大相撲力士について記憶をあいまいにたどってみる~鬼雷砲~

令和五年の五月場所では、みごとに二桁勝利をあげた霧馬山が大関昇進を決めました。
師匠はご存じ元大関の霧島です。

まさか、二代目霧島を襲名するとは思ってもみませんでしたが、近い将来ほぼ間違いなく横綱になることを考えると「横綱・霧島」という響きを残しておきたい気持ちもわかります。でも、鹿児島人的には「霧山」あたりでもよかったのではないかと思ってしまいます。
さて、私にとって忘れられない力士がいます。
その名は…

鬼雷砲

です。
"きらいほう"です。
平幕力士で引退後も借株で親方をやっていただけなので力士としては記憶に残っていないかもしれません。ただ、キライホウという印象的な響きは耳に残っていませんか。
横綱・曙の太刀持・露払いをつとめていたため、大相撲中継ではその名を何度も耳にしました。
若貴のライバルで付き押し相撲一辺倒の曙が嫌いだった祖母に、好きな相撲とりは誰か聞いたときのこと。間髪いれず弟が「きらいほう!」と冗談めかしたら、祖母のツボにはまったみたいで、大笑いしていました。
それ以来、私にとっても鬼雷砲は大切な持ちネタとなりました。本当は一番最初に書きたかったくらいでしたが…

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