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杳として知れず ⑫ 二年の月日


 僕が自分を再び取り戻してからは、失われたものを取り戻すかのような怒涛の日々が駆け抜けていった。再び学校へ登校すると、かつて僕を痛めつけるものも存在が見えないかように知らぬフリをするものも、"君は僕たちの仲間だ!"とばかりに善意のお膳立てキャンペーンをするほどの過剰な歓迎ムードで迎え入れられた。

 僕はその行為に潜む、あらゆる人々の統一された思惑が透けて見え、ひたすら人類皆、友達ブームが過ぎ去るまで堪えた。大抵は年度末でクラスが引き上がるとともに人員の総入れ替えの辺りで収まり、繋がりのない別系列に進学を果たす頃には、二年の月日が経過していた。

 現実での落とし所を知るに僕があの空間で見た多数の動画は、どうやら彼女があらゆる想定をしたシミュレーションであることがわかった。おおよその意味での結末は、だいたいが彼女の求めるものとなったようだ。

 彼女の母親は退院での挨拶で、これまでとは打って変わったようにおとなしくなっていたらしい。更に高額の医療費を全額、その場で支払ったことは父を含む病院スタッフたちも驚いたそうだ。そして母娘の関係は、ことある毎に丁寧な娘の礼儀正しさが際立ち、その度に母親が恥をかく形で悪目立ちしていたという。

「まあ、大人が頼りないと子供が反面教師にしちゃうのかな。お母さん、ちゃんとわかってないようだし」

 僕は今でも、父の病院で定期診断を受けている。近頃はだいぶ調子も良くなったが、ここまで戻るのにも時間がかかった。この二年の間にも、ぶり返すように体調が悪化し、短期での入退院を繰り返すことが、ままあったのだ。
 はっきりした原因は不明だが、きっかけは、あれから一度も会っていない彼女にまつわることばかりだった。

 脳裏に彼女(または見ているらしい風景)が現れると、決まって僕の体調は崩れた。まるであの夢の街の時と全く同じように。夢の街では落下の衝撃を受けた全身の痛みだけだが、現実では激しい頭痛を引き金にした精神的混乱による逃避行動だ。彼女の心情にリンクし、僕は今いる場所からどこかへ逃げ出そうとして暴れたらしい。そんな発作が起これば、スタッフに数人がかりで抑えられ、無理矢理にでも鎮静剤を強制的に投与され、落ち着いた後には全く覚えておらず、話を聞いて戸惑うことが幾度か繰り返された。
 一番ひどい時は一ヶ月ほど入院し、脳裏に彼女が現れることがなくなると、発作は全くと言っていいほど無くなった。

 退院後は週一での通院が月一になり、今では三ヶ月単位での診察を受ける。その帰りには激動の入退院の際に世話になった、嘱託の看護師と世間話するのがルーティンになっていた。この看護師は長く病院に勤めており、状況をわきまえつつ事情通で入院中も暴走し、迷惑をかける院長の息子と一線を引く院内スタッフが多い中、孫のように可愛がる稀有な人だった。

 そして僕の真意を見抜いている人でもある。お互い、話せる相手だと信頼し合えたのか、こうして定期診断を受ける際には、いつも世間話を交えながらあの時のことを聞くようになっていた。

「あなたを見るたび、あの頃のあの子と重なるねえ。秘密を抱え、真意をはぐらかす。誰も信用しなさそうなとこも」

「はぐらかしてないよ。一緒にしないでくれない、それに信用できる相手はいるよ。ここに」

 返した言葉を愉快そうに笑うこの人は、僕にとってこの病院で一番、信頼する話し相手だ。だからと言って、確かに全てをさらけ出すことはない。ただ、この看護師はかつて担当医の科に勤めていたこともあり、あの二人を良く知っていた。今年から嘱託扱いで業務介助がメインなのか勤務時間も短く、すこし会って話すには時間も合うのだろう。

「おやおや、いつの間にか返せるぐらい喋るようになって。最近はスタッフ間でも話さないよ。業務体制の変化で個人主義になって、一線引いた付き合いばかりだから。おかげで同僚でも人柄すらロクに知らない」

 僕は目の前の世代の違う代表を相手に、ひとりの若者として"人により、合う合わないは年齢問わずでしょう"と返答しておく。

「にしても一時期は、あなたもあの子にお熱だったのに"一緒にするな"は冷たいねえ。あの子も"アレ"の気に障るのは承知で、寝てるあなたにわざわざ会いに行ったのに」

 嘱託の看護師はこのように、世間話の合間に本筋を差し込む。この人の言う"アレ"は担当医を指し、去った後に女性絡みの淫らなスキャンダルが明らかになり、現場となった病院が世間からしばらくの間、不遇の時期を過ごした。再び評判と信頼を持ち直した今では、元凶となる"アレ"の話題は禁句だ。少なくとも公式では。

