「エチオピア絵日記」 松枝 張著 岩波新書(1976年初版)



「エチオピア絵日記」

 約50年前の新書で、当時の定価は280円。1974年の革命(軍事クーデター)以前、ハイレセラシエ一世の絶対君主制下のエチオピア帝国に著者が2年間滞在した時の「思い出を墨絵に托して(はじめに)」のべられている。

 本書のI~Vの5つの章のうちの「V エチオピア疾病考」と「はじめに」「あとがき」以外すべての逸話には著者による墨絵が付されていて、その数は107点に及ぶ。本のどこを開いてもほぼ必ず描かれている一見拙く見える墨絵は、どれも著者の心象を豊かに表わす「画の方が何よりもその風物を端的に伝えうる(はじめに)」ものとしてその役割を十分に果たしている。特に人物の肖像画にはその人の外見的な特徴だけでない「らしさ」や著者との関係性が滲み出ている。50ページ〜の「研究所の職員」の挿絵からは同僚への親しみが感じられ、癒される。

 文章は事実と本質が簡潔にまとめられているなか、現地での人々との「交流」をユーモアと愛をもって描き出されている。著者は「はじめに」で、「私が勤務していた当時は、王政のいろいろな矛盾が露呈していて、自らの経験としても愉快な毎日であったとはいえませんでした。」としながらも、警察官との理不尽なやりとりや、暗がりの店内での不条理な出来事などはむしろ愉快に、全体的にはエチオピアでの毎日はのんびりとした暮らしぶりであったことを思わせる。

 ただし、国内の経済・政治事情や国民の暮らしぶりを語るエピソードには悲惨なものもある。

"着任後すぐ往診を頼まれた。あるマミータの妹である。多くの病院に行ったが、「異常なし」といわれた。当人は立つこともできないという。この国の病院は患者が貧者とみればこのような手法でおい返してしまうのである。
〜中略〜
 さて、彼女は薄暗い裸電球の下、奥まった部屋にねていた。精査と糞便検査の結果、アメーバ性腹膜炎らしいことがわかった。顕微鏡の下で赤痢アメーバが盛んに走り廻っている。これほどすばやく原虫が運動するものとは夢にも想像できなかった。日本でみるアメーバ運動とは大変違っている。エメチン注射やレゾトレン服用で彼女は一命をとりとめた。しかし、肝膿瘍を起こしているので完治は望めない。経済上の理由で治療は完全を期しえないため、再燃の形となって遂に死亡した。"

エチオピア絵日記 松枝 張著 p.48-49

 約半世紀を経た現在、エチオピアは貧困削減計画や国家開発計画などを策定、経済成長を図り中所得国入りを目指している一方、いまだに一人当たりのGNIは2022年現在で1,020ドルで最貧国の水準にとどまっている。

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