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道兼は嫌われていたのか

藤原道兼の縁組みもあり、藤原道信はいとこの藤原遠量の娘の聟になりました。 今回は、その仲人道兼についてです。

道兼、道信の友人でもある、藤原公任の縁組みもお世話しているのです。

なんでしょうね。栄花物語で知って、このむずむずとした感じ。

道信集を読んでいると、道信はよく道兼のところにいます。

そして、道兼の家司であったであろう藤原相如が出雲国司になった時に餞の歌を詠んでいます。

しかし、道信の歌集に道隆や道長はほとんど出てきません。

道信は年末こんな歌を詠んでいます。

あはた殿に、十二月つごもりがたにまゐりたるに、かはらけとりて
はるたたば花さくやまにとおからぬきみがやどにをまづはきてみん

春になったなら、花咲く山に遠くないあなたの宿にまずは来てみましょう。きっと他のお屋敷に先駆けて、花が咲いて華やかなことでしょうね。
だって、あなた様は栄華に近いところにいらっしゃるのですから。

人相が悪くて影が薄い三男?

藤原兼家の三男藤原道兼は、道隆が亡くなったあと、関白の座を継ぎました。

道隆が息子の伊周を後継者にしようとの画策があったのですが、一条天皇やその母詮子はよしとしませんでした。

しかし、彼は病を患っており、朗報を聞いて数日で亡くなってしまいます。「七日関白」と後世に呼ばれる所以です。

長男道隆は定子を一条天皇の后にし、『枕草子』に描かれたような華やかな宮廷生活が繰り広げられ、また、弟道長が左大臣になり、道隆に続いて、娘たちを天皇の后にし、栄華を極めたことをあげると、道兼は政治家としてどうだったのか、イマイチ・・・。

さらに、栄花物語に描かれた道兼は、顔色が悪くて、毛深く、醜い。性格は悪いし、兄に口答えするとあり、好感の持ちようがなく・・・。


有名な話と言えば、花山天皇を騙して、出家させてしまったこと。

いくら父兼家が首謀者だったとしても、やはり、帝を騙すのはどうなのでしょう。


でも、待って下さい。

兼家の子で、突出して、残念な感じへの違和感。



『大鏡』を読んでみましょう。関白になったお祝いに藤原実資が道兼のもとに訪れる場面があります。

実資は、道兼の体調がひどく悪いので

いかでかは、御色も違ひて、きららかにおはする人とも覚えず

(どうしたことでしょう。お顔の色もいつもと違って、輝いていらっしゃった人とも見えず・・・)


…と。

のちに賢右府と呼ばれる藤原実資の感想です。好感をもたない人にこのような感想は抱くでしょうか。


道隆か、道兼か

また、兼家が、自身の跡継ぎにふさわしいのは道隆か、道兼かと、相談する話が『古事談』にあります。

当時はまさか、兄二人が相次いで亡くなり、四男の道長が左大臣になる将来など、かなりの予想外であったようです。

(次男の道綱は妾腹なので、ここでは外しています)

関白はどちらがふさわしいか。

平惟仲と多米国平は、長幼を重んじ、道隆に譲るべきと。

ところが、藤原有国(当時は在国)は、花山天皇をすかしおろした功を以て、道兼の方に譲るべきと。

有国は道兼に近しかったようです。

道隆は度々、有国の道兼を立てる態度が気にいらず、惟仲を厚遇し、有国とその息子の官職を剥奪してしまったのだそうです。

道兼はきっとおもしろくなかったでしょうね。


道兼の家人であった藤原相如(すけゆき)も道兼を慕う人で有名です。彼の為人にかなり惚れ込んでいて、自宅を療養のために提供したり、臨終の道兼に尽くし、さらに、道兼の後を追うように亡くなってしまいました。


道兼は「粟田殿」とも呼ばれます。白河に「粟田殿」と呼ばれる、豪華な別邸を造り、調度品や絵物語を集め、文化人や公達を集めて、歌会や宴を開いていたようなのです。

このことは藤原実資の日記にも描かれています。

また、藤原公任や藤原実方など、名の知れた歌人たちも歌を詠んでいます。

公任集より一首

粟田に人々おはして思ふ心をよむに
うき世をば峰の霞や隔つらん猶山里は住よかりける

粟田に人々が集まって思う心を歌に詠むに

うき世を峰の霞が隔てているのだろうか。やはり山里は住み心地がよい。(この粟田殿はすばらしい。)


冒頭に書きましたが、『栄花物語』によると、道兼は藤原公任の縁組みを世話をしています。

公任の妻になる昭平親王の娘は、藤原道兼が世話をしていました。

昭平親王の妻は、道兼とその妻のいとこで、女同士仲がよかったので、美しいと評判の娘を引き取ったようです。

このあたりは道信の妻と由来が似てますね。


道兼は娘を入内させること叶わず、数え35歳でなくなりました。

もし、道兼が長生きしていたら歴史は変わっていたかもと、私は考えずにはいられないのです。

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《参考》

CiNii 論文 -  藤原道兼とその周辺--『拾遺和歌集』前夜における歌人の動静をめぐって


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