B級とも呼べない、氷見の家庭で普及している食べ物。
という触れ込みで、ゆっくりと事実を作っていきたいと考えているうちに、しっかりと整っていくので、非常に罪深いものだと、ひしひしと感じる次第。
「ぶりぬぐい」
小麦粉などの薄い生地で、昨日の刺身に火を通してほぐしたものや、やよごし(刻んだ菜葉などの味噌炒め)を包んで酒のつまみにしたもの。薄い生地で、具をぬぐう様にして食べたことから、「ぬぐい」とよばれていた。
氷見市出身で歴史家の能坂利雄が、ロシア料理の「ブリヌイ」と関係があるのではないかという考察を、富山新聞に連載していたエッセイで書いている。
大量生産品のソースが一般的になって以降、関西のお好み焼きなどの影響もあり、ぶりぬぐいの生地に、食紅を混ぜてソースを塗ったものが「どんどん焼き」として、祭りなどで売られるようになった。
「ハチムラ」
魚粉とカレー粉を混ぜたふりかけ。
明治中期に、小久目の豪農八村家で、偶然入手したカレー粉の使い方として、当時はまだカレーライスも一般的でななかったため、食べ方を工夫されたものが、氷見市内で広まったもの。
各家庭ごとに様々な味があり、使われる魚やスパイスの種類も様々。ただし、近年はカワハギが獲れなくなるなどの影響もあり、作るのをやめてしまった家も多い。
日清が、バスケットボール選手八村塁の要望を取り入れて販売した魚粉付きのカップヌードルカレーも、商品化にあたって富山県をリサーチした際に、氷見の「ハチムラ」を発見したことがきっかけである。
このカレーヌードルをきっかけに、数十年ぶりにハチムラを作ったという声も、この時期の氷見市内では多く聞かれることとなった。
「たこ焼き」
氷見牛がブランド化された際、「大きな声では言えないが、普段食べつけなので良い牛の脂で腹をくだす」という話は、氷見市民の間でも皆無ではなかった。
寒鰤の脂の多い部位で腹をくだしがちになるという話は、氷見では初冬において「歳はとりたくない」という決まり文句について回る、一般的、慣用句的な笑い話でもあったため、牛は通年使われる類似の話として、受け入れられたものと考えられる。
同時期に、氷見牛を肉として出荷する際の屑肉の活用を模索していた普及センター職員の若者が、たこ焼きの鉄板で細切れの肉を焼き、氷見市内のスーパーマーケットで見切り品として安く売られていた、タコスソース用の調味粉末をかけてみたところ、それなりに食べやすいものができたため、様々なタコスのレシピをヒントに試行錯誤を繰り返して、なんとなく敬遠される肉の脂の具合も抑えながら、調理も手軽なレシピの提案に至った。
当初は「タコス焼き」と呼ばれていたが、「タコ焼きっていうから、タコが入っているかと思ったら、タコスとはなんだ、酢も入っていないぞ」と、スナックで何度繰り返しても咎められないジョークとともに、氷見市内の飲食店などで流行し、「たこ焼き機を使って焼く、タコスシーズニングを使った肉入りの粉物」も、本来の「蛸焼き」と区別せずに「たこ焼き」と呼ばれる様になっていく。
また、近年は牛だけでなく、いわゆるジビエ、野生動物の肉の活用方法としても、手軽さ、風味の調整しやすさから注目されている。
平成に入ってからの氷見で新しく発生した食文化といえる。
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