「そういうあなただって、"気に障る"ことしたんでしょう?」

 看護師はコーヒーの入った紙コップを口元に寄せ、隠すように言う。

「あの子には一杯食わされたわねえ。それで"アレ"が私を降格させて異動までして、あの人も」

 語尾を絶句し半ば、諦念したまま首を振る。不可解な異動を強いられた看護師には、今となっては裏で糸を引いていたであろう彼女の徹底した感情の抑制や賢さ、計算高さが理解の範疇を超えていたのだろう。おそらく僕と看護師は同じ結論に至っている。それはこれまで築き上げた、ほんの数時間の会話を経た上での意思の疎通だ。

 そして、ここから先は沈黙する。なぜならこの話は、とうに結末を迎えていた。彼女らは裏で操り、それらのほとんどが公になることなく秘匿されたまま、やり遂げて消えた。真実が知られぬ完全勝利で幕を閉じ、残された敗北者たちは、それぞれで後始末を引き受けざるを得なかった。
 一族の端くれが暴かれた悪事をきっかけに、一族は権力を半ば放棄する形で次々に街から転居していき、誰でも平等にチャンスを得る権力の空座ともいうべき新時代に突入している。

 今、ここに敗北側にある者たちが膝を突き合わせ、安いコーヒーを啜りあう。ほぼ事実に近いであろう共通した推察を、お互いの胸の内に抱え込んだまま。

「あの人って、訴えた元看護師ですね?同じ時期に異動を余儀なくされた」

 彼女を敵視し皮肉を吐き捨てた、その元看護師は退職したのちに担当医を訴え、女性絡みのスキャンダルを告発した。その中には未成年の患者である彼女のことも含まれていたが、世間の反応が街の権力者一族の没落する話題でひとしきりになる頃、元看護師は担当医側の示談に応じ、密かに訴えを退けていた。
 その後の元看護師が口をつぐむ代償としては、かなり見入りがあったようだ。

「最初はさ、あの人も"捨て身で裁判する"なんて息巻いたのが当事者でまとまったら、なしのつぶてよ?あの人の告発内容も盛ってるとこあったし、聞いてた話だって今じゃ、どこまで本当だったか」

 街に住む人間が出てしまえば、途端に情報が途絶え、関心も薄れていく。それがどんなに有名であっても街から出れば、それ以上のことは公にされない。
 "街"というエリアも一歩出れば、しょせん地域における一部分でしかないのだ。"都落ち"と囁かれる街からの転居は、街で権力を有するハイクラスに属するほど極度に恐れられている。それは"都落ち=敗北者"に等しく、敗北者が街に足を踏み入ることは恥という、ハイクラス層の間で勝手に定められた"街の常識"という価値観だ。

 ただし庶民であり、その感覚を理解できない僕には、その"街の常識"と、出れば興味を無くす無関心さを利用し、一族はうまく逃れたとしか思えない。むしろそのバイアスを作り強要したのは権力を握っていた張本人なのだから。
 逆にその思い込みを利用すれば、誰も競争相手が居ない土地に街の仕組みを一から築き上げられる、それなら"一族が総出で街から転居した"理由に納得がいく。これから先を圧倒的不利な環境で戦うより新たに環境を変え、自分達が優位となる場所を作り上げればいい。

 掻い潜る知恵と方法を知るものは、必ず何処かにいるものだ。事実、行方をくらました彼女や担当医は街を出たあと、秘密保持が厳重なことで知られる医療研究施設に入ったらしい。担当医は例の革新的な研究と被験者である愛する彼女もろとも、重要な保護対象として守られる逃げ道を用意した彼らの最大の勝因が、そこにある。
 重要な研究施設の所属になり、その人物や対象者の全ての情報に秘匿権限が認められれば、余程不利な証拠がない限り大抵のことは契約によって守られるのだ。その代わり契約期間は、施設外には一切出られないことと引き換えに。

