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昔の自分を見ているようだったお見合い

 2回目の対面のお見合いでした。感想としては、疲れた。

 1回目が楽しかったから油断してましたね。教訓としては、「必ず1時間で切り上げる」ということですね。「長いな?」とは思ってたけど、言い出せなくて2時間経ってしまった。さりげなく時計を見る技を練習します。


 さて、タイトルにある「昔の自分を見ているようだった」というのは……あの……「自分にしか興味ない感が滲み出ている」という点です……。

 自分の話をしたあとに「○○さんはどうですか?」と聞き返さないとか、私のプロフィールについて質問しないとか。(私が話すと「それプロフィールに書いてましたね」とは言ってた。見てはいるらしい。)
「結婚したらどこに住みたいですか?」とか、誰にでも聞ける質問が多い印象だったな。「私に興味ないやん」と思って、序盤から気持ちが萎えてしまった。(もちろん、表に出さないように頑張った。)

 私の話も聞いてはくれるんだけど、深堀りしてくれない。私が一息ついた時点で会話の主導権を明け渡したと認識するらしくて、話者交代。なんか1個くらい聞いてくれても良くない?という気持ちになった。

 あとは、笑い方や言葉のちょっとした使い方に、絶妙に「見下し感」が出てた。これも昔の私と同じ。笑

「○○に行ってきたんですよ」「○○って初めて聞きました」「それを言う人を初めて見ました(笑)」
 いや、無知を指摘して終わり?「無知は罪」界隈の人?(そんな界隈はない)

 私だったらその場所について説明するし、必要ならググって写真も見せるけどね、って思っちゃった。

「知らない」という状態は、人生でたまたまその道を通ってないというだけ。たとえそれが「一般教養レベル」の知識だとしても、教養がない人を切り捨てるために教養を用いるのは品がないと思う。教養の持つ本来の目的からも外れていると思うし。
 
 ヴィクトリア女王は、マナーを知らずフィンガーボウルの水を飲んでしまった人に恥をかかせないように、自らもフィンガーボウルの水を飲んだ。ここでヴィクトリア女王が「知らないんだ(笑)」って言ったら終わりでしょうよ。

 とはいえ、今は「教養がないと見下されて社会から振り落とされるよ」みたいな意見もちょくちょく見るから、そういう認識の人がいるのも想像はできる。

 私も昔は心の中で人を見下してたし、それを上手く隠せてなかったから、お見合い相手を見ながら「こんな感じだったんだろうな」って時を超えて理解しましたね。

 帰り際に「LINE交換しましょう」と言われてびっくりしちゃった。LINE聞く程度には私に興味あったのかよ。

 どうせ断るのに連絡先が手元にあるの気まずい。LINEの交換は断らないと駄目ですね。勉強になりました。

 


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