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Youtubeで本の要約動画を観ることは「もったいない」のだろうか?

その時2人の女性が「もったいなーい」と声をハモらせた。 


私にとっては結構印象的な出来事で、そのときから自分なりに、読書のあり方について考えを巡らせていたので、整理するためにもnoteに書いてみようと思う。


何があったかはツイートにも書いたので転載する↓

Youtubeで本の要約動画を観てるって話した人に対して、たくさん読書してる人たちが口を揃えて「もったいない〜!」って言ったの、なかなかに印象的だったな。もったいない理由は、「他の人の視点が入ってしまうから」とのこと。たしかに要約という作業を通して要約者の主観が入り込んでしまう。・・・
私のツイート

私はこの出来事があってから「必ず自分で本を読むべきか、Youtubeも活用するべきか」というプチ論争が、ふとした時間に頭の中で起こる。

要約は著者の主張に純粋に触れられなくなる


読書家の方々は、「もったいない」という言葉に続けてこう言っていた。

「要約だと他の人の視点が入り込むから、自分で本を読まないともったいない」

今まで私はあまりそういうことを気にしていなかったが、言われてみて「たしかにそうだな〜!」とハッとした。

要約というのは、本を読んでインプットしたものをアウトプットし直すことだと思う。

この、インプットとアウトプットの過程を通して、知識、ことばは生成し直される。そこに良い意味でも悪い意味でも要約者の色が出る。

この色は、個性であり、価値観であり、主観であると思う。

おんなじ本を読んで、おんなじ要約をする人たちは絶対にいない。というか、できない。

当たり前のことを言うようだが、本の要約動画(はたまた記事やSNS投稿)は、一次情報ではなく二次情報である。本が二次情報だった場合は、三次情報にもなりうるのではないか。

そういう意味で、「せっかく一次情報に触れられるチャンスがあるのに、二次情報しか触れないなんて、もったいない」というふうにも解釈できると思った。

たしかにそれはごもっともである。
本が存在していて、読もうと思えば読めるのに読まないのはとてももったいないことである。

でも、私はYoutubeを観る気持ちも、とても、よくわかる。。。

効率よく宝探しをしたいときはYoutube

効率的に知識やテクニック、今自分が向き合っている課題のヒントを得たいときには、Youtubeの要約動画を観るのは良い選択なのではないかと私は思う。

本を読む時間、手に入れる時間さえあまりにも惜しくて、今すぐ知識をインプットしたい、、、何かヒントをくれ、、、
そんな瞬間が、きっと多忙なビジネスマンには一度や二度あるだろう。

そんな時、「そういえば、あの本に書いてることは使えるって誰かがおすすめしていたな、、」と思い出し、その本の要約動画をチェック。重要なポイントを聴いて、早速仕事で実践してみる!そんなふうに要約動画を活用できたら、結構良いんじゃないだろうか。(私はやったことがないけど汗)

そういうふうに考えると、私はYoutubeの要約動画を観る人に「もったいなーい」と叫ぶことはできない。Youtubeをよく観る人だって、心の中で「本を読む時間がもったいなーい」と叫んでるかもしれない。そんなこと言ったら、読書家の人に「時間は自分で作るものだ」「本を読まないから時間がないんだ」と反論される気がするが。

それに、要約動画を観た後で、その知識をもっと詳しく手に入れたいと思ってから本を手に取って読書する、というやり方も大いにありだと思う。し、実際にやってる人も多そうな気がする。要約動画を観たら興味が強まったり、ね。

一次情報より先に二次情報に触れた事実は消せない

でもここで、一つ気をつけなければいけないことがある。

要約動画という他人の主観が入ったものをインプットした人は、その後に純粋な著者の主張、つまり一次情報に触れるとき、記憶喪失にでもならない限り良い意味で前提知識、悪い意味でバイアスを持った状態になってしまっている。

主観をできるだけ取り除いた要約動画ならそこまで影響はないかもしれない。でもやっぱり、要約は「ここが重要」というのをまとめていて、どこが重要なのかは人によって少しずつ変わってくるような気もする。

