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「風の谷のナウシカ」と呆然と生きることについて

「風の谷のナウシカ」を映画館で観た。1984年ぶり?って何年ぶりだ。練馬文化センターで観たのかな。というかもう俺はそんなに長いこと生きてきたのか参ったな。

当時巨神兵が怖すぎたのをよく覚えている。最後に腐って崩れる方じゃなくて、言い伝えの中に出てくる「火の七日間」で並んで光の槍みたいなものを持って行進してくる姿が怖すぎた。なんてものを見せるのか、と憤りと怒りと恐れが一緒くたになって記憶に残ったけれど、それでも面白かった感触みたいなものが手元に残って36年も経ってる。凄すぎる。

2020年にコロナなんてものがなければ「ナウシカ」を劇場で観るなんてことはなかったはずだ。「コロナがあって一番良かったのはジブリが映画館で観られたこと」という書き込みも読んだ。わからなくはない。

見直してみると、物語の強さに、オリジナリティに、古びない感性に、娯楽性に、呆然としてしまう。ぼんやり面白かった記憶が、当時はわからなかった部分まで見えてきてさらに鮮明に呆然としてしまう。

当時宮崎駿は43歳。今の自分と同じ年。こんなとてつもないものを生み出せる人がいることに、執念に、アイデアに、力強さに、勇気や希望をもらうのではなく脱力させられてしまった。ただただ面白く、ただただ帰って飯食って眠りたいと思った。

生きることについても考える。何かをしてもしなくても頑張っても頑張らなくても、生きてるし明日も来るんだっていう気持ち。

三浦春馬のことについても、まだまだ頭を離れない。このことについてはまた記す。

明日はおいしい焼肉を食べる。そのためにお腹を空かせ、運動しよう。

手元には小林信彦「おかしな男 渥美清」。な土曜日の昼。

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