 少なくとも彼女は、自身の引き起こした復讐劇の結末を、担当医の側で過ごすことを選んだのだろう。

 実際、居住希望の高い"街"への転居には倍率が高いことに加え、許可できる身元審査が厳しいことでも知られているし、その審査あっての快適な居住区域なのだろう。
 この地域に住む大抵の人間が羨望し、居住を熱望する定住数が限られている人気の"街"は、ルール遵守した上での居心地の良い生活を快適に送れる魅力に溢れ、街以外のエリアとは生命を脅かす危険に対する安全面でのセキュリティが段違いで、他地域との入れ替え制で定住できる人数は希望に対して倍率が高く、一度その生活を知れば定住を求めて維持しようとし、入れ替えを虎視眈々と狙う他地域の入居希望とで常にあぶれているのが現実だった。

 ひと財産を保有した上での街からの転居には、財産持ちほどあらゆるリスクがつきまとう。それは安全な街への入居を望む、他地域の入居希望者にとって妨げになることの他に、財産を奪おうと狙われる格好の餌食にされやすいことを意味した。

 目に見えて暮らしぶりが変わった元看護師も例に漏れず、新天地での強盗事件により命を落とし犯人は捕まっていない。そのことを知ったのも、つい最近だ。街以外の地域の情報は、よほど関連性があるか脅威を及ぼすもの以外は街に周知されることがない。元看護師の訃報は葬儀を街で執り行う親族によって知らされ、財を奪われた後の葬儀は限られた人数で、小規模に行われた。

「今日もバアちゃんの愚痴に付き合ってくれて有難うねえ。夜は孫の誕生パーティなの、久しぶりに賑やかになるから、そろそろ帰らなきゃ」

「前、言ってた僕と同い年のお孫さん、元気になられたんですね」

「ええ、あの子から紹介されたカウンセラーのお陰なんだけど。ここの病院来る前に通ってたみたいで、知り合いなんだって」

 思い出したように嘱託の看護師は一枚のシンプルな名刺を僕に差し出す。通常業務の合間に、孫が友人と価値観の違いからのトラブルで登校拒否になったのを話すと、彼女は"終わったら次の必要な人に"と名刺を差し出したそうだ。その後すぐに、担当医から不本意な降格処分と異動の憂き目にあうことになる。カウンセリングを経た孫は、友人との仲が直ることはなかったが再び学校へ行き、新たな友人に恵まれたようだ。

「もしかして、これからプレゼントを?引き止めちゃって申し訳なかったな」

 この会合の終わりは、いつも向こうから告げられる。そう、これは傍目から見ても、世代の違う人間同士が暇つぶし目的での井戸端会議だ。

「孫は欲しいものが決まってるから変わり映えしないのよ、毎年決まった額を定期預金に振込。未来に投資する資金にするんだって、パーティも孫がもてなすのよ。祝われる立場なのに変わってるでしょ?そうでもなきゃ家族は顔、揃えてくれないの」

 嘱託の看護師の家族は人数が多いそうだが、血の繋がりがない大人が多く、みな家を出ているため顔を合わす機会も、会話もなかった。
 座ったままの僕の分も空の紙コップをスマートに引き取り、さみしがり屋で世話好きな嘱託の看護師は先の予定にウキウキしながら帰って行く。
 異動になる前は看護師長にまで上り詰めていたせいか、本来ならあくせく働く必要がないくらいの稼ぎがあり正直、生活にも困っていない。ただ、一代で築き上げた広大な家に一人ぼっちでいることに耐えられず、健康にも問題がないため辞めないのだ。傍目には人が羨むほどの生活を築き上げても、手に入れられないものはある。

 周囲に人が増えてきた頃合いをみて、僕はその場を後にした。懐の胸ポケットに、お守りのように手がかりとなる存在の名刺を携えながら。

 翌日。ネットで調べても全く情報がない神秘のべールに包まれた、別の意味では胡散臭いとも取れる最低限の情報しかない名刺に連絡してみることにした。
 彼女の企みは担当医を共犯にした彼女が主体だと思っていたが、ここにきて新たな人物の登場に、どう関わりがあるのかを知りたくなった。
 しかも自ら(他人を介してはいるが)ヒントを明かし、担当医が窘めている。彼女の性質からいって、ただの親切だけではないのだろう。

 その相手はだいぶ用心深さが見られる対応で、予約を取り付けるまでに、こちらを色々な角度から探られているように感じた。あくまでもボランティアという名目ではあるが、その割にはずいぶん警戒しているのが伝わった。基本的な個人情報の掲示を求められ、何度かのメールやチャットでのやり取りにおいて、ある程度僕を下調べしているようなフシが見受けられた。

 結論として、そのカウンセラーから予約を取れたのは、連絡を入れてから三ヶ月ほど経った後、突然のことだった。




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