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富山県氷見市のバーで聞いた思わぬマティーニの薀蓄

マティーニが氷見市内の各所で飲まれている理由が、実は日露戦争後に富山県氷見市の若者たちの間で飲まれていた、ウォッカやジンに似た酒にあるという薀蓄を聞いた。確かに、氷見に住んでいると、他所の土地よりはマティーニがあちらこちらで飲まれているとは思っていたけれど、缶入りカクテルの影響だろう程度にしか考えていなかったが、実は全く違っていたので、忘れないうちにメモ。

昨夜、氷見のバーで話していて、マティーニに付いているオリーブが、まだ奇跡的に残っている稲積オリーブだとマスターが教えてくれた。
稲積オリーブと言いつつ、実際は稲積地区から離れた灘浦地区の方で作られているのはご愛嬌。

マスターは若いので知らなかったが、明治40年(1907年)に当時の農商務省が三重、香川、鹿児島でオリーブの試験栽培試験した際、実は少量だが他の地方にも苗が送られており、富山県でも、氷見市の灘浦地区が海流の影響で周辺よりも平均気温がやや高いということで、オリーブの苗が植えられている。
流石に氷見市では小豆島の様に順調にオリーブが成育することはなかったが、搾油には至らないものの、わずかにとれたオリーブの実は、塩漬けや酢漬け、梅干しの樽に一緒に入れるなどの方法で、地元で消費されている。
ただ、こちらは新たに苗が植えられることも少ないので、徐々に出回らなくなっている。
近年、稲積梅が有名になったために、逆に便乗した様な形で稲積オリーブと言うようになったのは皮肉なことだ。

と、ここまでは、マスターが知らなかったので、ちょいと教えてあげた地元の歴史的な話。
しかし、バーというのは怖い所で、カウンターの向こう側で飲んでいた近所の老紳士が、更に凄まじい話を聞かせてくれた。

日露戦争の戦勝のどさくさで、ウラジオストックから大量のウォッカが伏木港に届いたことがあった、これが、ちょうど秋祭りの季節だったことで、近隣の青年団に大量に振る舞われることになった。
この日本酒よりもはるかに強い酒は、氷見の若者たちにたちまち広まり、祭りの太鼓台に使われていた松の葉を放り込んだものを直会の酒として飲む様になった。
ちょうどその頃、「洋酒」としてワインも伝わってきており、こちらも一緒くたにされて、混ぜて飲まれる様になったらしい。
氷見市内の秋の祭りの時期、オリーブの実の塩漬けは、ちょうど昨年のものを食べ尽くす頃合いで、直会には定番のつまみとして出回っていた。
マティーニが考案されたのが、1910年代のニューヨークということだが、氷見市で流行したこのウォッカの飲み方は、かなり早いうちに横浜にも伝わっており、ジンが氷見に入ってくるのには、そう時間もかからなかっただけでなく、氷見市内では少量ながら、ウォッカを真似て蒸留酒も作られる様になっており、詳しい製法は伝わっていないが、薬草や松葉で香りを付けて仕上げられていたらしい。

マティーニというものがあると氷見に伝わったのが、大正末期から、昭和の初期にかけてのことで、そもそもがロシアの酒を飲む方法だったものが、洋酒の飲み方として改めて紹介され、各集落の祭りで飲まれていたものが、すっかり各家庭にも定着し、ハウスレシピが発生することになった。
氷見市内でも、中心市街地ではウォッカマティーニが主流。仏生寺周辺では独自でジンが作られる様になり、マタタビとオウレンを入れるのが特徴だったということだったらしいが、酒蔵は現在廃業しており、製法などは不明。
仏生寺出身の政治家、南弘が、親しかった森鴎外にこのジンを紹介しているが、鴎外は、この酒のあまりの不味さに閉口したことを日記に記している。

氷見市周辺で使われているチャン鉢と呼ばれる、やや深めの皿がある。
氷見では魚の味噌汁を食べるために使われている器だが、大正末期から戦後しばらくまでの間に作られたチャン鉢には、器の縁が、薄い側と厚い側に分かれているものがある。
氷見の花街で、チャン鉢にマティーニを入れて飲むのが流行して、この形のものが使われる様になり、それが一般にも広まったもので、薄い側が表で、厚い側が〆と呼ばれている。
マティーニを飲んだ後、そのままその器で魚の味噌汁を食べて〆るのが一般的だったとのことだが、売春防止法以降は花街も徐々に廃れて、現在は完全に失われた風俗となっている。
チャン鉢の表、〆については、古いもののなかには、そういうものがあると聞いたことはあったが、その理由までは初耳だった。

あとは、マティーニのレシピの嫁姑争いの話や、東京のバーでマティーニを頼んだら、近所のお婆さんの味に全く及ばず、あれはおそらく、漁業をしないせいでまともな氷が無いからではないかという推察、平成に入って、氷見に一番いい氷を作っていた漁協の氷の質が落ちて、マティーニの味も落ちたしなど、その頃には老紳士もかなりお酒が進んで、かなり純度の高い氷見弁になっていったこともあり、なかなか効率よく標準語訳して書き出せない。

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