記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

原作付きアニメに思いを馳せるなど

1シーズンで複数のアニメを平行して見るのは随分と久しぶりな気がする。"豊作"・"不作"という表現は改めて声に出して言うとしっくり来ないが、少なくともかつての私であれば"豊作"と呼んだだろう。

以下、だいたい4話まで放送された時点での与太感想(アクナイは1話まで)

ぼっち・ざ・ろっく

今のところ最も楽しんで見ている。Cloverworksの評判を聞きつけて『明日ちゃんのセーラー服』および『着せ替え人形は恋をする』を掻い摘んで見ていたので、作画の安定感は期待通りといったところ。予想以上だったのは、映像自体の良さ。コンテやレイアウト、色彩を含んだ全てが良い。1話の時点で言えば魚眼レンズのくだりが目立っていたが、そういった要所のシーンに留まらず、終始パリッとした画面が続く。原作(※1巻と少しが既読)のギャグに徹しているだけの箇所も、画風の引き出しが多くて全く飽きさせない。

きららアニメ全般の傾向として、構成を練り直したり、演出を盛ったりと、原作をエンハンスする余地が広いので、スタッフの地力が出やすいジャンルではないかと想像する。そう考えると、このアニメは本当に恵まれていると思う。作画の良さのワンウェポンでは決してなく、ナラティブ構成も堅実だし、往年のシャフトを想起させる遊び心や自由がある。音楽も良質ではなかろうか。少なくとも私はかなり好きだ。

このアニメを現時点でここまで高く評価しているのは、きららアニメという"型"が自分の中に根付いているからこそだ、と思いもする。幹がどこにあるのかが分かるからこそ、差異が際立ち、美点を見出しやすい。定番の『ごちうさ』『きんモザ』は個人的には今一つなのだが、『けいおん』『ひだまりスケッチ』『ゆゆ式』『あんハピ』などは、それぞれに別個の良さを見出していたと記憶している。令和の時代ともなると、類型化したパーソナリティの女性キャラに思うところも無いではないのだが、そうは言っても、通底する懐かしさ・心地よさはある。

そして単純に、絵的な印象や音楽の傾向が刺される程に好みであるという側面もあった。動きを意識した簡素なキャラデザやビビッドな配色で思い出すのは、『ゆゆ式』『フリップフラッパーズ』だ。両者とも、私が今までに見たアニメの中で(絵以外の評価も込みで)上位一桁に食い込むくらい印象的な作品だ。
音楽について言えば、かつてHTTやガルデモをヘビーローテーションしていた時期があったので、馴染み深いどころの騒ぎではない。(かつてと現在の間にバンドリを挙げるべきかもしれないが、あれはキャラクターの漂白が楽曲の歌詞にまで及んでいて、ロックとしての物足りなさが常にあったように思う。)近年になってドリームポップ/シューゲイザーに傾倒したのも、元を辿れば言えばアニメ趣味が原因だった。今更と思われようと、AB!放送後しばらく求めていた”ガルデモに通じるガールズバンド”を提示されて感慨を覚えずにはいられないのだ。

チェンソーマン

原作1部を読了済み。漫画としての良さは分かる部分もあるし分からない部分もある。少なくとも、読んでいるだけで映像として立ち上がってくる時点でネームは良質なのだろう。

映像面ではかなり原作に寄り添った印象だが、それが効果的に処理されている場所もあれば、既存のコマへの拘泥を感じる部分もある。巷で色々と言われている1話よりは、3話の方が引っ掛かる箇所が多かった。実写的なアプローチを取るなら、原作の小道具・背景はある程度手放して(取捨選択して)良いのでは思うのだが、それは漫画へのリスペクトが足りないと見做されるのだろうか。

映像としては色々と言いたくなってしまうが、少なくともシリーズ構成は良い感触だ。様々な制約がありながら細かい部分への配慮が感じられる。
そしてOPは文句なしのセンスだ。映像的快楽とカルチャーレファレンスの同居が作品に似つかわしい。EDは贅沢というより勿体ない印象がある、しかし企画ありきなので敢えて苦言を呈することもないか。

