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杳として知れず ② 現在まで


 一ヶ月ほど前、僕は別の学校の女生徒が、暴力を振るわれている現場に遭遇した。

 加害した連中はクラスメイトを含む、同じ塾に通う他校の連中だ。彼らは仲間にしようとしたが拒否した僕を、塾や学校での退屈凌ぎの標的にした。

 一週間後、その被害に遭った女子生徒は商業ビルから転落する事故に遭い、それに僕も巻き込まれた。

 たまたま歩いていた僕の元に、転落した少女が落下したのだ。幸い、二人とも命は取り留め、僕は比較的軽傷で済んだかに思われた。退院し登校したクラスでは僕の机に、身分証明の引き伸ばされた顔写真に、花やお供えなどで溢れたクラスメイトによる弔いの儀式が執り行われていた。 

 クラスの半数ほどがそれに参加し、ほとんどが目の前で強制的に拝む真似をし、首謀者である彼や、ふざけ半分で乗っかった連中はニヤニヤしながら目の前で、僕の成仏や死を大げさに悼んだ。中には、かつて亡くなった母の葬式で死を受け入れられず、取り乱した僕の様子を再現するものまで現れる始末だった。

 僕は病により最愛の母を亡くしている。葬式では悲しみのあまり、人目憚らず泣いた僕の姿を、クラスメイトで葬式に参列した彼らは格好のネタにしたのだ。
 心醜い嘲笑が入り混じる浅はかな『悪意あるパロディ』は、大切な理解者を失った喪失が癒えぬ僕に、強烈なショックを深く与えた。


 騒ぎを聞きつけた学校職員から問われた彼らは『軽いパロディ』と称し、悪ふざけを一緒に楽しんだ数名のクラスメイトは"歓迎のつもりだった"とシラを切った。そして面倒を避けたい他のクラスメイトたちは知らぬふりを決め込んだ。
 自らが先導して騒ぎを起こしておきながらクラス全体で注意を受けると、非は僕の方にあるとばかりに憤慨した。


「普通はさ『わざわざ有難うございます』じゃねえの?人の善意を卑屈に受け取りやがって、シャレもきかねえボッチがよ!」

 彼らは悪びれもせず、機嫌を損ねさせた罰かのように僕の存在をより粗末に扱い、周囲にも同じく倣うよう強要した。僕の存在はクラス全体への悪かのように。
 そして悪ふざけの成れの果ての机は、誰も片付けぬまま放置された。

 学校では徒党を組みたがる者が多く、あぶれた奴を冷ややかにあしらう傾向がある。校内では集団は人数が増すほど勢力を持ち、価値があるとされる価値観で人と群れないことは厄介者だとして嫌われがちになった。
 ただ群れをなす集団の実情は、殆どが不要な絡みを避けるために属し、たとえ加入しても結局、仲間内で"イジられる存在"は必ず発生し、末路はいつも集団から弾き出されていた。そして勢力が大きい集まりほど簡単には抜けれぬよう、排除する者を利用しながら秘密を共有させ、共犯意識を植え付け結束を維持していた。

 それらを傍目に見ていた僕は少しでも気楽さを求め、"学校へは勉学という目的"で通い、それ以外には何の意味を持たないようにした。以前から学校では空気のように透明な存在で、誰からも相手にされることすらなかったのだ。


 ある時には僕の机が、たくさんの匂いが混じり合うゴミを入れられ、ゴミ箱代わりとなり、ひどい悪臭を放っていた。そして"お前の机、臭えんだよ!皆に迷惑かけてんだから、少しは空気読めや"などと机ごと僕を教室から追い出す口実にし、授業を受けさせないよう妨害した。

 思い返すだけで気が遠くなりそうだから、他にもいろいろあったが割愛する。とにかくそのようにして彼らは、ほとんどを自らの手を一切汚さず断れぬ弱者に命じ、大体は高みの見物を決め込んだ。
 万が一、叱られるときは危害が及ばないように身代わりを立て、自分には非がないと正当性を主張する。挙句には影響力の強さを誇示する形で事実を都合よく折り曲げ、握り潰し、そして黙らせた。

 そうして自らの行為を肯定させ、堂々と公の場で僕を大っぴらに嘲り笑う彼らを、誰もが知りつつ、知らないふりをした。それは学校内外関係なく大人を含め、咎めるものも誰もいない。

 僕は意地になって、自らの目的の為に登校し続けていた。

 そんな彼らは周囲に誰もいない時だけ、"ひどい目に遭いたくなければ、仲間の女子に詫び、付き合ってもらえるよう土下座して懇願しろ"と言い放つのだ。思い通りにならなければ、あの女子は彼らに八つ当たるのだろうが僕には、あの女子にそこまでの価値があるとは到底思えない。

 もともとは塾で、仲間の一人である紅一点の女子から突然、馴れ馴れしく話しかけられたことがキッカケだ。初対面にも関わらず、その女子は僕に受け入れられることは当たり前かのように振る舞い、同時に目障りだと周囲の塾生たちを牽制する態度を取った。ろくに知らない相手からの行為に僕はひどく困惑し、仲間入りを勧めた彼らに一層落胆した。そして否応なく彼らとの行動を余儀なくされた。

