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An Ilish Melody “Londonderry Air”の、おはなし

ばかがクラシック音楽の話をします。
イギリスの曲の話をします。
フランク・ブリッジの「An Ilish Melody “Londonderry Air”」の話です。

弦楽四重奏、1908年に作られた曲で、
多分当時のサブカルって感じのやつです。
ごめん嘘かも、わからん。

習い事の発表会でやった曲なのですが、
こう、今になって、キています、ブームが。
本番のひりついた寒々とした空気感を味わって、
今更めっちゃ聞いてます。ずーっと聞いてます。


フランク・ブリッジという、こいつがどうやら
曲者らしくて、いや曲者じゃなかったらこんな曲
書かないだろうけど、すっかり好きになっちゃった。
Spotifyでびっくりするほど聞いてます。あーあ。

優雅でオシャレで聞く人がほころんでしまうような、
そんなんが流行ってた時期にこれだもん。
くせてる以外なんでもねえよ...


こっからは聞きながら書くね。

まず、「ジャジャン!ジャジャン!ジャジャンッ!」
ようわからんけど、すんごい強烈鮮烈にスタート。
雲行きの怪しさは調号とか和音くらいで、
ちょっと複雑だけど、どんなん始まるんかな〜って。
ウッキウキで聞き始めると.......

あっさり出オチ。面白すぎて笑っちゃっった。
出オチも出オチすぎるやろ。
急に深くに潜っていくような音が怪しく響いて、
あのメロディを彷彿とギリさせないような
おヴァイオリンのくるっとしたメロディに
纏わりつくようなヴィオラの鳴き声...
あまりにも不審者すぎる。急にどうした?てなるし、

一旦完結するも、その後のチェロのピッチカートが
もう洞窟の水滴とかにしか聞こえない...
怪しすぎてしんどい。
全体的に半音階でみゅるりと不安を掻き立てられ、
チェロのリズムで音が少しづつ明るく、
行き先が見えてきたところで母性和音.....

ここから、皆さん大好き、嘘です、
ヴィオラがずっとカッコイイゾーンです。
水の流れみたいにこくこくと音の動向を
一緒に眺めながら体が引っ張られて、
自然に美しい方向へ迎えている...気がする。
このあとにヴァイオリンも同じメロディを
弾いてくんだけど、どんどん空気が軽くなって
風なんかも吹いちゃったり、
変化で過ごす爽やかな夕暮れみたいに〜
そんで強めの3連符の押収でバチ盛り上がるの!

この三連符(1番音がでかいとこ)、かっこいいよね
それまでの水みたいなメロディはほぼ、
音階が上に向かっていってたから、
天に近づくような、浮ついてたけどね、
バチクソ盛り上がりゾーンでは、どんどん音階が
下がってくんです...駆け下りてるんです......
俗世に戻ってきて、足を踏み鳴らすような、
一気に世界感が変わって〜って

またパーチで交換しながら音階を駆け巡り、
最高音でジャーンジャンッって切りつけるように
世界観を分割したら、

すぐおおらかなチェロのメロディが始まるよ〜
ほんと広く力強い大地を繊細に歌い上げる
激ムズチェロソリらしいです、先輩頑張ってた。
寛大な転調で開け方がすんごい好き。

そっからヴァイオリンとかでいじってって、
最終的にまたヴィオラにいいとこを取られます。
抜き取ったメロディをどんどんオクターブ下げてって
テンションをどんどん落ち着かせてくんです。
遠くなる夕日、景色、声とか、意識がどんどん
遠ざかってく、朦朧としたあたりで!


謎空白ピッチカートコーナー...
ここ、なんかすげーかっこいい意味があるんだけど、
忘れちゃった。もっかい教えてもらお。
ここは途切れた意識がふわんって舞うのではなく、
曲の中で1番小さな、そして緊張感で張り巡らされた
バチバチ精神力コーナーです。
その捉え方も面白いくて好きです。好きです。

ピッチカートのあとは最初より不穏な音形で
ヴァイオリンが不安を煽りまくります。
ビブラートをかけまくると、さらに不安が増します。
そしてどんどん「アレ」に形が近づくに連れ、
チェロの刻みが鮮明になってゆき、
さっきのような澄んだ空気に......

ここのヴィオラのメロディは
夕焼けから遠くの朝焼けって感じで、
入りで泣けてきて、もう無理。しんどい。
しんどすぎてここで死ぬかと思った。
急にヲタクが出てるのは、こっからは途中まで
さっきの繰り返しだからなんだけど、
もう2回も弾かせてくれてありがとうだよね。

ちょっと同じようなことをして、盛り上がるに
盛り上がりまくり、3連符とか回数増やしちゃって
アドレナリン出っぱなしのまま、
またいっちゃん最初の「ジャジャンッ」に。
これも、何回やってもいいよね、びっくりするけど...

そして!やっとです!だいぶ時間がかかってる!
あの有名な「ロンドンデリーの歌」のメロディが
ヴァイオリンによって歌われはじめます。
さっきまであんなに複雑なことをしてたのに、
ここからはもう 解放と言った感じで、
静かに、着実に、風景を作らせてくれます。
もう言葉は...いらないよね......嫌いな人いないもん....
ワタシは初見で泣きました。本当です。

この曲のいいとこは、ロンドンデリーのメロディが
終わったあとも、終わりを迎えるために
先程ヴィオラがやりまくってた流れのメロディを
添えてくれるところです。

この曲の大半は、最後のその美しいメロディのため
存在していると思ってたけど、そうじゃなかった。
流れのメロディは綺麗だけれど、取り留めがなく、
川のように、終わりの見えなさも少しあります。
結局海に広がってしまって、ひとつのものでは
なくなってしまう、水の儚さ、地の不寛容さ。
その部分のような全てのような、
音楽ではなく「時間」だったのでは?と
錯覚させられるようなメロディは、
ワタシの意志にとっての希望でした。

終わりに近づくに連れ風景は遠ざかってゆき、
音も天井へと吸い込まれ消えてしまいます。
最後はひかりとなって、それもどこかへ...
あんだけ好き放題やって、あんなに有名で
きれいな歌のメロディを携えて、それなのに
この曲の行方は誰も知らないってのが...ねえ。
ふざけた現象だったかもしれないですよね。
それでもロマンでありながら、生きているみたいで
今まで聞いたどの曲よりも痺れました。

演奏会では、この曲が終わってしばらく、
無音の状態が続いたんです。
指揮者の先生が振り向くまで、ずーっと無音。
拍手も聞こえない、もう全ての人が
そこにあった音の行方を追えなかった。
指揮者の手の中にはあったかもしれないけど、
すごい空間を体験した気がします。


あのときみたいな時間が、創作で生きれればいいな
と、いまも思ってしまいます。




この曲が日本で演奏されることは少ないでしょうが、
ぜひそのまま聞いてほしすぎます。
みんなで聞きに行こうね!!!
誰かやってね!!!おねがいね!!!!

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