演出面の企図について、もう少し様子を見て楽しみ方を掴めたら良いなと思う。あるいは、原作に触れている時点で純朴に楽しむことは不可能であると認めて、もう少し力を抜いてみても良いかもしれない。

水星の魔女

濃い味付けの学園ラブコメ、として見ている。ガンダムとしての評価は、初代の序盤と『閃光のハサウェイ』を齧った程度なので、口を噤むべきだろう。

1話の時点では人物の構図がウテナらしいと評されて話題になったが、幾原的な難解さ(意味深さ)は今のところ感じられない。原始的なHL(/GL)ラブコメとして、言ってしまえばかなり俗な楽しみ方をしている。一方で、ガンダムを用いた決闘や、宇宙世紀の政治的駆け引きは良いアクセントとして機能していて、ラブコメ視聴者目線ではかなり贅沢な作りでもある。

世界観について情報が足りていない印象なので、そこを真面目に考察しつつ見ようとは思えない。後ほど、背景設定も包括した論評が出そろったら、そういう見方をするのも良さそうだと考えている。こればかりは、既存のファンダムの中にいる人間の方が見通しが良いのではと。

アークナイツ 黎明前奏

チェンソーマンと同様に、原作をプレイしているが故に思うところがある。上述の漫画と違って"思うところ"が多岐に亘るのは、ソシャゲ(という概念的総体)を憎みながらも、このゲームはリリース初期から熱心にプレイしているからだ。

メインシナリオの映像化としては良い。スタッフに恵まれていると言って良いくらいの、十分なクオリティだったと思う。
シナリオの展開を基本的になぞりつつ、適宜改変を加えているが、改変の意図が明確で、原作のテキストよりも効果的になっていることが分かる。作画としては流石に京アニetcに及ばないものの、演出は機能している。宣伝でも言及しているだけあって、音響には拘りが感じられる。

「ああ、良い映像化だった」と結論づけても良いのだが、それは原作のプレイヤーであるが故の感想では、と考えずにはいられない。単発のアニメとして見た時の不満点はあって、その不満点はいずれも、ソシャゲ原作である時点で避けがたい要素ばかりだ。

主人公が帯びる、プレイヤーの分身としての性質。彼/彼女は主要キャラクターに対して支配的な立場にある。ゲームにおいてならまだ、この関係性は所与のものとして受け入れやすいが、映像ではそのハードルは高い。1話の時点ではその問題を迂回できているが、この厄介さは常に付きまとう。常に付きまとうという予想が、原作プレイヤーの目線では成立してしまう。
今回のアニメ化範囲から外れるので具体例としては微妙だが、6章の最終戦。MVの描写はあくまでMV内でのみ通用するものとしつつ、この部分を説得力のある映像に昇華する方法に、素人考えでは思い至れない。

キャラデザが散らかっているという問題。キャラクターデザインを外注するタイプの開発には大概当てはまり、アークナイツも例外ではない。デザインには様々な類型や差異を与えることができるものだが、これを多方面に外注してしまっているが為に、一貫した論理が皆無に等しい。アークナイツで言えば、陣営や種族が服装や身体的特徴に対応していないという既知の問題がある。単純に美的感覚の話として、装飾過多な人物が並ぶのが見苦しいのもある。

多方面に開放的なストーリー。言い換えれば、伏線の過剰なばらまき、完結の放棄。アークナイツのストーリーは全般として伏線を一つ回収する毎に新たに四つ増やす調子で、アニメという(リソースの関係で実質的に)有限な媒体に落とし込むのには全く向いていない。シリーズ構成の手腕によって軽減できる要素かもしれないが、それにも限度がある。

アダプテーションの観点から見て、アークナイツは典型的なソシャゲだ。少なくとも現段階では、それに付随する諸問題を打破する気配は見出せない。とても忠実かつ誠実な映像化であると感じられるが故に、限界がちらついてしまう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?