 だが彼らが他校の女子生徒ひとりに暴力を振るう現場に遭遇し、いずれ訪れるであろう末路を恐ろしく感じた。そして呼びつけられた彼らに公衆の面前で、目撃した暴行現場の話をし、仲間の女子との交際や加入を断ったのだ。

 権力の傘の下で生きる気高い彼らには、下々の者である僕から拒絶されたことが許しがたいらしい。初めこそ仲間に入れと執拗に勧誘したが、僕が被害に遭った女子生徒を助け、彼らを断った日を境に学校でも塾でも一方的に敵視し始めたのである。

 僕が在籍する学校はエリートが集い、大袈裟に言えばクラスメイト全員がライバルのようなものだ。あらゆる知能のしのぎを削り合う校内において、大っぴらではなくとも競う相手が減れば歓迎される。他のクラスメイトが僕のことに無関心でいられるのは、そういった側面も含んでいるのだろう。そもそも勉強をするために学校へ通っているのに、学校や塾で一方的に身勝手なルールを押し付けられ振り回されるおかげで、その本来の目的は大いに阻害されていた。

 僕はいじめ被害にを受けるためではなく、勉強をするための学校へ通っているのだ。それが僕が塾や学校に通う本来の目的だ。

 正直、成績のレベルでは問題ではないが、彼らの退屈凌ぎでエリート競争から脱落させるようなところは多々、見受けられていた。街で権力を誇示する一族に属し、学校は学歴の箔付程度でしかない彼らには、学力での高次元の闘いなど必要としない気楽な学生生活だった。

 仮にクラスメイトの誰かが、彼らによる退屈凌ぎの軽はずみな度の越した弄りで、成績や、その後の人生にどれだけの支障が出ようが何もダメージもない。飽きたら別の誰かで退屈凌ぎをする彼らにとって、悪いことという意識すら無く、反省もしない。
 反省するとしても己の行いを振り返ることではなく、むしろバレずにもっと愉しめるかという点に尽きるだけだろう。

 だから彼らにとって、これは自身に危害が及ばない絶対的庇護下に置かれた、安全圏での一方的な戯れに過ぎなかった。彼らは常に狩る側になり、標的となる相手は常に獲物で"許される彼らの狩猟"なのだ。

 突然学校中から敵視され、無関係な者同士で強引に喧嘩させられたり、学校の外でも知らない大人から、いきなり罵倒されるなど不本意な目に遭う日が続いた。間接的に彼らと関わる側は、標的となる『生贄』が定まっている間だけは安全が保障されることを意味していた。我が身可愛さから学校の大人ですら平穏さを引き伸ばそうとし、その動きは彼らにとって好都合となった。

 獲物として標的にされた僕は結果として、学校でのエリート競争において彼らにより妨害され、脱落せざるを得なくなった。



 そういうストレスが日々積み重なった僕は突如、意識を失い倒れた。

 それからというもの、急に意識を失ってしまう症状が頻繁に起こるようになる。しかし彼らからは症状を"居眠りだ"と責め立て、保健室登校を『仮病で堂々とサボっている』とクラスの連中を扇動し、担任へ苦情を申し入れた。
 学校側も彼らの対応に苦慮し、これを機に僕には自宅学習へ切り替えることを提案した。内外の評判と、平穏な学校運営を重視した学校側による半ば強制的な物だった。こうして僕はリモートでの自宅学習に切り替わったが、事はそう簡単には終わらない。

 今度は家に何度もいたずら電話やゴミ、中傷めいたビラや石などが投げ込まれ壁や窓ガラスを壊されたり、家の壁にも『臨時ゴミ収集場』と書かれた文言が書かれ、家にはイタズラ目的の訪問や頼んでいない大量の注文などが相次ぐ。僕個人のスマホにも、すぐ切れる着信が相次いだり誹謗中傷の内容ばかり書かれたメッセージや、メールも殺到した。

 自宅に取り付けられた監視カメラには、変装した詰めの甘いクラスメイトたちが嫌がらせ行為を困惑した遠慮気味に行う姿が収められ、首謀者である彼らも見舞いと称して訪れては玄関先や外壁を偶然を装って故意に汚し、今度は僕ばかりでなく近所一帯にまでも迷惑をかけ始め、僕を追い詰めていた。

 そんなことが続いたある日、目覚めると僕は病室にいた。

 自宅で昏睡していたところを発見され、入院措置が取られていたのだ。発見したのは激務で滅多に家に戻らない父親で、収容先も自身が経営する病院だった。更にこの出来ごとにより近況が詳らかになり、とうとう大人が介入する事態となった。現在、僕は病院で療養する毎日を送り、学校は夏季の長期休暇に入った。

 それから彼らやクラスメイトとは誰一人、顔を合わせていない。そして嫌がらせ行為は止んだかに思えたが、首謀者の彼が雇ったらしい弁護士を名乗る男が病室を訪れた。ご丁寧にも僕の悪評を周囲に触れ回る騒ぎを撒き散らしに。


