ゴッホとヘレーネ
ゴッホ展福岡に行ってきた。
本当は東京に行った時に無理矢理にでも行こうかと思ったのだけれど、ショートケーキのイチゴは最後に食べるタイプなので我慢した。
世の中はコロナがーとか、オミクロンがーとか言ってるけれど、そんなことで私の足と期待値の上昇は止められない。
音声ガイドに浜辺美波がいたので、つけない選択肢はなかった。
さて中に入る。
ゴッホはうまさやテクニックはなくとも、筆のタッチに現れる力強さが魅力的だとどこかの解説者様が言ってたけど、どんどん上達していく様子が目に見えてわかったし、ゴッホの絵を前に上手いも下手もいうだけ無駄で、その創作意欲や、自分の衝動に対する素直さが絵の具越しに伝わるほどの情熱にはもはや絶句した。
特に「黄色い家」を見た時、あのコバルトブルーの青空と、ゴッホの抱いた希望の如く明るく鮮やかな黄色の家のコントラストは何度も見返したくなるほど素敵な一枚だった。
正直これまでは、ゴッホの生い立ちに同情する気持ちが強かったのだけど、そんな気持ちは生のゴッホの前では通用しない。
むしろその感情はゴミ箱に捨てるべきだ。
同情なんかいらない。僕は僕の描きたいものを描いてるだけだ。
額縁の奥からそう訴えられる気さえした。
だから改めて言おう。
私はゴッホが好きだと。
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