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人生2回目の田植え中の、僕の頭の中を「初・note」してみる。

だいたい自己紹介からなのか?

初めてのnote。自己紹介とやらが必要か。今回でなくてもいいかと思っていたが、まぁ初っぱなということで簡潔に書いてみよう。

今年で52歳。現在は高知で有機農業を営んでいる。日本のつまらん大学を1年で辞めて、ハタチから40歳までの20年間をアメリカで過ごし、その間は進化学という学問を専攻・研究していた。研究は好きだが、教壇に立つのが苦手ということに40歳で気付き、帰国し有機農家に転身。
家族は妻と猫1匹とヤギ2頭、ニワトリが10数羽、それに現在ヒヨコが20羽ほど。うん、多いな……。 大家族で小さい農家やってます。スマホは持ってないしLINEアカウントもないが、自動孵卵器は持ってます。趣味は納豆作り。そんなところかな。妻がこんなのもやってます。


本題の田植え

人生2回目とあるが、そう間違いない、52歳にして2回目の田植えである。農業界隈では遅咲きだ。

そんな田植えをつい先日終えることができた。9人がかりで半日かけて手植えだ。ちなみに昨年は3人で朝から日が暮れるまで丸1日。今年は皆で囲む昼食も入れて昼12時には終了していた。今後、手で雑草を引き、秋には鎌で稲刈りの後、適量を去年の稲藁で結束し、稲木(いなき)を組み、それにかけて天日干し(=いわゆる「稲架(はさ)かけ」というやつだ)、足踏み脱穀機で脱穀、唐箕(とうみ)で籾を選別、籾摺り、精米という長い長い長い長い長い過程を経てようやく美味しいお米にありつけるのだ。「長い」を5回も書いてしまう僕の心中をお察しいただきたい。

2023年の稲架(はさ)かけ


娘(のようなもの)の弥也子に誘われて、昨年気軽に米作りを始めてしまったものの、何故そこまで手作業にこだわるのかも深く考える間もなくズルズルとここまで来てしまった。

娘・弥也子のnoteはこちら。


田植えの最中に通りすがる人たちは興味津々で、何故この便利な時代に手作業で米作りをするのか、と言いたそうである。うちの田んぼの横だけ通り過ぎる車のスピードが明らかに落ちるから間違いない。それもそのはず、隣の田んぼでは、おんちゃんが一人で泥に足を踏み入れることなく、田植え機で我々の十倍ほどの速さで悠々と楽しそうに田植えをしている。

では、手作業で米作りをする意義とは何なのか。

米作りに限らず、手作りであることや伝統文化の継承などが重要視され大切だとされる世の風潮の中で、手作業で米作りをすることが「正しい」と無意識のうちに思い込んではいないか。機械で大量生産をすることが必要悪だと擦り込まれてはいないか。

機械を使ったほうが時間的、労力的に効率がいいのは明らかだ。早く田植えを終えて余った時間を有意義に使った方が豊かな暮らしを送れるのかもしれない。

ともあれ、手作業の方が環境に優しいに決まっている。そもそも、機械作業が効率がいいというが、本当にそうだろうか。機械の原材料を調達して、部品を製造して組み立てる過程から、さらに石油を掘削、精油、流通させる膨大な手間を考えると決して効率的とは言えない(僕はどこから遡っているんだろう)。当然、米作りを始める前にお金を出して機械を買わなくてはならない。地元にあるもので材料を調達し、ゼロベースから米作りをすると考えると、手作業の方が圧倒的に効率がいい。のかもしれない。

しかも、石油や機械部品の流通がストップしたら立派な機械も無用の長物と化す。そんな事態がいつ訪れてもいいように、手作業での米作りの練習をしておくのも将来的なリスクヘッジになるのかもしれない。

ただ、そんな日は果たして訪れるのだろうか。しかも、米作りも100%手作業で完結できるものではない。田んぼの準備、籾摺りや精米などは現時点では機械に頼らざるを得ない。田植えや稲刈りだけを手作業ですることに果たして意味はあるのだろうか。

いやいや、そういう事ではない。そもそも天日干しした米は圧倒的に美味しいのだ。科学的にも証明されている。機械を使わずゆっくりと乾燥させることで米粒に負担をかけずに劣化を防ぐ。さらに、稲藁の養分がゆっくりと米粒に送られて、旨み成分が凝縮されるらしい。

>参考までに。論文を。

だったら、天日干しだけ手作業にしたらいい。バインダーを使えば、稲刈りと稲藁の結束をしてくれて、天日干しができる状態にしてくれる。むしろ、バインダーを使った方が適量を束ねてくれるので結果上手く天日干しできる。

…………..ダメだ、頭の中がグルグルする。結局、手作業で米作りをする決定的意義は見いだせない。誰かこのモヤモヤをすっきり解決してくれ。

左端が僕。9人の中で年長さんだった。


ま、ただ一つ言えるのは、米作りは楽しい。そう去年も楽しかったんだ。仲間とワイワイ言いながら田植えや稲刈りをし、他の友人農家と天日干し米の食べ比べをする楽しみは機械作業では決して味わえない。そうだ、作業効率とか環境に優しいかどうかとかリスクヘッジのためとかではなく、米作りは楽しいから手作業でやるのだ。昔は仕方なく手作業で米作りをしていたが、今は楽しめる時代だ。

ひとつ、誤解があってはいけないので書いておくが、「楽しめる」というのは僕が農業という生業を別軸で持っているからだ。米専門の農家だったら…そんなわけにはいかない。死活問題だ。

何となくスッキリしたような気がする。今年も来年もまた米作りが楽しくできそうだ。田植えが終わった今現在の話し。

〆はこちら。

手刈りで頑張っているのに、近所のおんちゃんにバインダーですいすい刈取り・結束されていく様子を呆然と眺めている弥也子。彼女はどうしても手作業にこだわるのだ。

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