見出し画像

杳として知れず ④ 展開

 体が限界に達し、また二日ほど睡眠での回復に専念したのち再び目覚めた現実では、僕の知らぬうちに事態が急展開を迎えていた。 

 久方ぶりの睡眠により休息し、疲れが取れたのか症状は落ち着きを見せ、ごく普通の生活リズムを取り戻していく。おかげで体はどんどん楽になり、心身ともに不安定さのない回復傾向が見られるようになる。

 しかし体調が回復した代償か、あの夢の街へ戻ることが出来なくなっていた。

 なぜ夢の街へ戻れないのか。もし僕と彼女の間で夢が共有されていたとしたら、あの苦しみから僕だけ抜け駆けしたようで、負い目を感じた。

 今は一般病棟の個室で、定期的に屋外への散歩や軽い運動を帯同なく、ある程度、自由に行動を許されている。明るい陽の下で爽やかな風に吹かれながら佇み、夢へ戻れぬ不可解さと、それにどこかホッとする安堵さを抱く複雑な心境にあった。そして未だ一人、取り残されたままかもしれない彼女を思った。

「体調は、どうです?」

 唯一、ストレスになりそうな担当医とのカウンセリングが始まる。毎回、夢で見た街や彼女について話そうという思いと、何故か担当医に伝えたくないという葛藤が渦巻き結局、話さないままだ。

「最近は・・・、よく眠れてます」

「精神的な不安定さも、なくなってきたね。やはり今、いちばん君には休息が必要なんだろう。もうしばらくはこのままで様子を見ようか」


 現実の世界で僕は、彼女の居場所を知ることができた。先日の一件で外部からの訪問者が病室への立ち入りを禁止して以降、彼女は厳重に警備が敷かれるVIPの個室にて療養し、意識が回復する傾向はないという。
 彼女に会わせない代わりなのか、カウンセリングの時間に話が詰まると、担当医はポツポツと彼女の情報を言うようになった。嘘か真かを確かめる術は限られるが、情報をもらえることは有り難い。しかしこの担当医の行為は、個人的に信用という意味で、僕の内情を話すことを警戒する要因となっている。

 彼女のいるVIPの個室はセキュリティが固く、場所も分かりにくくて誰でも踏み入れられるエリアではない。事情通の担当医は、どうやら彼女を診る権限を持っているのだろう。それに僕は、その部屋をよく知っている。母が亡くなる前まで使っており、わずかな時間を少しでも共に過ごそうと、そこで寝食を共にしていた。

 その長らく使われない部屋を昏睡状態の彼女へ当てがい、高額にかかる治療費も父が全額持つと申し出たことに医療スタッフたちは当初、かなり騒ついたという。だがその理由が、父と彼女の母親の間柄が疎遠だった遠縁であることと、不憫な境遇下にあることが幅広く周知されたことで素早く収束した。

 そもそも彼女が"いじめ"を受けていたきっかけが、母親が経営する店の常連客との不倫疑惑にあり、彼女をいじめていた塾仲間の女子の父がその相手だったことで、親のいざこざに子供も巻き込まれたのだ。
 しかし実際は、きっかけになった不倫疑惑が離婚訴訟で長年、揉めている勘違いした妻による、でっちあげというオチだったのである。娘である女子は父よりも母の味方で、早くから親権は母親が持つことで同意していた。白日のもとになった今では、これらのでっち上げが養育費や慰謝料の金額の釣り上げ目的ではないかと、もっぱらの噂だ。

 それらの情報は今までかなり巧妙に秘匿されていたが、とあるネット上に上がった動画に端を発し、話題に食いついた人々の様々な労力での特定により明らかにされ、今では街の誰もが一番、関心を寄せる話題となっている。

 だが世間の一番の関心は、加害側とされた一番の権力を誇示する一族の大人たちへの、社会的な制裁の行く末だけだった。それらのキーパーソンとなる彼女の病室は、重要人物という事情も加味してか常日頃、警備により物々しい雰囲気に包まれている。

 人々がこの話題に関心を向けるブーストになったネット上の動画というのが、例の塾仲間の連中が安直な考えで上げた、とある生配信の内容だ。

 それは僕の病室に弁護士を名乗る男が侵入する一週間前のこと。

 彼らは見舞いと称して病院スタッフを騙し、まんまと病室に侵入に成功すると、事もあろうか意識不明で昏睡状態にある彼女の様子を動画に収め、面白半分で生配信し始めたのだ。彼らは昏睡状態であることを疑い、体を揺さぶって起こそうとしたり、抵抗する術のない相手に配慮に欠ける行為を繰り広げた。

