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藤原実方にハマる

きっかけ


「はじめまして」でも書きましたが、私は趣味で漫画を描いています。
平安時代ものを描くことになり、久しぶりに平安時代の資料集めを始めました。
小倉百人一首をちゃんと読みました。なるほど、背景を知ると、なかなか和歌というものは深いなと思いました。
そして、古典もあれこれ読んでみました。

小説ですが、田辺聖子先生の『むかし・あけぼの』という清少納言を語りにした小説はとてもおもしろくて、定子との関係は素晴らしくて、世界は悲しさを抱えつつも美しくて。

高校時代、全く興味が持てなかった『枕草子』も読んでしまいました。

さて、詳しい方なら、きっと思われていると思いますが、『百人一首』にも『枕草子』にも、藤原の実方は登場します。

しかし、私の中ではまだ、「かっこよくて歌がうまい。生まれはいいのに、陸奥の国司になって残念な最期を遂げた人」という、脇役的存在でしかなかったのでした。


寛和の変が気になる

少しずつ、趣味の漫画のための資料から、平安時代への興味が広がっていきました。

中でも、「寛和の変」と呼ばれる政変が、とても気になったのです。

花山天皇は寛和二年六月、藤原道兼のそそのかしにのって、天皇在位中でありながら、出家してしまいました。最愛の女御忯子を弔うためです。
この悲劇の貴人花山天皇、この出家後でも、色に溺れて、暴力沙汰や奇行を繰り広げ、枚挙に暇がないほど、何かと問題を起こす方でありました。
しかし、一方で、和歌や絵画、造園など、芸術の才があり、また、天皇在位中は、後ろ盾が弱いことを逆に利用し、政治改革を行おうとしていたと。

花山天皇とは何者だったのでしょう。


曽丹集を読むはずが


さて、この花山天皇の時代、小倉百人一首にも歌が採られている曽丹こと、曾禰好忠という歌人がいました。彼は


日くるれば下ばこぐらき木のもとにものおそろしき夏の夕ぐれ

という歌を読んでいます。
雅さもなく、薄気味悪いおそろしさが伝わってくる、この特殊さが気になりました。
それで、図書館で歌集を読んでみたいと思い、「曽丹集」を探しました。
でも、どうやって探せばいいのかわからない。

ふと、『平安私家集』というタイトルの本に目が行きました。
そして、パラパラとめくると『実方集』がありました。
そう言えば、藤原実方っていたなあ。

『百人一首』、『枕草子』、『古事談』・・・


私はなんとなく、目を通してみました。

今までの話は、全て、実方にハマる布石だったのです。


実方集にハマる

それまで、和歌集なんて読んだことはありませんでした。

藤原実方は、二十人ほどの女性と関係があったとも言われています。

さぞや、熱い恋歌のやりとりが多いのだろうと思ってました。

しかし、恋歌も多いのですが、幼い頃に父を亡くし、養子となった叔父藤原済時の小一条邸のこと、宮中のこと、陸奥国司時代のこと、友人達との交流。読んでいくうちに、実方という人の生き方が見えてきて、どんどん好奇心がくすぐられてきました。

友人と宇治で泊まった時に、「川の音がうるさくて、早く目が覚めた」と歌を詠めば、「それじゃ橋姫(宇治川の女神)は眠れねえな。」と返されたり、「宿直の時、そっちに衣を忘れたんだけど、言わなきゃ返さないつもりかよ(笑)」とわざわざ仲間に一首送ったり。

先に挙げた花山天皇や、その先代円融天皇との歌遊び、藤原道信や藤原公任などの男友達との交遊のことなどが、和歌とともにまとめられています。

花山天皇については、『古事談』や『大鏡』などに奇行がたくさん残っていますが、『実方集』においては情趣をくみ取れる風流人であり、悲劇の人であり、大事な主であるのです。(少し特異な匂いはします。)

もちろん、女性とのやり取りも豊富で、情熱あふれる素敵な和歌がたくさんです。宮中の女房に扇とられて、茶化されたり、清少納言が宮中にいると聞いて、会いに行ったり。

小一条殿に使える女房の宮の内侍が男に髪を切られたと聞きけば、

よそにかく消えみ消えずみ淡雪の布留の社の神をしぞ思う

と歌を贈り。

このようにやさしさを見せられたら、モテるだろうなと思います。


そんな都の華やかさのあとに待っているのは、陸奥守就任でした。

説話では、藤原行成と何かがあり、冠をはたき落としたところを一条天皇に見られ、その愚かさを戒めるため、左遷され、東北で亡くなったことになっています。

けれども、当時の陸奥は大国で、北方の高価な産物や金が採れ、日本の財政や交易を支える、重要な地域でした。

そのようなところを左遷されるような男に任せるでしょうか。


前置きが長くなりました。

では、ここから、私の好きな平安中期の人々について、書いていこうと思います。

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