「法華経にきく」 著者:小野文珖 出版:水書房 1998年初版



法華経にきく

"同じ気分転換の遊びでも、パチンコには賭けの魔力によって作られた落とし穴が、チューリップといっしょに開いています。カラオケの方がストレス解消にはずっと安全で、安上がりでしょう。と言いながら、私もパチンコをやります。"

(「第二章 くらしの中の法華経」から,p.101)

 著者である小野文珖さんは、群馬県藤岡市内の天龍寺というお寺で住職をなさっていましたが今は隠居し、同市内の祖師堂という小さなお堂をまもる日蓮宗の僧侶です。本書の出版はいまから30年ほど前で、文珖さんが40代後半頃に新聞や雑誌に発表した文章をまとめたエッセー集となっています。

 冒頭の引用文は「第二章 くらしの中の法華経」という1995年の1年間に執筆したものをまとめた散文集に収録されています。
 「と言いながら、私もパチンコをやります。」という僧侶らしからぬ意外な告白にドキっとさせられる一文です。

 文珖和尚は立正大学で教壇にたち研究もしていた学者でもあり、その高い教養と深い知識に裏打ちされた文章は、読者の知性を一段引き上げるものですが、読む者を選ぶこともあるかもしれません。
 そうしたなかにさりげなく挿入される、煩悩に迷い、欲にとらわれる自身のありのままを吐露する文章は、読者にやさしく手を差し伸べてくれるようです。引用文はドキッとしつつもほっとする一文でもあります。

ほかにも、

"ところが、不惑の年を超えても、名誉欲や金銭欲、性欲にとらわれて、泥沼の中でもがいているような状態が続いている。"

(「第一章 わたしと法華経」から,p34)

"先日も、友人たちと忘年会にくりだしました。食べて、飲んで、さあ二次会に席を移すぞ、ということで、部屋を出る時、ふと宴会の後を振り返りました。テーブルの上に料理が食い散らかされ、皿の上にはごちそうが山のように残っていました。"

(「第二章 くらしの中の法華経」から,p118)

 など、僧侶も娑婆世界を生きるおなじ人間なんだと安心させられる心持ちや体験が綴られています。
 こうした文章に手を引かれ読み通すことができる本書は、仏教の入門書としてもおすすめの一冊と思います。

 


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