 その配信を見た複数の視聴者が、病院へ連絡しスタッフが駆けつけると、調子付いていた彼らが人工呼吸器のスイッチに手をかけていたところだった。大事には至らなかったものの、事態を重く見た病院側が通報し、彼らは事情聴取のため捜査機関により補導された。しかし一族の関係者であることで権力に物を言わせたのか、即時釈放されたのだ。

 すると今度は侵入した彼らの親が病院に怒鳴り込み、子供への対応が稚拙で過剰だと病院スタッフや被害にあった彼女の母親にも、"つまらぬ子供の行動を大袈裟に騒ぎ立てた"と、声高に抗議し罵倒しまくったのだ。
 さすが血筋というべきか、この親にしてこの子ありだ。そもそもそんな騒動を起こさなければ、こんな事態にも発展していないのだ。

 それを鑑みた病院側は速やかに、捜査機関へ被害届を提出を済ませた。そして正式に事件として捜査が開始されることになると、彼女が彼らからいじめに遭っていた事実を皮切りに僕のことを含め、これまで彼らが関わった数多の迷惑被害が次々発覚するに至ったのだ。

 ネット上では塾仲間らの横暴を次々密告する『自分もやられました祭り』と呼ばれる暴露現象が関係しており、ネット上に上げられた多数の情報が、証拠付きで克明に語られているものばかりだった。しかもそれらの内容がほぼ事実であるものが多く、情報を捜査機関に任意で提出する動きも多数見られた。

 それによりこれまで権力を傘に緘口令を敷き、沈黙に埋もれさせた過去の悪行が界隈周辺で囁かれる大半の噂は事実、と知れ渡る結果を招く。

 そのあまりの数の多さにより世間は一気に被害者の味方に立ち、権力者一族への憎悪が噴出する風潮を生み出す。その力は権力者一族の持つ権威を飲み込み、急速に威力を弱らせ、当事者である子供を含む一族全体に多大な大打撃を与える。それまで強大な権力者然であった一族は、かつての威光に陰りが帯び始め、もはや裸の王様も同然の有り様へと変貌を遂げていくことになる。

 いじめを行なった彼らの親は、いずれもセレブで一族の系列企業に勤める重役や会社を経営、実際はどうあれ表向きはイメージや信用が高かった。
 だが子供たちの行ないを嗜めることもせず隠蔽してきたことや、周囲の人間たちへも長きにわたる悪行を耐え忍ばせ、多数のいじめや親の威光を傘にした部下たちへの権力を盾にした過度な威嚇行為などの内情が露わになると、イチ社会人や親としての評価を含めイメージはおろか信用は失墜、ビジネスにも大きく響いた。

 隠蔽したことが公になると、これまで沈黙した被害者たちは一斉に訴えを起こし始め、事態は収束とは程遠い熱狂と混迷を極めている。


 個人・公共を含む各マスメディアは、セレブでエリートの子供が引き起こした数々の悪行を、悪質極まりないスキャンダルとして報道は加熱し、その全ての騒動のきっかけとなった彼女の安全に配慮しなければならなかった。そこに僕の一件が起こったことで、彼女を収容している病院は疑惑を持たれる生徒や親を含む、報道やその他関係者たちも病院周辺からシャットアウトしている。

 事件となったことで捜査対象となった彼らは現在、再び事情聴取を受ける日々を送っているという。一方で、在籍する学校は絶好のタイミングで夏季の長期休暇を迎え、報道の加熱ぶりからは逃れられたようだ。

 僕にも事実確認で話を聞きたいと言われているらしいが、担当医の判断で先送りされている。夢の街で繰り返し味わう、落下の衝撃に伴う痛みや間近にした恐怖からは逃れられたが、だからといって問題が解決したわけではない。

「捜査機関からの僕の聴取って、いつになりますか?」

 再三にわたる僕からの要求に、気が急いだ先走る行為と判断する担当医は困惑を隠さず、依然として慎重な姿勢を崩さない。担当医曰く、"とにかく今は自分の心と体の状態を戻すことが最優先で、治療に集中すべき"と助言する。