 確かに僕は学校で心を許す友達はいない。しかし嫌がらせの当事者であるクラスメイトの彼も、学校や塾で人気者じゃなかった。いい格好をしようとすればするほど、薄っぺらい人間性が際立ち、金メッキが剥がれ恥をかいていたのは一度や二度ではない。それに彼らは、僕にしたようなことを数多くの人間に行ってきたことも一因と言える。

 人気者にならないのは、結局人気になるようなことをしていないだけの話だ。良く思われたいなら四六時中、全方位の人間にすればいい。だが人気を望む彼の行いは真逆で、その矛盾に本人は自覚すらしていないのだ。

 あの女子も癇癪持ちの幼児のようで、自分が望むことを叶えられることが当然という価値観の持ち主だ。他の仲間もそれぞれ似通った価値観で行動しており、全員が権力者一族に属しているせいか揃いも揃って傲慢で、どこでも我が物顔で振る舞った。

 いじめを知った以上、僕にも加担させ、共犯に仕立て上げて責任を押し付けるのも、断っていずれ標的にされるのも分かっていた。当初、彼らは"これでお前も正式に仲間だ"と口先だけで勝手に決めつけた。だが彼らにとっては友人ではなく、配下に置く手下や従者でしかない。それに誰と仲間になるかは僕の自由だ、等しく物事を見ない彼らには理解できないだろうが。

 ただ、彼らの仕打ちにより精神的に不調に陥っていることを、僕自身が一番認めたくなかったし、周囲にそう思われることも癪だったところはある。

 もちろん変調著しい体調の原因について詳しいことは、まだはっきりしていない。ただ変調をきたした一因には違いなく今なら、あんな我慢などしなければ良かったと分かる。僕は彼らに負けたくないという意地で教室に居座り、じっと耐え偲んだ。潜在的に抱えていたストレスに更なる負担を重ね、いつしか許容量を超えてしまっても。


 そして僕の中で、ずっと堪えていたものが決壊したのだ。僕自身を守るために。




 自分の体調を制御できないと自覚したのは、事件の現場検証などを終えた落下地点を訪ねた時だ。学校の後の塾帰りに商業ビルの書店に行くのは、僕のルーティーンの一つだった。著しく変動する体調で保健室登校から、早退する日数が増えていたころだ。
 僕は何気なくあの場所を訪れ、ふと落下する少女とぶつかった地点に佇んだ。

 次の瞬間、視界が歪んで、突然あの時と同じ衝撃を体感した。そのあとは何も覚えていない。気づいた時には、病院に収容されていた。あの場所で気を失い、倒れた僕は二日ほど眠ったままだったらしい。

 この日を境に、不意に意識を失い倒れる症状は頻繁に繰り返され、生活に支障をきたし始めた。意地になって教室に居座ることを辞め、保健室登校でどうにか凌いだが、環境は変化せず、強い学校側の要請もあり自宅学習へと追いやられた。

 僕の家族は父しかおらず、医師であり病院の経営者でもある父は、勤務後は自身の研究に勤しんでいることもあり、滅多に家に帰ってくることはない。亡き母の病の完治療法に没頭する父が急用で一度帰宅した際、息子の発見を機に現状を知った。僕ら親子は母の死後、全く会話を交わさないことが普通になっていたのだ。

「気丈さを過信して堪え過ぎた、お父さんはそう仰っておられたよ。今はとにかく、心を休めなさいと」

 今でも担当医を通し、父とは直接、顔を合わせていない。父の声や顔すら薄ぼんやりとして思い出せないほどだ。亡くなった母のことは今でも鮮明に思い出せるのに。

 その僕を担当するのはメンタルケアの専門医で、治療方針は全て委ねられている。印象に残りにくい空気のような存在の担当医は、予期せぬ訪問者について刺激を与えぬよう言葉を選び、もう目の前に現れることはないから何も心配いらないと、騒動の収束を強調した。

 更に安全と念のため、僕は地下の検査病棟でしばらく過ごすことになると言われた。一般病棟の個室は検査後の休憩を兼ねていたが、どうやら今回の判断は例の侵入騒ぎが引き金になっているらしく、院内でのほとぼりが覚めるまで一般病棟を回避したい狙いがあるようだ。

 これは騒ぎで僕が侵入者である例の男を撃退したキッカケである、病室での無許可の動画撮影を懸念した声があることも一因となったらしい。僕は患者であると同時に院長の息子でもあり、その人間が密かに病室内を録画していたことが、働くスタッフにとっての過度な監視ではないかと、反感を買ってしまったようだ。

 担当医は対話によるセラピーを勧めたが、僕は別のリクエストをした。

「転落した女子生徒も収容されてますよね、彼女に会うことはできませんか?」

 その僕の提案に担当医は、彼女の家族や主治医である父の許可がいることや、僕と彼女に関わる事柄の他にもある難易さを説いた。

「彼女は昏睡状態だから話せる段階じゃ無い。それにご家族が関係者以外の入室に過敏になっているんだ」

「なぜです?」

「君に起きたことよりも前に、似たようなことがあったんだ。それに先程、一定期間の訪問での面会禁止が決定した。どちらにしろ当分は無理だ」

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