初めましてでその本を読むのと、一度要約されたものをインプットした後に本を読むのとでは、同じ本の読み方はきっとできないような気がする。

だから、「初めまして」を大事にしたいときは、先に要約されたものに触れない方が安全なのではないかと思う。

Youtubeを観るにしても、あとから、本の内容を復習したり思い出したりするときに、Youtubeを観るという逆の順番の方がよいかもしれない。

そんなの関係ねえって人は、先に要約動画でポイントを押さえちゃうのもありなんだろうとも思っている。

本の種類によって使い分ければいいんだと思う

ここまで読んでくれた方はお分かりだと思うが、私は本を読むのも要約動画を観るのもどっちもありだと思っている。
この論争は、どっちが正義でどっちが悪なんて決められない。どっちも良いし、どっちもなんらかのデメリットがあるんだと思う。

そこでふと、本の種類によっても相性があるんじゃないかと思った。

要約動画は便利だが、適さない本もあると思う。
著者の主観や価値観、経験などが色濃く反映されてる本、ストーリーで訴えかけてくる本、文脈がめちゃくちゃ鍵となる本、そういうのは、要約という行為をしたら、何か大事なものがすっぽり抜けてしまう気がする。

小説、エッセイ、経験談系、意見を物申してる系(言い方、、汗)、、
そういうのは、要約しちゃうのも、要約されたものを読むのも、もったいないと思ってしまう。(そもそも小説の要約動画が存在することに私は驚いてしまった)

逆に、情報がめちゃくちゃ整理されてて、その本自体がすでに要約されてるようなもの(丸々のコツ100選とか)、すぐに使えるテクニック系とか、客観的データに基づかれた情報がたくさん載ってる本とか。そういうのは、要約者の主観があまり入りにくい気がする。

私が好きな脳外科医の樺沢紫苑さんの本とかは、要約動画からも学びやすいと思う。
理系の根拠に基づいている話ばかりなので、要約するときに感情や思想などの個人的主観が入りにくいような気がする。だってすでに脳科学が根拠づけちゃってるんだもん。


自己啓発本が微妙なところである。
これをやれっていう大事なポイント、アクションプランになりうるものは要約動画で十分知れてしまう。「はいはい、これが大事なのね。これをやればいいのね。」と。

だが実際行動に移す確率は低くなると思う。自己啓発本はその人が行動したくなるように、いろんな言葉、ストーリー、経験、事例を伝えるなどあの手この手で行動を促してくる。それを読むことが動機づけにつながってくるように思う。

ただ、要約動画で、「これが大事!」と主張されても、簡潔に説明されたらその重要性への理解度も深くならない。わかった気になって、行動に落とし込むまでに至らなかったりする。

図解はもってのほかである。「夢をかなえるゾウ」で書かれている大事な習慣を図解にした画像をTwitterで見たことがあるが、そこに「募金をしよう」と書かれていても募金する人は何人いるのだろうか?(私は図解を見ても行動しなかったが、本を読んでやっと行動できた人である)
図解を否定したいわけではなくて、復習とかにはとても便利なツールだと思っているけどね。

結局、目的次第。それに尽きる。

本の種類によって使い分けるのが良いのではないかという話をしたが、結局、最終的には、目的によるんだと思う。

著者の生の声に触れることに価値を感じるのか、超短時間で少しでも使える知識を探したいのか、前読んだ本の内容を復習したいのか、本を読むのが苦手すぎるけど本の内容を知りたいのか、、、

「もったいない」って、その人が何に価値を感じるか、価値観に大きく左右される。それは本だけじゃなくて、お金や時間の使い方も同じである。

だから、これはもったいないです、と全人類共通で言えるのはエネルギーと資源の話だけではないだろうか。

時間とお金、人生の使い方は、他人にもったいないかどうか決められるもんじゃない。もったいないかは、自分が決めればいい。


最後に、自分がもったいないと思っていないことを「もったいない」と言われた時。
一瞬、「ゔっ」って思うかもしれないし、いい気分はしないかもしれない。

ただ、そこに「自分の知らない価値観」が隠れているかもしれないとも思う。

もったいないと主張する人だけが知っている価値がある。それにまだ自分が気づいていないだけかもしれない。

それを知れたら、自分の価値観は一気に広がる気がする。

本嫌いな人が本の魅力に気づいた時、要約動画反対派の人が動画のメリットに気づいた時。そこに新たな選択肢が待っているような感覚がある。

このnoteを書きながら、自分でもなんだか「もったいない」という言葉が深くて魅力的なものに感じてきてしまった。

「もったいない」
その言葉に隠された何かを知ろうとする時、何かが開けるような気がする。

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