「君は普段のサイクルを取り戻しただけで、全快でも本調子でもない。傷跡や経過が分かりにくい分、油断は禁物だし、いつぶり返したっておかしくないんだ」

「僕は加害者じゃありません。被害者としての聴取なら担当医の立ち会いのもと、病室で行うことも充分可能なはずです」

 困惑の色を隠さない担当医は、僕の主張をこう危惧する。

「同じく被害に遭った彼女の力になりたい気持ちはわかる。だが君の不安定さが払拭できない限りは、担当医として捜査協力を承認するつもりはない」

 そして意見を変えない僕を警戒した担当医は、再び地下にある検査病棟に移す決定を下した。それは捜査関連で沸き立つ世間から情報を遮断し、不安定さの要因から切り離す処置を意味する。

「もう良かれと思ったが、かえって悪影響になったようだ。まず今は治す事に集中した方がいい、お父さんのためにもね」

 僕は、これらの状況を自力で打破する知識も機転もきかぬ無力さに屈した。
 
 また地下に潜る日々が始まり、いつしか僕はあの夢の街に戻れないかと、熱望するようになっていた。娯楽が全くない中、あんなに逃れたがっていたのに、今では熱望している。ただ、何かしらの可能性を見出し、縋りたいだけかもしれない。

 無いものねだりな僕は常に監視される病室とスタッフに緊迫する中、無機質で無味乾燥的で低温な雰囲気から逃れるように目を閉じる。ここは積極的に休む姿勢が求められ、早期回復に努力する事が推奨されているのだ。

 窓のない病室の天井で、病的な明かりを放つ白色灯は、漂白され殺菌済みの潔癖な空間を支配し、見下す独特の圧が漂う息苦しさに包まれている。呼吸を整えつつ、僕は数少ない気晴らしの一つだった、一般病棟から見ていた窓際の風景を思い出していた。

 天気の良い青空に鬱屈したものを掻っ攫う風が、頬や体を通り抜け、流れるまま跡形残さず去って行く。夏の暑さが落ち着きそうな午後の翳る穏やかさが、いつも心地よい眠りの導入には、うってつけだった。

 そんな一般病棟での、窓から流れる風や時と共に切り替わる外の眺めの変容さを恋しく思った。次第にあやされる赤子のような心地よさに、白で統一した柔らかいベールに身を任せ、何処にも留まらない自由な開放感に落ちていく。

 ふと目が覚めると、僕は転落事故のあったビルの屋上にいた。あの夢の街に戻ったと自覚し、改めて担当医の懸念する自身の不安定さを理解した。僕は無人の静寂な夢の街をゆっくりと眺めながら歩いてみる。

 夢の世界には季節がない。暑くも寒くもないし、天気はずっと真っ白な日差しが降り注ぐ曇りのままだ。現実での病室で天井から浴びる白色灯の影響だろうか、駐車場になっている屋上には車が数台停まっているが、相変わらず人気はなく誰もいない。遮るもののない屋上には自由に通行するテンション高い、はしゃぐような風音だけが自由気ままに舞っている。
 今のところ前のように人の声も聞こえず、彼女の姿もない。

 だが時折、誰もいないはずなのに体の一部を突かれるように揺さぶられ、それは選択の自由を許さない道筋を示している。一定の期間で絶えず小突かれる導きは、体を揺さぶられる度に僕を苛立たせ、歩く歩幅のペースを絶妙に乱す。

 屋上の端には非常階段への出入り口がある。踊り場とタラップ以外は均一の細い柵で茶色い塗装の骨組みだけという簡素な作りで、階段の段差も空気が通り抜け易い隙間が空いている。階段の出入り口となる扉には非常用と書かれ、ドアノブの周辺には鎖や南京錠で施錠し、安易な出入りを禁じてあるものの厳重さには程遠く、やり方さえ知っていれば誰でも入り込めそうだった。

 階段はビルの側面にピッタリと備え付けられ、各階から出入りでき階下まで繋がっている。非常階段の中に入るには一旦、体を外側へ置かねばならなかった。
 階段の柵は胸元から足下に作られ、胸元から上は空けてあるため、そこから体を捻じ込めば、鍵を破らずとも扉の向こう側へいける。

 柵を掴みながら外側に身を置き、非常用階段の柵の外から施錠した扉を超えた向こう側へ慎重に移動し、再び柵を乗り越えて階段の内側へ移った。非常階段は長居しないよう隙間だらけで、安心できない作りになっている。各階のフロアと繋がるドアは内側でしか開けられず、降りていくと転落現場になった踊り場へ着いた。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?