苦行にある程度の慣れてしまい、現実に戻る気があまりない印象を受けた。

「夢から醒めたいとは思わないんですか?」

「その方法がわからないの。どう変化しても同じ結末を繰り返してる、何をしても無駄のように思えてしまって」


 彼女がずっと繰り返し転落するのを味わい続けているなら、また蘇ったとしても突き落とされる結末を迎えるのは明確だと悟るようになるのは無理もない。そしてどこにいても、ここに来たら僕も彼女が落下した時点で、来るべき衝撃を受けることになることは明白だった。僕ら二人、ここにいる限りは呪われたように繰り返される。

 そしていつしか僕らは転落場所となる、あの階段の踊り場にいた。これが彼女の言っていた"時間になればあの地点から落ちるだけ"の再現なのか、どこにいても"その時"になれば落下地点の場所に戻されるらしい。終わりが近づいているのだ。

 最低限の手すりと隙間ばかりの細い柵で、風通しの良すぎる階段にはビル風が強く吹きつけ、回転を駆けたようなヒューヒューという高音を耳元で囁くように鳴らす。"どんなに逃げても結局、ここに連れ戻されると、彼女は力なく膝を落とした。

「あと何回飛び降りたら、終わりがくるの・・・?」

 目は涙で滲み、本当は転落したくない彼女は手すりに捕まって震える。だが、そのように抗っていても、意志の有無に関わらず手すりを越え、いずれルーティンのように転落していくのだろう、そんな気がした。いつも離れた場所から、僕が彼女の転落していくところを見続けてきたように。

「今は状況が違うのでは?」

 彼女はそう言った僕をすがるような目で見る。

「いつもなら君ひとりなんでしょう?でも今は僕がいる、それだけでいつもとは"状況が違ってきてる"・・・はず」

「どういうこと・・・?」

「わからない、うまく言えないけど。今までは僕らはそれぞれ離れ離れの位置で、同じことを経験してきたんだ。僕は離れた位置で君が転落するところに遭遇し、落ちた後の衝撃を共に経験することを繰り返してきた、いつも夢の街でね」僕は、戸惑っている彼女に幾つか質問する。

 例えば繰り返す夢に、最初から僕の存在はあったかということ。来るべき"その時"に備え、怯える彼女は『始めは気づかなかったが、落下する直前から見かける時もあったかも』と話した。
 続けて転落したときに一緒にいた、影となって見えたあの連中のことを尋ねると、彼女は見たことないと否定した。

「いつもなら君は一人でいる。僕は居ても少し離れた位置で、君が落ちた時に同じ衝撃を食らって倒れ、たまに現実に戻れてる。けど今、僕らは一緒だからこそ、何か変化が起こるかもしれない」

 今となってはあの時に見たものが、本当にあの日の出来事なのか、自信が持てなくなっていた。それに彼女と僕では、それぞれ見ているものには差があるようだ。

「君と僕で夢を共有しているか、それが知りたかったんだ」

「なぜ?」

「もし共有しているなら、協力しあえば現実の世界でだって、いつもとは違う変化が起こせるかも」

「その変化が、いいことばかりとは限らないでしょう?」

 そう話す彼女の動揺を、僕は見逃さなかった。

「まさか戻る気がないのか?目覚めて、またいじめられるより何度もここで死にかけるのを、くり返す方がマシだと?でも君の望む解決が、それでなされるとは思えない」

 僕の言葉に彼女は顔を背けた。その反応は言葉にせずとも、肯定しているように思えた。実のところ僕だってそれは同じだ。また退院し学校へ登校する時、かえって状況が悪化することだってある。どっちにしろ、それは可能性の話でしかない。 
 それでも僕は、ここに留まろうとは思わない。現実の方が、まだ方法なり手段の選択の自由度が高い気がするからだ。


「僕も同じ目に遭ってた。けど今は状況が変わったんだ、咎められなかった彼らも今は、大多数の人たちから罰せられようとしてる。現実はすでに変化しつつあるよ、ここで変わらずに過ごすよりもずっとね」

 僕は彼女と違って、夢と現実を行き来しているから言えることかもしれない。

 今、目の前にいる彼女がたとえ夢の中で、僕が勝手に作り出した幻で、本当は夢の共有なんかしていなかったとしても。彼女は何も答えず俯いていた。頭がかすかに震え、押し黙って泣いている。

 周囲の風が止んだ。まるで時を止めたままのような、僕らしかいない世界。

 どうせ繰り返すのだ、何を試してみたってアリじゃないか。

「どうせなら一度、飛び降りるのをやめてみないか?今から二人で、階段を降りてあの場所まで歩いてみよう」

 僕は彼女に、こう提案してみた。続け様に、何度も痛い思いするのは嫌なんだろう?と彼女へと問う。

 もし、いつもの終わりの結末を変えることができたら、違う選択を選んでいたら、全てではなくても、何か変化は起こるかも知れない。そんなことを考えただけだ。
 僕は天才じゃない、気の利いた言葉なんて言わないし、機転を効かせてピンチから脱出する術を編み出せるわけでもない。至って平凡な、この世に生きる大多数のうちの一人でしかない。

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